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書けないなら、先にサムネを選べばいい。

 私はnoteに投稿する文章に対して、自分でハードルを上げてしまいがちだ。レポートの勢いで書き倒すこともある。
 だけど、もっと気軽に、こんなことがあったよ~みたいな、誰かとの世間話とか、ただの日記みたいな感覚で、日常のこと、その中で感じたことを書く。

 そんなエッセイを書けたらいいなあ、と思っていた。そこで、ふと、「書けぬなら、先にサムネを選べばいいじゃない」と気づいた。

 noteには「みんなのフォトギャラリー」というものがある。私はそこで、素敵な絵や写真を探すのが好きだ。
 そして「あっ、これをサムネにした記事を書きたい」と思えるものを見つけると、ほくほくした気持ちでメモる。
 そのサムネを先に選んでから、何の計画もなしに、ひとまず書き出してみたのが、今の私である。


 今日は、母の仕事がお休みだったので、二人でランチを食べに行った。
 ずっと行きたかった和食屋さん。雑穀米、味噌汁、漬物、サラダ、チキンカツという、幸せのつまった定食。お肉が柔らかくて、衣もサクサクしていて、とっても美味しかった。
 久々の外食かもしれない。そんなに広々としたお店ではないけれど、静かで落ち着いた雰囲気で、居心地が良かった。


 ご飯を食べ終わったら、お散歩がてら母と近所の神社へ行った。お参りの仕方、おじきする場所を確認したり、狛犬の髪型が左右で違うね〜とか、今年はお祭りやるのかな、とか。そんな他愛もない会話が楽しかった。
 母はこの後、スーパーへ買い物に行くというので、そこで母と解散した。涼しかったので、私はもう少し散歩することにした。

 公園では、小学生が遊んでいた。今日は始業式だけで、早めに終わったのかもしれない。

 あてもなく歩いていると、図書館の近くまで来た。せっかくなので、とりあえず入ってみる。
 夏休み明けに一斉に本が返却されたのだろうか。図書館の本棚は、心なしかいつもより潤っているような気がした。

 結局、本を一冊借りた。そんなに重い本ではなかったので、帰り道に荷物でずっしり重くなることもなかった。
 借りたのは、ヨシタケシンスケさんの『あつかったらぬげばいい』という絵本?だった。


 散歩から帰ると、レシートを整理しながら最近の支出を記録したり、下半期の収支計画を立てたりした。偉い。
 その後、散歩で歩き回った体は疲れている。その上、お金の計算で思考を支配された私は、何も考える気がせず、何をする気も起きながった。しばらくぼーっとしていた。

 少し復活すると、ヨシタケシンスケさんの本をペラペラとめくってみた。眺めているうちに、不思議と口角が上がった。
 「~~~なら~~~(すれ)ばいい」という、マリーアントワネットのような構文で、いろんなものとイラストが書かれている。

 そうだなあと思うもの、ツッコみたくなるもの、ふふっと笑っちゃうものなど、いろんなアイデアがあって、面白かった。また何度か、つかれた時にでも見返したい。

「つかれているのかどうかよくわからなくなったら つかれたことにすればいい」

『あつかったらぬげばいい』ヨシタケシンスケより
私のお気に入りの一行。

 このマリーアントワネットっぽい構文をお借りして、「書けないなら、先にサムネを選べばいい。」というタイトルを書いた。タイトルを書いた瞬間、なんだか気が楽になった気がする。

 むずかしく考えないで、出てきた自分の素直な言葉。他愛もない日常の中。そんなところに、きらめくもの、ほんのりとあたたかいものが、きっとあるはずだ。

 書くことは、きっとむずかしく考えなくていい。大したこと、シリアスなこと、熟考したことじゃなくてもいい。
 そうやって自分を許せるようになることは、きっと強さと呼んでいい。気ままに、自由に、ゆるりと、書いてみます。


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