古山 拓

画家。フリーランスイラストレーター 。旅好き。年数回の個展の他に、広告や絵本の絵を依頼…

古山 拓

画家。フリーランスイラストレーター 。旅好き。年数回の個展の他に、広告や絵本の絵を依頼されたり。今は妻と二人暮らし。子供は2人、描くことで育て上げました。

マガジン

  • ちいさな絵物語

    水彩画制作の裏の裏。旅のことや描くときに考えていること。そして画家の体験記

  • モリアル開墾日記〜森暮らしの画家の週末

    絵描きが森にアトリエを構えたら。 還暦直前、森に週末移住をはじめたフリーランス画家・イラストレーター の開墾記です。

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最近の記事

椅子と神戸と硫黄島

アトリエ・アルティオには一脚のアンティークな椅子がある。 1940年代に神戸の家具職人さんが作ったと言われるその椅子は、シンプルだけど、神戸という土地柄を匂わせるお洒落さを合わせ待っている。  と同時に、八月十五日が近づくと、いろんなことをぼくに話しかけてくる。 ぼくは、知人を介して、ある老婦人からその椅子を譲り受けた。2015年のことだ。 「父が作った机や椅子はとてもお洒落でしょ?今見てもさすが神戸の人だと思うのよ」 手狭なマンション暮らしをせねばならず、アンティー

    • 行き着くところは、海

      アイルランドのリムリック近郊の小さな村で見つけた緑の扉の玄関をモチーフに一枚の絵を描いた。旅したのは1999年だ。 その旅を終えてすぐに、小さなサイズで緑の扉の絵を描いていた。珍しく妻が気に入って「個展には出さないで」と頼まれ家にかけていた。 時が経ち、仕事のペースや環境が変わったからだろうか、昨年、無性にその扉を、ちょっと大きなサイズで再度描きたくなった。 20号で描いた絵をこの春の個展に出展たところ、嬉しいことに嫁ぎ先が決まり、売約済みの札が貼られた。 その後、ぼく

      • 60回目の「ありがとう」

        ぼくの初めての個展を開いた場所は仙台のマチナカの雑居ビル4階に入っていた貸しギャラリーでした。 今から四半世紀前、1997年のことです。 その個展への流れは、初めから「初個展をやるぞ!」という意気込んでの制作ではありませんでした。 フリーランス三年目、激務がたたって体調を崩し、そのリハビリを兼ね、英国のコーンウォール半島に旅したのがきっかけでした。 帰ってきた時に、手元には、数冊のスケッチブックがありました。そのギャラリー運営者が偶然見て、 「額に入れたら個展ができるん

        • 30年のシンクロニシティ

          答えはそう簡単には見つからない。すぐにもらえた答えなんて、答えの顔をした「思い込み」に過ぎない、と、思うようになった。 先日、3人の別々の方から、リアルとSNSを通じて「夜と霧」の話題が僕の元へ届いた。これをシンクロニシティと言わずになんと言おうか、というタイミングだった。 第二次世界大戦当時、ポーランドクラクフ近郊にあったユダヤ人強制収容所「アウシュビッツ(ポーランド語:オシフェンチム)強制収容所」を実際に体験した心理学者が書いた本だ。 高校時代に読んだ記憶はあったの

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        記事

          心に残る二羽のさえずり

          いつもコンスタントに描く仕事があるとは限らない。大波小波、そして凪。その繰り返しを1994年の独立から乗り越えてきた。と言えば聞こえが良すぎるね、28年、ひたすら流れに翻弄されるちっぽけな木っ端。 波に飲まれては溺れかけ、浮上しては引きずり込まれる…ほとほとアーティストサクセスストーリーとは程遠い。 そんな中、「やりたいことをやれ。命は短い、生きることに恋しなさい」。そう教えてもらった忘れられない出来事がある。 もう四半世紀ほど前になるだろうか。当時のぼくは受注の波の底

          心に残る二羽のさえずり

          モン・サン・ミシェルの引力

          いろんなところを旅してきたけど、大地が持つ磁場に引き寄せられるって、あると思う。 いくつもあちこちにあるわけではない。思いつくところでは、インドのドンガルカル近くの山だったり、イギリスの湖水地方ケズゥィック近郊の丘。ブルターニュのなぜかたどり着いてしまった小さな村といったところが思い浮かぶけれど、強力なところがモン・サン・ミシェルだった。 思い返せば、ぼくがはじめて聖ミカエルの山=モン・サン・ミシェル寺院を知ったのは小学生の時。1970年代とかなり昔のことだ。 岩手の山

          モン・サン・ミシェルの引力

          絵のあるおはなし~三方良しのスモールワールド~

          ぼくの描く絵の値段は大方サイズで決まっている。 勝手に決めているわけでもなく、デパートや画廊での個展の過去実績が元になり、1号という絵の世界独特のサイズ(面積)あたりの単価が基準になっている。 美術ウン鑑、美術○データブックなんて厚い業界本にその作家ごとの号単価は載っている。(掲載しない主義の作家さんもいますので、それが全てではありません。念のため) 22㎝×16㎝。これが1号の面積だ。 「あの作家は号単価〇〇円」というハカリかたになるわけだ。 ぼくは初個展で「初めて額に

          絵のあるおはなし~三方良しのスモールワールド~

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          透明水彩で描く乗り物図鑑

          透明水彩で描く乗り物図鑑

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          モリアル開墾日記・5〜世界の中心の暖め方

