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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年9月の記事一覧

「何度も見る夢」を見た人として。

「何度も見る夢」を見た人として。

「何度も見る夢」の話をする人がいる。

同じシチュエーション、同じ登場人物、同じ展開と、同じ結末。そういう話を聞くたびに、ぼくは「うらやましいなあ」と思う。いかにも意味深な潜在意識を表しているようで、いかにも複雑なオブセッションを抱えているようで、いかにも感受性の豊かな人物であるようで、うらやましい。それに比べておれの見る夢なんか、ほんと即物的なものばかりだよ。その晩かぎりの刹那的な夢ばかりで、同

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「選ぶ」の先にあるもの。

「選ぶ」の先にあるもの。

第一回「前橋 BOOK FES」の開催が、1カ月後に迫っている。

前橋 BOOK FES、それは10月29日(土)と30日(日)に群馬県前橋市で開催される「本のフェス」である。正直なところ、どういうフェスになるのかぼくは、まだよく知らない。ただし、一般的な音楽フェスが「大勢のミュージシャンがやってきて、それぞれに演奏すること」を軸にしているのに対して、こちらのブックフェスは「大勢の作家がやってき

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要約によってこぼれ落ちるもの。

要約によってこぼれ落ちるもの。

自分の書いた本のタイトルで、エゴサーチをする。

ありがたいことに、感想を書いてくださっている方がいる。ツイッター上で短い感想を書かれている場合もあるし、ブログや note で長いものを書かれている場合もある。否定的な感想も含め、いずれもありがたい。ぜんぶを追うことはしないけれども、ときどき読みに行かせてもらっている。

それで、ここ数年の流行りなのだろう、感想とも書評とも違う、要約文めいたブログ

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寿司ではなく、鮨でもなくて、おすしが好き。

寿司ではなく、鮨でもなくて、おすしが好き。

きのう、おすしを食べた。

おすしは「鮨」と書き、「寿司」とも書く。もっとも「寿司」の字は縁起をかつぐための当て字であって、「鮨」が本則らしい。ところが、「寿司」が普及しすぎたせいだろう。いまでは大衆的なおすしを「寿司」と書き、高級なおすしを「鮨」と書くことが多いような気がする。

で、たしかに寿の入った「寿司」の字は、やたらとおめでたいのだけども、同じくらいに「鮨」もすごいと思うのだ。だってそう

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見えない、ということだけが見えている。

見えない、ということだけが見えている。

本を書いているときの著者は、どんなことを考えているのか。

「間に合わん」「終わらんぞこれ」「なんで先週もっとがんばらなかったんだ」「眠い」「寝たい」「泣きたい」。みたいなことは、当然考える。そればっかり考えている。しかし、「それ」ばかりを考えているということは、「それ」はむしろ、執筆時の通奏低音であるとも言える。そのへんの泣き言とは別に、考えることもあるだろう。

ぼくの場合は毎回、「これが世に

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犬と暮らすうれしさは。

犬と暮らすうれしさは。

きのう、犬好きの犬飼い3人でおしゃべりする機会があった。

自分の家の犬を語り、相手の家の犬を聞く。犬のかしこさ、犬のまぬけさ、そして犬の愛おしさ。いろんなことを語り合った。犬好きで、犬と暮らしている人の多くはきっと、「犬はいいなあ」と思っている。ほかの動物と比べるわけじゃないけど犬に、特別なよさを感じている。犬でしか埋められない心の空洞を、もしかしたら抱えているのかもしれない。いったいそれはなん

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他人のふんどしで相撲を取る、とは。

他人のふんどしで相撲を取る、とは。

他人のふんどしで相撲を取る、という言いまわしがある。

人様のモノやアイデアを借用して、いけしゃあしゃあとコトにあたること。そんな狡獪にして厚顔無恥なさまを指すことばだ。たしかに、人様のものを盗むのは悪い。金品を盗むことが犯罪行為であるのはもちろん、他人のアイデアを盗んだり、デザインを盗用したり、文章を剽窃することもまた、あきらかなNG行為だ。「他人のふんどしで相撲を取る」なることわざが存在するこ

