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30年のシンクロニシティ

答えはそう簡単には見つからない。すぐにもらえた答えなんて、答えの顔をした「思い込み」に過ぎない、と、思うようになった。

先日、3人の別々の方から、リアルとSNSを通じて「夜と霧」の話題が僕の元へ届いた。これをシンクロニシティと言わずになんと言おうか、というタイミングだった。

第二次世界大戦当時、ポーランドクラクフ近郊にあったユダヤ人強制収容所「アウシュビッツ(ポーランド語:オシフェンチム)強制収容所」を実際に体験した心理学者が書いた本だ。

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高校時代に読んだ記憶はあったのだけれど、手元にすでにその本はなく、改訂翻訳版が出版されていることを知り、手に入れた。

あっという間に読み終えた。けれど、恥ずかしくなったのは、これほどの内容のほんの一部分も、覚えていなかった...ということ。一体高校生のぼくは何を感じてページをめくっていたのだろう?40年以上前の初読とはいえ、どこか覚えていても良いはずなんだけど、これっぽっちも既読感がなかったことの情けなさ。多分、若かった当時は「読む」という行為が大事だったんだろう。

アウシュビッツではないけれど、「収容所」を舞台にした絵本を、実はぼくは手がけている。「交響曲第九 歓びよ未来へ!」という本だ。文章は児童文学作家のくすのきしげのりさん。ぼくが全ページ絵を描き、PHP研究所から出版されている。徳島板東に実在したドイツ兵捕虜収容所の話だ。

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第一次世界大戦後、青島の戦いで降伏したドイツ兵捕虜が徳島の収容所にやってくる。彼らを迎えた収容所長は捕虜ではあるけれど収容所内で、外で自由を許した。ドイツ兵たちは楽団を組み、ベートーベンの第九「歓喜の歌」を演奏することで、所長への感謝を伝える…というあらすじだ。

実は、この本の絵を描くときに、ぼくは一冊の古いアルバムを開き、数枚の写真を剥がして手元に置いていた。これがその写真だ。

アウシュビッツ3

この写真がどこかというと、アウシュビッツユダヤ人収容所跡だ。1992年、ポーランドの現地に旅したぼくが撮ったものだ。

アウシュビッツ2

当時はデジカメがない時代だ、渡航するときのフィルム本数は、X線を通さない袋に入れられるだけ、と、限られていた。荷物を極力減らすバックパッカーだったから、ザックの中に入れていたフィルムは、36枚撮りが1ダースだったと思う。二ヶ月間のヨーロッパ放浪の中でのポーランド・アウシュビッツ行きだったけれど、滞在はわずか一泊だった。だから手元に残っている写真は数枚だけだ。

徳島板東とアウシュビッツは、収容された人たちの自由度は全く違っていた。けれど、「収容所」という舞台を描くにあたって、30年前に体験した収容所の負の空気、その記憶を掬い取って仕事に取り掛からなければ、と思ったわけだ。ぼくは仕事するとき、そんなふうに自分の過去体験を振り返る癖がある。

「自由」の反義語はいくつもあるけれど、「抑圧」もその一つだと思う。

自由を描くとき、抑圧のイメージを探らずには、納得した自由は描けない。何事も反対側を探らなければ、描きたいものは描けない。光を描くには闇を知ることが必要なんだ。

話が逸れた。

ぼくは1992年、ポーランド・アウシュビッツを訪ねる旅をした。ウィーンでチェコスロバキア大使館に出向き、国境越えるための通過ビザを取り、夜行列車でカトビッツェへ。(当時は東欧に行くためには、ビザを現地で取るしかなかった)汽車を乗り換え、クラクフへ。汽車は枯野をひたはしった。

夜中の国境越えで叩き起こされ詰問されたり、乗り換えた汽車はぎゅうぎゅう詰めでずっと立ちっぱなしだったり…その行程はどんよりした枯れ野しか記憶にないほど気が滅入る旅だった。旅の神様は「目指す場所はね、物見遊山で行くところじゃないんだよ」と、その景色を用意してくれたのかもしれない。ほうほうの体でたどりついた目的地の収容所跡では、現地に残る負のエネルギーに徹底的に打ちのめされた。

あの旅から数十年。アルバムから剥がした写真は、そんな記憶を掘り起こし、そのおかげで、絵本「交響曲第九 歓びよ未来へ!」は完成できたのだと思う。

3キャラ造形

そして読んだ、「夜と霧」。

内容は冒頭書いた通りの壮絶な収容所内を記録したものだけれど、ぼくの心に残ったのは、思いもかけない一筋の光と希望だった。

こんなくだりがあった。

病に倒れ、明日にも命が消えようとしている女性がいたという。悲惨な収容所の中で、彼女は、「こんな苦を味わった自分は幸せだ」と言ったという。収容所の窓から見える一本のマロニエの木と対話し、大いなる存在を感じとる...そんなページがある。

冒頭でも書いたけれど、著者は心理学者であり、学者としての立場から本を書き記す、と明言している。被収容者であるにもかかわらず、全編とおして冷静な視点だ。

その著者が、女性の木との対話を、熱に浮かされたことによる妄想とは片付けていない。ぼくは思った。「人間が置かれた環境から何を導き出すか?それは個人個人の自由なんだ。」

今、ウクライナで非情な戦いが繰り広げられている。ニュース映像を見るたび、痛い心でぼくの目が探すのは、不思議なことに戦場の向こうに立つ、枯れた木々。そして非条理なんだけど、その枯野にたつ姿に「なんて世界は残酷なのに、木々は美しいんだろ...」と心の声が重なるのだ。

なぜ、枯れ木にぼくの心は揺さぶられるのだろう??。

ある時ふと気がついた。「今、ニュースの向こうに立つ木々は、カトビッツェ、クラクフ、アウシュビッツでぼくが見た木々だ...」

アウシュビッツ1

ぼくはかつて東欧で見た木々と対話していたのだ。

アウシュビッツでぼくの心に深く沈んだ何かが、数十年の時をへて、絵本を通して浮きあがり、「夜と霧」に結びついた。それは30年かけてすり合わされたシンクロニシティだったように思う。

アウシュビッツの女性は、確かに一本のマロニエと対話したのだ。

彼女の心は凄惨な強制収容所においてさえも、限りなく自由だったに違いない。だからこそ、彼女は、時代を越えて「ぼくと対話している」んだと思う。

自由な心はどこまでも羽ばたいていけるのだ、きっと。

17祈りの風景_ウクライナへ#11200










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