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絵のあるおはなし~三方良しのスモールワールド~

ぼくの描く絵の値段は大方サイズで決まっている。
勝手に決めているわけでもなく、デパートや画廊での個展の過去実績が元になり、1号という絵の世界独特のサイズ(面積)あたりの単価が基準になっている。
美術ウン鑑、美術○データブックなんて厚い業界本にその作家ごとの号単価は載っている。(掲載しない主義の作家さんもいますので、それが全てではありません。念のため)

22㎝×16㎝。これが1号の面積だ。
「あの作家は号単価〇〇円」というハカリかたになるわけだ。

ぼくは初個展で「初めて額に入れて値段つけるわけだし、まあ、これくらいなら買ってもらえるかも…」とそれはアバウトに価格をつけたのがスタートだった。号単価なんて言葉も知らなかったし。25年前のことだ。

初個展から四半世紀経ち、今は号あたりの価格も業界紙に掲載されて、仙台でも東京でも大阪でも変わりない商いをさせてもらっています。

絵の値段やギャランティの話はいろんな切り口でなんぼでもできるけど、今回はぼくがオリジナルアート作品としてネーミングしている小さな絵「ちび絵」の生まれたいきさつを書きたいと思う。ちょっと画家のオカネの話も絡んでくるんで。

ぼくには娘がいる。小さな頃から取材旅に連れ回したり、貸画廊での個展では販売を手伝ってもらったり、あるときは売ってもらったり(なんてアコギな親だ)、なんとなく「絵を売るという仕事」をサポートくれている小さな存在だった。

彼女が高校生だった時、ある時、ぼくにこう言った。
「高校生がアルバイトして買える値段の、オリジナルの絵ってないのかな」

「おいおい、そりゃ無理だろ。バイト代って数千円、だろ?」

ぼくは絵描きだけど自営業者でもある。
「一日これくらい稼がなきゃ自営業はやっていけないんだぞ」とか、「時間単価ってものもあってな、一枚にいつまでもかけてたら商売にならん。俺は一時間の単価は〇〇円。時間内に仕上げるのが大事なんだ」、、、なんて偉そうにトウトウシャアシャア。どう考えてもうざいオヤジだ。

「じゃさ、時間単価内で描ける絵って、できないの?」

「小さくすりゃできるだろうけど、そんなちびっこい絵、誰が買う?」

「額に入れたら可愛いんじゃない?この世に一枚しかないパパの絵、小さくても私、買うよ」

そうか、1号の作家価格は決まっているけど、それよりぐっと小さいサイズなら、、、ありかも、いけるかも!

モチーフは好きなヨーロッパ旅風景。今まで散々取材旅の距離だけは稼いできた。描ける風景は腐るほどある。
早速水彩紙を7センチ四方くらいに切り抜き、描いてみた。エッセンスがぎゅっと筆先に濃縮される。いい感じだ。

額専門店に走り、きちんとした額を探す…とあるではないか、10センチスクエアの額縁が。(今だからスクエアは定番だが、インスタが世の中を席巻する前の時代だ。スクエアはある意味チャレンジでもあった)
マット(額と絵の間にある余白の厚紙です)も切ってもらい額に入れてみた。電卓叩いて出た数字は、ギリ高校生のアルバイト2回分!

娘に見せると「いい!これ、買った!」

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もちろん売った買ったはしなかったけど、その笑顔と小さな額絵が重なり、ちびっこかった頃の娘にオーバーラップ。ふと出たネーミングが「ちび絵」だった。

お小遣いで買える小さな水彩画=「ちび絵」を描いた枚数は、それ以降、数え切れないほど。画面のサイズは6.5センチ四方にフィックス。それが一番描きやすいこともわかった。

結果、世界に一枚しかないスモールワールドは、ぼくが絵を商う紆余曲折の中でやってきた「アートという商い」の答えの一つだと思っている。いや、だって、ぼくも嬉しい。お客さんも笑顔。アートも広がる。
それこそ三方良しだもの。

今、娘は飲食店を展開する会社に勤務し、一つの店舗を任されている。その娘に昨年、こんな話を持ち出された。

「パパさ~、うちの店にワンコーナー作って、ちび絵を並べない?旅好きな人も結構くるんだ。お客さん、絵も楽しんでくれると思うんだよね」

娘がきっかけを作ってくれた「ちび絵」の世界。バカ親として断る理由はもちろん一つもありませんでした。

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