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10:進歩を確かめてみよう

こんにちは、yuyaです。

今回の記事では趣向を変えて、今現在の自分が過去の引きこもっていた頃と比べ、どれだけ進歩・成長したのかをまとめていきます。

できるようになったこと

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簡単に言えば私は何もできなかったのですから、今の生活全てが進歩といって良いでしょう。

褒められた物ではありません。周りの皆さんは当たり前のようにこなしています。

例えば以前の記事にも載せましたが、私はバスに乗ることができませんでした。

理由は乗り方がわからないこと、そしてそんな自分を見られたくないことからです。

バスだけではありません、電車にも乗ることができませんでした。

大学へ行くために、何年かぶりに電車に乗った時のことを思い出します。

私は極度の緊張から、ガラガラの電車で席に座ることができず、立ったままずっと窓の外を眺めていました。

皆の視線が自分に向いているのではないか。周りと違う挙動不審な自分に、気持ち悪がっているのではないか。

こんなことを本気で考えていました。

帰り道では、電車に乗っているうちにだんだんと気持ち悪くなり、私は1時間ほどで電車を降りてしまいました。

片道2時間かかる場所でしたから、半分も耐えられませんでした。

降りてから、父親に電話したことを覚えています。

「迎えに来て欲しい」

結局そんな自分が恥ずかしくなり、気合で電車に乗って帰りました。

気持ち悪くて、頭が痛くて、周りの視線が痛くて、生きた心地がしませんでした。

公共交通機関に乗ることができる喜びを感じられるのは、私くらいのものでしょう。

今では何も考えず、目的地までたどり着けるようになりました。

私の人生は、いわばマイナスからのスタートです。

他の人から見れば普通で価値のないことも、私にしてみれば大きな躍進でした。

最近では、一人で海外旅行にも行くことができました。

家から出られず、バスに乗ることも電車に乗ることもできなかった人間が、飛行機に乗って国から出て行くのです。

再三言うようですが、誰でもできることです。
ですが私の人生は、その「誰でも」を実現させることの連続なのです。

できなくなったこと

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ひきこもりから脱出することが、必ずしもプラスばかりでないことを、皆さんには知っていただきたいのです。

長期休暇を取られた経験のある社会人の皆様なら、その自由な時間、何かに没頭するにはうってつけの時間をご存知でしょう。

私はもうたくさん味わったので、死ぬまで長期休暇は要りません。
ですが、何かに没頭したりすることが、年々できなくなりつつあります。

もちろん加齢による集中力の衰えもあるでしょう。

ですが一番は、将来の不安・仕事・人間関係など、常に頭の中には意図せずとも余計なものが点在するようになったことです。

これが社会人なのかとウキウキしている時期も、恥ずかしながらありました。

そのほか、小さなことでも幸せを感じていたり、様々なことに興味を持って気が済むまで調べ尽くしたり、どんなことにも貪欲な時期がありました。

今の私は、忙しさにかこつけて、そのような探究心を捨ててしまったようです。

自身が興味のあることよりも、生きるために必要なことに注意が向けられるようになりました。

それは決して悪いことではないと願っていますが、引きこもっていた頃にできていたことができなくなるのは、自分の中でどう処理したら良いの分からなくなくなります。

自分では成長したつもりが、できなくなっていることもある現状を考えると、そもそも成長とはなんなのか考えなければいけなくなります。

引きこもりがもたらす問題は、社会的に必要とされない状態を作ることにあると、私は感じています。

家から出るか出ないかは、関係がないのです。

だからこそ、引きこもっていた時にできていたことは、その後もできるようにしておかなくてはなりません。

全てを否定する必要はないのです。


つづく