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08:強迫観念

こんにちは、yuyaです。

今回の記事では、私がいかに人の目を恐れていたのかを、記事にしました。

誰も見ていないのに

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自意識過剰。

この一言で、私の人生を語ることができてしまうかもしれません。

自身の性格や価値観、人生の歩み方に後ろめたさがあるせいか、誰かに後ろ指を指されているような感覚があります。

笑われているような、蔑まれているような、社会から疎まれているのではないかという感覚。

こんな自分は必要とされないのではないか、頑張ったところで、誰かに迷惑をかけるだけではないのか。

自身の可能性を信じようとしている、将来があると期待している自分に嫌気がさしながらも、

「普通の人」を目指す私は、社会に出ないわけにはいきませんでした。

他人の目が気になる性格は、今も治っていません。
そしてその影響で、私は自己表現が全くできません。

なぜなら他人の反応が、私の世界の全てだからです。

他人に悪く評価されることを恐れる私は、それを避けるために能動的な行為を抑えて生きるようになりました。

自分からは何も発せず、他人の意見には同調も否定もせず、ただその場をやり過ごすことで人生を送ってきました。

そのような人間には、敵ができないばかりか味方もつきません。

このことが理解できるようになったのも、つい最近のこと。

自己主張のない人間を見ても、人は何も感じません。
そして、忘れられていきます。

普通の人を目指して徐々に外へ出かけるようになった私でしたが、
このような理由から、現在に至るまでに他人とほとんど友好関係を築けませんでした。

一人では何もできない

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自分が家の中でも外でも一人でいる惨状に、一種の諦めを感じていました。

「このような人格だから、一人でいる方が社会のためだ」

こんな考えで逃げていたのかもしれません。

ですが、世の中どのような職種でも、または趣味でも、一人で全てを完結させることは難しいのです。

どんなに能力があっても、一人で可能な行動量には限界があります。だからこそ私たちは、組織を作って事業を進めるのです。

私は常に一人でいたためか、協調性に欠けていました。誰かと行動することができないのです。

するとどうなるでしょう。自分の情報源、行動原理、価値観、その全てが自分基準になってしまうのです。

それも、過去の自分です。

私は最低でも凡人に、普通の人になるために行動していたつもりが、他人との関わりを避け、怠惰な過去の自分を基準に行動していたのです。

その結果私は視野を広げることができず、新しい可能性や選択肢に触れる機会を捨てていたのです。

当時は気付くことができませんでしたが、今になってようやく、勿体ない生き方をしてきたものだと、反省をするようになりました。

このような心理状況で私は、高校卒業程度認定試験に臨んでいきます。

つづく