歩いていたら道に人が倒れていた、今日のこと。
今日、生まれて初めての体験をしました。
「道に人が倒れている」状況への遭遇です。
お昼過ぎ、カフェで勉強をしようと家を出てすぐに、細い歩道に自転車が倒れているのが見えました。遠目から見ると植え込みの木の根元に隠れていて、人がいる様子は確認できませんでした。
しかし不審に思ったので近づいてみると、自転車にまたがった状態で人も一緒に倒れていました。
70代の男性でした。
すぐに「大丈夫ですか?」と声をかけると意識はしっかりとあり、倒れてしまったあと自分で体を起こすことができないとのことでした。
おじいさんの体を起こそうと頑張ってみたのですが、自転車に足がもつれてしまってなかなかうまくいかず…。ひとりで苦戦していると近くを通りかかった男性2人が助けてくれました。3人で協力し、自転車とおじいさんの体を起こすことができました。
しかし、体を起こして座り込む状態になった後、おじいさんはなかなか立ち上がることができない様子。
助けに来てくれた男性が救急車を呼んでくれようとしましたが、呼ばなくていいとおじいさんに断られてしまいました。
私たちはしばらく心配でなかなか離れられなかったのですが、少し休んだら大丈夫だと繰り返しおっしゃっていたので、全員おじいさんを残してその場を去りました。
そして約15分後、おじいさん無事に帰れたかな?と心配だったので、もう一度様子を見に行くことにしました。
予感はしていたのですが、まだおじいさんはその場にいらっしゃいました。体勢も変わっておらず、たちひざで自転車のサドルに突っ伏しているような状態でした。
気温が高く熱中症も心配だったので、再び声をかけ、自販機で買ったお水を飲んでもらいました。
ご家族に連絡ができるかもと、「同居のご家族はいらっしゃいますか?」と伺っても、「家族はいない」とのこと。
あんまり押しつけがましくなるのも避けたいと思ったのですが、やっぱり心配だったので「自転車を押してお家までお送りしましょうか?」と申し出てみました。「申し訳ないけどいいかい?」と返ってきたので、ご一緒にお家まで歩くことになりました。住所を教えていただいたところ、その地点から10分強のところにお住まいでした。
なんとか立ち上がることができ、ゆっくりと一緒に歩き始めたのですが、少し歩いたところで一度休みたいと座り込んでしまい、なかなか再び立ち上がることが出来ませんでした。
その間、通りかかった大工さんらしきお兄さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのですが、なんと以前おじいさんが同じように自転車で倒れてしまったときに助けたことがあるという方でした。休むにしても少し向こうの方が涼しくていいんじゃないか?とか色々と声をかけてくださり私もホッとしました。(そのとき近くを何人か通っていたけどみんな無反応……まぁ倒れてるとかではなかったのでそれが普通なのかな。)
お兄さんが行ってしまった後、しばらくしてもおじいさんは立ち上がれなさそうでした。ここで私は、自転車を押す人間とおじいさん自身を支える人間がいないと結構厳しいのかも…と思い、助けを求めることにしました。
わたし:「誰かに支えてもらった方が楽そうですか?」
おじいさん:「それはそうと思うけどお姉さんは無理でしょ?」
わたし:「少しお待たせしますが人を呼んでくることはできます」
おじいさん:「ちょっと手間かけるけど……そうしてもらっていい?」
ちょっとだけ待っててくださいね、と言って私はその場を離れました。
しかし、この時の私の心の中。
「どどどどうしよ〜〜〜、人を呼んでくるって言ってもどうしよ誰に言えばいいんだろ〜〜〜泣」
運よく仕事が休みだった母にLINEで助言を求め、結果最寄りの交番に行きました。お巡りさんに事情を説明すると、すぐに無線で連絡、パトカーの手配をしてくれました。あっさりと「あとはこちらで対応するので大丈夫です!」ということで、私はもうおじいさんにお会いすることなく警察の方にお任せする形になりました。
私は、交番に残った若手の警察官の方に名前や住所をお伝えして帰宅。帰り道、遠目からですがおじいさんを残してきたあたりにパトカーの姿を確認しました。
そして帰宅後。
人を呼んでくると言われて、いきなりパトカーが来たら、おじいさんびっくりしたかな。私の対応は正しかったのかな。あのあとおじいさんは無事にお家に着いて休めているのかな。胸ポケットにはタバコ、自転車のカゴには未開封の焼酎が入ってたけど生活は大丈夫なのかな。
このようなことを考えていました。
もっと一般化して、単身の高齢者世帯が恐らく増加している中公的サービスや地域のつながりは十分なんだろうか、ということも。
声が聞き取りづらく拾えない箇所もありましたが、おじいさんと会話をしていて思うところは少なからずありました。
病気をしているわけではないけれど、65歳を超えたあたりから体の調子があまりよくないということ。家では寝て過ごすことが多くて、床ずれで腰のあたりが痛むこと。足もあまりよくなくて、自転車で転んでしまったこと。タバコとお酒が楽しみだということ。
過去、私は部活に打ち込んでいた高校生の頃に、単身の高齢者世帯が増加している社会状況をテーマとするラジオドキュメンタリー番組を制作していたことがありました。そのときに取材を受けてくださった民生委員の方や、実際にひとり暮らしをしていたおじいちゃんおばあちゃんたちのことも思い出し、モヤモヤモードに。そのときは、「人と話さないから独り言を言うしかない」と、インタビューでおっしゃられていた方もいらっしゃいました。
先ほど、「単身の高齢者世帯が恐らく増加している中」と記述しましたが、内閣府によると単身世帯の高齢者はやはり増加傾向にあるそうです。
家に着いてから色々と考えている間、つい最近の自分のことを思い出しました。
地元を離れ、一人暮らし。そんな中コロナ禍で人と会えない状態が続き、特に大学の授業も始まっていなかった4月は私自身気が滅入ることが多くありました。
もしそれが、コロナ関係なくだったら?
家族がいなくて、人と話さないのが日常だったら?
オンラインでのつながりもなかったら?
自粛期間を経験した私たちには、それがどんな状況なのかを以前よりも想像しやすいのではないでしょうか。
もちろん、今日お会いしたおじいさんが普段どんな生活をしているか、私は知りません。孤立した生活を送っているかも分かりません。私が彼の生活に思いを馳せていても、それは無意味かもしれません。
しかし、これって当たり前に明日は我が身なんですよね。今の社会は自分が年をとったときに生きやすい社会かな?と考えてみるのってすごく大切なんじゃないかなと思います。
最近はクーラーをつけずに熱中症で亡くなる方のニュースも目立ちます。
高齢化社会、孤独死、地域との繋がり。
これらのテーマについて考えることは、今の超高齢社会を生きるにあたって若い世代にとっても必須なのではないでしょうか。
その必要性を実感した1日でした。
なんだか大学のリアクションペーパーのようなかたさの記事になってしまいましたが……読んでくださった方はどうもありがとうございます!
note 8本目、「歩いていたら道に人が倒れていた、今日のこと。」でした。
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