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行き着くところは、海

アイルランドのリムリック近郊の小さな村で見つけた緑の扉の玄関をモチーフに一枚の絵を描いた。旅したのは1999年だ。

その旅を終えてすぐに、小さなサイズで緑の扉の絵を描いていた。珍しく妻が気に入って「個展には出さないで」と頼まれ家にかけていた。

時が経ち、仕事のペースや環境が変わったからだろうか、昨年、無性にその扉を、ちょっと大きなサイズで再度描きたくなった。

20号で描いた絵をこの春の個展に出展たところ、嬉しいことに嫁ぎ先が決まり、売約済みの札が貼られた。
その後、ぼくがいないときにもう1人のお客様が見えて、「どうしても欲しい。同じ絵を描いてもらえないか?」と問い合わせがあった。

「水彩画は偶然が左右するので同じには描けないけれど、それでもよければ」と引き受け、先日、完成。画廊に届けて絵は無事収まった。

昨日、ぼくがロゴやユニフォームデザインを手がけた新クリニックを立ち上げたばかりの菅原準ニ院長からメールが着信。添付の画像データを開けて驚いた。アイルランドの扉の絵がクリニックの壁面にかけられているではないか。…何がどうなってるんだ??すぐにぼくは先生に電話した。

送られてきた写真。中央が菅原先生。右がM先生
「アイルランドの扉」

「古い付き合いのM先生が数十年ぶりにいらしてね。お祝いにプレゼントしたいというんだ。届いた絵を見て驚いたよ。拓ちゃんの絵じゃないか!」
ちなみに菅原先生とぼくは15年ほど前に知り合い、先生の著作研究書の挿絵や、主催した学会のロゴを手がけさせていただいている。患者ではないけど、なぜか縁が深い先生だ。世界の矯正歯科学会から注目されている名医でもある。さらにいうと、M先生とは画廊を通じてオーダーをもらったので一度も面識がない上、職業だって知らなかった。

描いているとき、「この絵はいつか誰かの家にかけられる」という感覚がいつもある。そして、今までそのようになってきた。

一年かからずに行き先が決まる絵もあれば、10年、20年かかって、すっ、と、嫁入りしていく絵もある。

だからいつも思う。絵は川を流れる水のやうなものだ。流れはいつか、母なる大海に溶け合う。ぼくを通して生まれた絵は、いつか、帰るべきところへ帰っていく。描いている時は見知らぬ誰か。けれど必ず繋がっている誰かのために描く。それが描く道を選んだぼくの仕事なのだ。

絵を描いたアトリエのすぐ近くの渓流

絵がかけられている場所は、仙台の矯正歯科「菅原準二クリニック」。世界の歯学界にその名を知られた名医の新しい舞台に、絵という花を添えさせていただいた縁。導きという言葉をあらためて信じずにはおれない出来事でした。







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