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むしょうに食べたくなるものにこそ。

昼に、ラーメンを食べた。

むしょうに食べたくなって、ラーメンを食べた。それなりに好きなお店の、しょうゆラーメン。味玉やチャーシューを追加することはせず、シンプルを極めたようなラーメンを食べた。ラーメン屋に狙いを定めて駅前の道を歩きながら、「あるよねー」と思った。つまり、「むしょうにラーメンを食べたくなることって、あるよねー」と思った。

しかし、たとえばぼくがオランダの片田舎でチューリップを栽培する気のいい農夫だとした場合、ラーメンを食べたことがない可能性は多いに考えられる。ラーメンなる食べものを知らない人だって多いだろう。そうすると当然のように「むしょうにラーメンを食べたくなる」なんて誘惑に襲われることもない。

一方、オランダの地を訪ねたことのない自分は、たとえば先ほどウェブ検索で調べた「キベリン」というオランダ料理を知らない。なんでもオランダの代表的なファストフード、またソウルフードらしいのだけど、どんな姿をしたどんな料理なのかも想像がつかない。そしてソウルフードということは、オランダ人たちは「むしょうにキベリンを食べたくなる」ことがあるのだろう。そういう人が、何十万や何百万という単位でいるのだろう。

うん、ものすごく当たり前の話をしていることはわかってる。

でも思うのだ。おれは「むしょうに食べたくなるもの」がラーメンやカレーやカツ丼の国に生まれてよかったなあと。そして日本という国においてナショナリズムはとかくタブー視される発想になっているものの、「食べもの」の旗のもとであれば健全なナショナリズム(この国に生まれてよかった感)を育てていけるんじゃないかと。

たとえば世界中に散らばる華僑の人たちだって、案外「食べもの」の旗のもとに、自分らの誇りや文化を守っている気がするんですよね。どこの国に行っても見かける中華街は、実質「中華料理街」でもあるわけだし。