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見えない、ということだけが見えている。

本を書いているときの著者は、どんなことを考えているのか。

「間に合わん」「終わらんぞこれ」「なんで先週もっとがんばらなかったんだ」「眠い」「寝たい」「泣きたい」。みたいなことは、当然考える。そればっかり考えている。しかし、「それ」ばかりを考えているということは、「それ」はむしろ、執筆時の通奏低音であるとも言える。そのへんの泣き言とは別に、考えることもあるだろう。

ぼくの場合は毎回、「これが世に出たら」のことを考えている。われながらまことにおめでたい性格だと思うけれども、「この本が世に出たらすごいことになるぞ」みたいな妄想を、膨らませている。売れるとか売れないとかとは別の次元の「すごいこと」を妄想するのだ。

妄想だとはいえ、そういう「すごいこと」をイメージするためには、完成形が見えていないといけない。いま自分の手元にある原稿が、どういうかたちの「本」になるのか、おぼろげながら見えている。それだからこそ「この本が世に出たらすごいことになるぞ」と思えるのだ。「だってこんな本、これまでになかったもん」とか、「こういう本を、あのころのおれはほしかったんだもん」とか。

ひるがえって現在書いている原稿。これはまったく「本」としての完成形が見えない。「原稿」と「本」とのあいだに、ものすごくおおきな「編集」の工程が入る類いの本だからだ。

すごい本になるだろうとは思いつつも、どこがどんなふうにすごい本になるのか、どんなかたちの本になってくれるのか、まだ見えない。ただ、これまでにつくってきたどんな本とも違う、かなりチャレンジングな本をつくろうとしていることは確かだ。

……なんて期待を持たせるようなこと書いてますけど、たぶん刊行はずっとずっと先の話です。それでも最近、出社するのがたのしみなんですよ。早く会社に出て、原稿の続きを書きたくてたまらないんです。ここまで純粋な欲求はぼくにとって、なかなかにめずらしいことなんですよ。