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新時代にいきる女性たちへ。智恵子抄、高村智恵子の悲劇のあとにも残り続けるもの。

みどりの黒板いっぱいに、まるっこい字で、先生が書いている。
その日が、4月のはじめての授業だった。
中学2年生相手に、先生は好きなことばを書いている。
20代後半くらいにみえた。
よく通る声の、華奢な国語教師だった。
黒いショートカットに、くっきり二重の眼は、くろぐろとしていた。

文豪のことを、略して呼んだ。
鴎外、太宰、漱石、賢治。
中学2年生には衝撃だった。
ともだちのように、見知らぬ人を呼んでいる。
生徒たちのことも、苗字で呼びすてにした。
女子校だったためか、ほかはどの先生も、さんをつけていた。
呼びすてにしたのは、あとにもさきにも、このひとだけだった。

先生は、黒板に書きつづけている。
さほどうまくはない、トメやハネのない文字だった。
チョークの筆圧もつよくなかった。


高村智恵子ののこしたものだという。
ときは明治なかば。
彫刻家で詩人であった、高村光太郎の妻にあたる。
タイトルは「新時代にいきる女性たちへ」。
なんて、胸おどらせる題だろう。
女性たちに、新時代がやってきたのだ。
そう、それはいまのわたしたちとも、だぶっている。
14歳のわたしたちにも、輝かしい新時代がやってくる。
根拠なんてない。
だって21世紀なのだ。新世紀、あたらしい境目。
新元号に、なにか刷新されるような、あわいものを託すのと同じだ。
数字のカウントがかわるだけなのに、ひとはそれに、なにかを託す。
なにかを夢見る。
新時代にいきる女性たち。
封建制度が崩壊して、解き放たれた女性たち。
西洋女性のように、前にでるようになってゆく女性たち。
突然、ひらかれたのだ。
旧世代には、あたえられなかったもの。
その名は、自由。

新時代にいきる女性たちへ/高村智恵子
あなたご自身
如何なる方向
如何なる境遇
如何なる場合に処するにも
ただ一つの内なるこえ
たましいに聞くことをお忘れにならないよう。
この一事さえ確かなら
あらゆる事にあなたを大胆にお放ちなさい。
それはもっとも旧く最も新しい
成長への唯一の人間の道と信じます故。


智恵子の人生は、決して平坦にはおわらなかった。
彼女が、内なるこえを聞きつづけていられたのかも、首肯できないだろう。
それでもこのとき、彼女は願ったのだ。
明治なかばに豪商の家にうまれ、女学校から、大学にまで学んだ。
自分の才を信じて、洋画の道をあゆんだ。
それどころか、自由恋愛までしたのだった。
恋愛結婚がふつうになるまでに、時代はあと50年を必要とする。
半世紀も先取っていたのだ。
彼女はきわめて情熱的に、最愛の人と結ばれた。
きっとこのとき、大胆に自分を放ったんだろう。
ただひとつ、内なる声をきいたのだろう。
たましいにきいたのだろう。
それは、高村光太郎の智恵子抄に、いまも生き生きと留まりつづけている。
いかなる人生をあゆもうと、たとえそこに悲劇があろうと、その事実はゆるがない。
文学には、そのちからがある。

▼この本、何度読んでもつらい。

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