本を読むのは知識の消費に近い。
インプット力の産物
学歴とは、個人の努力値と親の年収が反映されたものであり、世の中一般的に見た時にこの人は努力できる人である可能性が高いと受け取られることが多いものだと思う。(多分に反論は受け入れるよ)
真面目に授業を受けて、
真面目に学校に通い、
コツコツ机に向かって勉強をし、
テストで点数を取ってきた。
それは紛れもない事実である。
少なくともインプットする力はあると思う。
本を読むのは知識の消費に近い
私はとにかく色んな本を読む。
大学時代、今も"雑食"というくらいにジャンルレスでとにかく本を読む。
今は、海外旅行のガイドブック(来月の海外旅行のため)とお金の増やし方(将来を不安なく過ごすため)とマーケティング関連(仕事のため)と、あとは娯楽のために小説を読んでいる。
本を読むことは簡単だ。
映画やお笑いを好きな人がいるように私は本が好きなのだ。
なぜ好きか?と問われたら、
誰かが一生かけて突き詰めてきたものを自分が知れるのは、人生を何周もできると感じるからだし、自分の有限の時間の中で全てを実体験する訳にもいわないから、先人の知恵を本で学べるのはコスパが良いと考えるからだ。
だから、読書自体に、偉いとか凄いとかはない。純粋に新しい知識を得ること自体が楽しいのであり、新しい世界に出会える感覚を常に感じている。
ただ、あえて批判的に捉えると、
インプットに留まっているし
知識を体系化できていないし、
社会に活用出来ていないと、感じる。
本を読む行為だけでは知識の消費に近い。
それではあまり意味が無いように思う。
自分が何を思い、何を学び、
何に疑問を持ち、何が分からなかったのか。
それをアウトプット出来なければあまり効果がない。
スティーブ・ジョブズの「コネクトドッツ」は、知識が点と点とが繋がったから出来た成功事例であるが、自分の中で整理されているからだ。
単に知っている、だけではもはや価値がなくなった時代を僕らは生きている。
ググッたら簡単に情報にアクセスができ、
chatgptを使えば文章だって一瞬に書いてくれる。
情報をどう活用するか、
つまり、自分はそこから何を考えるのか、が問われているのだと思う。
だからこそ、大学の教授に
この本読みましたと伝えた時に、
「そこからなにを学んだの?」「あなたはどう思う?」と聞いてくれたこと、
大学時代インターン先の先輩が、
「その本を読んであなたの行動はどう変わったの?」(本の情報をどう考えどう活かしているのか)を問うてくれたことを思い出す。
結局は、何を知っているかではなく、
そこから何を学び、行動に移したのかの方が大事だから。
勇気ある知識人について考える
私の出身大学の教育指針は「勇気ある知識人」であった。その言葉が刻まれたグッズも大学生協に売られており、よくネタにされていた気がする。
下記に原文を記す。
あまり深く考えてこなかったし、
多分に解釈の余地があるためカットさせてもらう、、。
入学式、卒業式で学長がことある事に口にする「勇気ある知識人」について、インタビュー記事には下記のようにあった。
つまり、個人の解釈に委ねるけど、ちゃんと自分で「考え」て行動するんだよ。ってことが言いたかったのかなと思う。
やっぱり、考えることが大事だよねと受け取っている。
ただ、知識を知っていることと
教養があることは少し違う。
魚のある場所を知っているより、
魚の釣り方を知っている方がいい。
水がある場所を知っているより、
井戸の掘り方を知っている方がいい。
社会は変わりゆくため、
今求められている知識と
30年後当たり前になっている知識は異なる。
実際、大学卒と専門学校卒の違いは
「今」求められてる知識を学ぶか、
変わりゆく社会でも通じる考え方を学ぶかの違いがあると思う。
(と、うちの教授たちは言っていた。)
もちろんそこに学ぶ意思がなければいけないが、、。
教養とは何か
そもそも、教養とは何か。
教養とは英語を話せることか。
「It's piece of cake(朝飯前さ)」を知っていればちょっと鼻が高い。自分が触れられる情報源が広がる。さらに、第2外国語を齧っていればもっと多くの文化圏の人とコミュニケーションが取れる。
つまり、世界が広がる。
教養とはニュースに詳しいことか。
ウクライナ戦争のこと、トルコの地震のこと、環境問題 etc...。世界ではいつだって何かしらの問題があり、そこに関心を持って自分事化することで世の中への知覚が高まる。
けれど、
僕は、自分の軸があって芯がある人、
自分の価値観があるけれども人には押し付けない人に対して「教養」があると思う。
それは、自分の価値観、大切にしたいものがあり、そのために必要な知識を持ち、アップデートし続けているように感じる。
また、別の軸で言うならば
教養とは自分の思考体系であり、自分の思考のくせでもあり、立ち返ることが出来る道標みたいなものだと思う。
単に知っているだけでなく、
新しいものを学ぶ時、新しい考え方に出会った時に、自分が積み重ねてきたものを活かして当てはめて捉えることが出来るのだと思う。
そこに、知識と教養の大きな壁があるように思うし、勇気ある知識人が目指しているものは、単に豊富な知識を備えた人では無いと感じる。
だからこそ、自分に当てはめた時、
自分が実践するとしたら、
なぜ?と、だから何?という自問を大切にしながら、読書を続けたいと思う。
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