          2022年の元旦は、娘が休みをもらえたこともあり、仙台の自宅で迎えたぼくらだったけれど、正月三が日目に川崎町の森のアトリエギャラリーにやってきた。ちなみにここは蔵王国定公園内に位置している。 川崎町サバトの森にある「森のギャラリーアルティオ=モリアル」の敷地の積雪は、深いところで20センチくらいと想定内。妻と二人で一時間ほどの雪かきで済んだくらいなので、そう驚くほどではない。 なんといっても、ここは東北だ。 標高330メートルの山あいでこれくらいだから、奥羽山脈を越えて向こ

          モリアル開墾日記・5〜世界の中心の暖め方

          モリアル開墾日記・4

          森の季節の移り変わりは、早い。月イチペースで開墾日記を描こうと思っていたのだけれど、気がついたら師走も大晦日。 秋の個展や九州への原画展での出張に追われているうちに、森のアトリエアルティオ=モリアルは、すっかり雪景色になってしまった。 週の半分は町暮らしで半分が森暮らしなんだけれど、季節の移り変わりが手にとるようにわかるのは、もちろん森だ。 朝夕の気温や日の翳り方でどんどん季節が自分を追い越していくのがわかる。 初めて薪ストーブを焚いたのも、街中だったら「え?もう?」と思

          モリアル開墾日記・4

          モリアル開墾日記・3

          アトリエギャラリーを森の中に構えて半年が過ぎた。森のアトリエアルティオ 。はしょってモリアル整備は少しずつ前に進んでいる。 新緑だった春から梅雨を経て、緑の濃さは勢い増し、気がつけば秋。毎週末仙台から川崎町青根へと通っているわけだけど、7日ごとに自然の色が変わっていくことに驚いている。 森の暮らしは、やることだらけだ。手を抜くと、というか、なすべきことを先延ばしすると、間違いなくしっぺ返しを食らうことも実地で学びはじめている。 梅雨の時期は、想像越えた湿気との戦いだった

          モリアル開墾日記・3

          絵本に何を描くのか

          ぼくの仕事は本当に多岐にわたる。広告のためのカットから、ポスタービジュアルイラスト。裁判所に出向いて新聞掲載の法廷画をえがくこともあれば、書籍の表紙から絵本まで、本当にいろいろだ。 ベースが仙台。 出版社や広告代理店がひしめく東京とは、しごとを受ける過程、勝手がちょっと違ってくる。 表現タッチを問わず、なんでも受けてこなさねば暮らしが成り立たないという、地方独特の隠れ流儀みたいなものがある。 そんな中で何十年イラストや絵を描いてきたわけだけど、実は東京に売り込みを重ねた

          絵本に何を描くのか

          モリアル開墾日記・2

          10月13日、藤崎百貨店で16回目、旅個展としては59回目の個展を終えた。初個展は1997年。売れても売れなくても、売れるかどうかわからない絵をひたすら描き続け、毎年回を重ねてきた。よくもまあ描いてきたものだ。 ぼくは俗に言う画壇に属していない。画壇とは「〇△展」と呼ばれる会派だったり、〇〇先生のお弟子さんだったりを指す。モノの本によっては、日本の絵画の世界では画家として生業を立てるなら画壇に属する事が必要になる、とまで書かれている特殊な世界だ。 何度かぼくも入りかけたり

          モリアル開墾日記・2

          モリアル開墾日記・1

          絵描きのぼくが、自分で自分のギャラリーショップを持つことになるなんて、10年前は考えてもいなかった。もう誰も覚えていないような仕事の原画を処分できない言い訳に、「いずれ美術館がたった時に必要になるから…」なんて冗談で言っていたことはある。 それがあれやこれや、ありえないような出会いと縁が重なり、「持ってしまった」のが7年ほど前のことだ。名前はアトリエアルティオ。名前は好きなケルトワールドの熊の女神にあやかった。10坪のテナントだったけど、気がついたら契約、開店していた、そん

          モリアル開墾日記・1

          あいまいな終わりとゆるやかな始まり

          過去、振り返ってみると、卒業、とか、退社、開業、そういった節目のはっきりした記憶が、ぼくにはない。 勤続○○年叙勲の高級時計とか、映画で見たことがあるけど、フリーランス自営業は節目の記念品を仲間からもらうことも無い。 そんなわけで節目はいつも曖昧で、日々追われているうちに忘れてしまう。 昨日8月31日は、7年間運営してきた立町のギャラリーアトリエ・アルティオの賃貸契約終了日だった。 がらんとした室内で鍵を返すために管理会社の立会人を待っていると、「こんにちは!」と女性と

          あいまいな終わりとゆるやかな始まり

          小さなサインと雨しずく

          変則的な祝日ですね。雨の中、川崎町青根の森の新アトリエへきています。 仙台の立町に構えているギャラリー店舗のテナント契約も8月いっぱいで終わり。ちょっと寂しい。 テナント退去は借りた時に戻すのが基本です。実はプロパンガス収納倉庫が殺伐としすぎてたので、数年前に花をペインティングしました。もちろん友達のオーナーに許可を取ってね。 そういう経緯もあってか、友人オーナーが「壁面アートは消さんでいいよー。タクの絵、バンクシー並みに高値つくはずだから」 というわけで、仙台にアー

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