読みにくいと言われるたびに過日の私は死んだ(エッセイ)

 なにゆえか、私にはさっぱりと分からないことだが(分からないことにしておきたいのだが)世の中では、他人の書いた文章を指差して「読みにくい」と発言することに、正義感めいたものを満たされるケースがあるらしい。

 あるいは、自分自身が非常にロジカルに物事を組み立てられるからといって、感情の滲み出た表現を、さも、非論理的で説得力のカケラも無いものとして扱うような判断基準が採用される場面もあるらしい。それ自体がずいぶんと一元的で、冷静さや公平性を欠いた主張じゃあなかろうか。そんな文句は街頭のポケットティッシュ広告にも謳えない。クソの役にも立たないというやつである。
 と、今日の私は思うのだが、いざ自身がそこで『指差される側』になればどうかというと、萎縮したり、咄嗟に茶化したりして、ひとまず場をやり過ごすことに終始してしまう。これもまた、世の中では起きることで、私の周りでも、よく起きたことであった。
 今の私なら、面と向かって同じ人に同じことを言われたとしたって、もっと冷徹に相対したり、あるいは、同じように「ははは」と笑って流したとしても、内心では自分自身をしっかりと守ってあげることができるだろう。いわゆる評定だとか講評だとかも、建設的に受け止めるには、発する側の正当性と受ける側の健やかな心身とが、どちらも整っていなければ成立しないとは給与以外で評価を受ける機会のなくなった今でも思う。

 自分が世の中のすべてを知っている気持ちになる年の頃、というのがある。
 私もまだ、人生の諸先輩方と比べてはほんの若輩者だが。私でも数十年の間で二度、三度ほど、自分が世の中のすべてを知っていて他人とは違っていて優れていて……なんてトンデモな勘違いを、そうと気付かず晒した恐ろしい時期に覚えがある。
 先に述べたような主張のために私が(そうとは気付かないうちに)ずたずたにされたのも、そういう時期だったし、なんなら、きっと(そうとは気付かずに)私をずたずたにした幾人かも、彼らの人生の中で同様の時期にあったのだと思う。
 私は昔から読み書きのすきな子どもで、割合そのまま大きくなり、自分の書いた文章を読み返すにつけて、自分の書いた文章をこそすきだと思えた。広く世の中に、自分よりもはるかに卓越した人々のいるのを分かっていて(おそらく本当には分かりきれていないのを薄々気付いていて)、それでも自分のできることのうちでは、書き物こそが最も『できる』ことだと思っていた。
 やれクラス文集だ、やれサークル活動だといっては、文芸サークルにいなくても何かしら体裁のために文章が入り用で、周囲のあまりやりたがらないのを良いことに自ら買って出ては、ささやかな自尊心を満たしていたように思う。これは今でもだいたい同じだが。
 そういうわけで、私の書いた文章というのは、書くことをしない人のそれよりも容易に、衆目に晒される環境にあった。
 そこで「読みにくい」が出てくるのである。
 なあーにが読みにくいじゃ。
 いやそうだな確かに、読みにくいだろう、うんうん。いま考えても、何年か前の私の書いたものは読みにくい、いまが読みやすいとは胸を張りにくいが、いまよりも昔のほうが読みにくいのは確かである。くどいとか長いとか胃もたれするとか、ごもっともな指摘だ。そのとおりだろう。否定もできない。まあよかろう。

 それで、言われた私が死なないと思っているのはいったいどういう了見なのだ。

 たとえば同じ相手から発せられるのでも、美術の授業で描いた自画像を前に「鑑賞しにくい」だとか言わなかったと思う。もしくは、同級生と行ったカラオケボックスで音程の外れた誰かを前にして「へたくそ」なんて言えるかといったら。それをなんでか、こと言語になると、指摘が死因になるとは思いもしないで指やフォークやナイフを刺してきたのだろう。
 自分も毎日扱っている日本語のことだから、指を差すにも後ろ暗いところがないと思うのだろうか。そうかもしれない。他人のことは言えまい。私もやはり、同様の勘違いと履き違えを繰り返してきた過去がある、思い返すに消え去りたい。そのときは、私が相手を殺してしまったと思うほかない。罪の意識にさいなまれるなんていう、それ自体がとんだ自己満足の海に足をずうっとふやかしながら暮らすしかない。
 実際、読みにくいと言われた私はきっと死んだのである。
 何度も、何度も死んだと思う。思い返してはまた死ぬことができた。読みにくいらしい。そのとおりだ。それで、どいつもこいつも私が死んだとは知らずにいる状況をなんとしたらよかったろう。別段知ってほしいわけでもないのだ、自分を殺したいつかのだれかに会いたい理由は近年だって流通していない。
 当時は兎角、謙虚でいることこそが人生にも創作にも美徳であろうと思っていたから(決して間違いではないと思うのだが)、私が未熟だからそのようなことを言われるのだ、と納得さえしていた。
 その無理な納得の体がまた、私を再度殺す凶器になった。私を死なせたのは私だろう。
 
 今日、私はこのように「あんなこと言われたけど、気にする必要なかったのにな」と思うことができる。これは、殺された日からの十余年の間で、私の発信した文章を好いてくれる人が片手の指の数ほども(!)いると分かったことや、単に私がすこし歳を取って、かつて私を殺した幾人かの年齢を追い越したことなんかが影響していると思う。所詮、彼らも私も子どもだったのだ。一行で片付けるにはずいぶんな滅多刺しをされたが。
 ともあれ幸か不幸か私は、いまも何かを書いてみたいと思う気持ちを大事に抱きかかえて、よくわからないなりにnoteを始めていたりする。
 私は転んでもただでは起きず、殺されてもただでは蘇らない性分だった。だとしたって、私の心が殺されることになんの正当性があっただろうか。
 なすすべもなく殺されてしまった、在りし日の私には悪いことをした。こわかったろう、つらかったろう。私を殺した彼らを害したいとはちっとも(ということにしよう)思わないけれど、いつかの私の分まで私を生かしてやるために、何かを書いていようと思う。

  
  

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