「何度も見る夢」を見た人として。
「何度も見る夢」の話をする人がいる。
同じシチュエーション、同じ登場人物、同じ展開と、同じ結末。そういう話を聞くたびに、ぼくは「うらやましいなあ」と思う。いかにも意味深な潜在意識を表しているようで、いかにも複雑なオブセッションを抱えているようで、いかにも感受性の豊かな人物であるようで、うらやましい。それに比べておれの見る夢なんか、ほんと即物的なものばかりだよ。その晩かぎりの刹那的な夢ばかりで、同じ夢なんか見たこともないよ。そう思っていた。
しかしながら最近、自分もそれこそ何度となく、同じ夢を見ていることに気がついた。居眠り運転の夢である。夜道の運転中——そう、それは決まって夜道だ——に、ふと意識が途切れる。一瞬、あるいは数秒、眠ってしまっている。寝ちゃだめだと思いながらも、まぶたを持ち上げることができない。しかも路肩に止めるという選択肢が、自分にはなぜかない。眠っては目を覚まし、目を覚ましては睡魔に負け、後続車にクラクションを鳴らされたりしながらあてもない危険なドライブを続ける。物語もなにもない、それだけの夢だ。
夢の内容は決しておもしろいものではないし、潜在意識の表れとも思えず、ただ眠たいだけ(だって睡眠中だから)としか思えないのだけれども、個人的におもしろいのは、自分が長年これを「ほんとうの出来事」だと思い込んでいたことである。
だれにも言えないけれど自分は、ときどき居眠り運転をしてしまう。いまのところ事故ったことはないけれど、数秒寝てしまうことがよくある。いつかきっと本格的な事故を起こすだろう。——明確に、ことばとして意識したことはないものの、心のどこかにそういう「ざわざわ」のようなものを抱えていた。何度もくり返し同じ夢を見ることによって、「こんな夢を見た」との思いが「こんなことがあった」へと改変されていったのだろう。
それでね。ここでの夢を「嘘」と言い換えるならば、自分についてずっと同じ嘘をついている人は、もはやそれが完全に「こんなことがあった」になっちゃうんですよね。ぼくの居眠り運転がそうだったように、自分でもそれを嘘(夢)だと思えないところにまで進んじゃう。いやこれ、経歴詐称とか学歴詐称とかの話ではなくって、「こんな家庭に育った」とか「こんな子どもだった」とか「部活でこんな活躍をした」とかの、自分以外に検証しようのない過去についてはもう、みんながみんな改変されてると思うんですよ。程度の差はあったとしても。なにがほんとなのか、だれにもわからない。
本日公開された「唯一無二のイノベーター、プリンスの革新性」では、格闘技ドクターの二重作先生と一緒にそんなところにまで踏み込みながら、プリンスという希代のミュージシャンについて語り合っています。
↓ PART1 「プリンスとニール・カーレン」
↓ PART2 「現実と虚構」
↓ PART3「コントロール・フリーク」
しかもこれ、まだまだPART4、PART5と続くんですよねー。
それぞれ20〜30分もある長いビデオですが、土日のヒマなときにでも見ていただけるとうれしいです。そしてプリンスという人やその音楽に興味を持っていただけると。