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厚揚げをめぐる冒険。

厚揚げをめぐる冒険。

糖質制限、という考え方がある。

いまやダイエットにおいて主流の発想、または思想と言ってもいいだろう。ぼく自身、本格的なダイエットに取り組んでいるわけではないものの、そこにあるカロリーよりも糖質を気にしながら、食事を選ぶようになっている。ただし各食品の糖質に注目していると、ときおり理解不能な数値に遭遇することがある。その代表格が、厚揚げだ。

食品ごとの糖質が記載されたサイトに飛んでみると、たとえ

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ナマズのおじさんとの思い出。

ナマズのおじさんとの思い出。

いまではその面影もないものの、釣りが好きな子どもだった。

間違いなく『釣りキチ三平』の影響だ。近所の川や池で、子どもらしくフナなんかを釣っていた。ルアーをつかったバス釣りへのあこがれもあったのだけれど、こちらは一度も成功したことがなく、けっきょくミミズの餌に付け替えてフナを釣る日々を過ごしていた。

同じ団地に、釣りと料理が大好きなおじさんが住んでいた。あるときおじさん家族と一緒に釣りに出掛け、

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リタイヤしてもほしいもの。

リタイヤしてもほしいもの。

——病院はいま、お年寄りのサロンになっている。

社会保障費、とくに医療費まわりの話題になるとよく語られる話だ。どこが悪いというわけでもないのに病院を訪ね、「先生」に不調を訴え、ついでに短い世間話を交わし、待合室でご近所さんとべちゃべちゃしゃべったのちに湿布のひとつでももらって帰る。そしてまた数日ののちに、どこが悪いというわけでもないのに病院を訪ねてくる。このへん、制度的にどうにかしないと日本の社

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むしょうに食べたくなるものにこそ。

むしょうに食べたくなるものにこそ。

昼に、ラーメンを食べた。

むしょうに食べたくなって、ラーメンを食べた。それなりに好きなお店の、しょうゆラーメン。味玉やチャーシューを追加することはせず、シンプルを極めたようなラーメンを食べた。ラーメン屋に狙いを定めて駅前の道を歩きながら、「あるよねー」と思った。つまり、「むしょうにラーメンを食べたくなることって、あるよねー」と思った。

しかし、たとえばぼくがオランダの片田舎でチューリップを栽培

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スポーツをやっててよかったこと。

スポーツをやっててよかったこと。

高校時代、サッカー部だった。

ぼくの代ではたまたま優勝したものの、それ以外の年は県大会で毎回ベスト8にとどまる、中堅どころのチームだった。とはいえ毎日あほみたいに練習していたし、休日は盆と正月の2日しかなかった。フィールドの格闘技なんて呼び名もあるサッカーだ。レギュラー陣はたいていどこかに故障を抱えていた。ぼくとて腰と膝と足首を痛め、月に2度のペースで整骨院に通っていた。足首の怪我はわりと深刻な

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「おれごときが」の呪縛を超えて。

「おれごときが」の呪縛を超えて。

高校生のころ、ローリング・ストーンズが初来日を果たした。

もしかするとまだ「BIG EGG」の呼び名が残っていたかもしれない東京ドームでの、10DAYS公演である。高校当時にいちばん仲のよかったサッカー部の友だちが、どうにかしてこれに参加しようと画策していた。学校を休んで東京に行くことについては、親を説き伏せたという。交通費や宿泊費、チケット代を含めて出してもらえることになったという。ただし、そ

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そうは語らずとも心の準備を。

そうは語らずとも心の準備を。

ニュースを追うような話は、なるべく書かないようにしているのだけれど。

エリザベス女王が亡くなられた。「健康が懸念される状態」と報じられたのが昨夜。その特殊な、どこか符牒めいた言いまわしのあと、英王室メンバーが続々と女王のもとへと向かっていると報道は続いた。ぼくが気づいたころにはすでに、BBCが特別報道番組を組んでいた。女王の健康を気遣いながらも、女王の足跡や功績を振り返ってみたり、王位がチャール

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