ふくしから捉え直す「取材者」のあり方|前野有咲|2022-23 essay 03
予定通りから想定外へ
「予定通りにうまくいって、いい一日だったな」
そう一日を締めくくろうとしているときは、何か大事なものを見落としてしまったのだと思うようになった。予定調和なんてものは、あくまで自分が想像できる範囲の中で完結するものであって、一歩外の世界を見渡してみると、学びになるものがあちこちに転がっているのだから。
ここで、予定調和がだめだと言いたいわけではない。いろんな人が関わる活動や締め切りがあるものは、むしろスケジュールや工程表があったほうがうまくいく。かくいう私も順序に従ってことを進めるタイプの人間であり、自分の段取りスキルにはこれまで何度も救われてきた。
そんな私が、なぜ「想定外」を意識するようになったのか。変化の要因となったいくつかのエピソードのうち、今回はふくしデザインゼミでの体験について綴ってみようと思う。
お決まりのルーティーン
そもそも私がふくしデザインゼミに本格的に関わりはじめたのは、キックオフイベントから2ヶ月ほど経った10月の初旬。プロジェクトの編集長を務めていた上司に、東京に取材に行ってみないかと声をかけてもらったのがきっかけだった。
ふだんは福島県で活動しているため、取材の日は始発の電車に乗って八王子に向かうことになる。出発時間ぎりぎりで「特急ひたち」にすべり込み、田園から高層ビル群へと移り変わる景色をぼんやり車窓から眺めるのが、いつしか取材に行く日のお決まりになっていた。
ちなみに、福島から八王子までは約3時間ほどかかる。景色を楽しみつつも、取材のポイントを記したメモを見返す「念入りな準備の時間」も欠かさずとっていた。
「いつも通りにやれば、きっとうまくいくだろう」
いま振り返ると、準備の時間は予定調和を願う祈りのような時間にもなっていたのかもしれない。
真の取材者
そんな願いとは裏腹に、ふくしデザインゼミで満足のいく取材ができたと心から思えたことは、結局一度もなかった。ある取材では、抽象的な質問を続けて、インタビュイーが困り果てているとわかっていながらも、その後立て直しができず時間切れになってしまったし、またある取材では、人物図鑑に必要な要素を聞き出すという目的を果たそうとしすぎて、肝心の取材を面白がるという姿勢を全く忘れてしまっていた。
「自らの実力不足を思い知り、自分の課題に向き合う良いきっかけになった。この反省を教訓にして(事前チェックポイントとしてまとめ)、次回に活かしていこう」。これまでの私だったら、ふくしデザインゼミでの「挫折」を、このように体よくまとめていたかもしれない。
そこに疑問を投げかけてくれたのが、武蔵野会で働くスタッフのみなさんの「姿勢」と「言葉」だった。福祉は、一分一秒単位で刻々と変化する「人」に、真正面から向き合う仕事だと思う。私が見かけたスタッフのみなさんは、どんな時でも目の前にいる相手の変化を具に捉えようとしていた。その姿は、お手本にすべき「取材者」としての姿勢そのものだった。
取材者としてのあり方は、もちろん「言葉」にもあらわれていた。表現は違えど、みなさん一貫して「その人を知ろうとすることをやめたくない」とインタビュー中に語っていたのだ。この言葉は、たとえ現場で失敗したとしても、予想だにしないことが起きたとしても、現場に向き合い続けたいという意思の表れとも解釈できる。これも、取材者として大切にしていかなければならないことだと思う。
こうして考えると、ふくしデザインゼミでは、ライターや取材者としての志を、福祉の最前線で活躍するみなさんに教えてもらう、そんな裏目的があったのかもしれない(本当のところはわからないが)。
ふくしデザインゼミとの関わりはここで終わりではない。取材者としてのあり方が揺らいだとき、私はまた武蔵野会に学びにきたいと思う。もちろん、真の取材者たちを訪ねに。
|このエッセイを書いたのは|
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お知らせ ~ふくしデザインゼミ展を開催します!~
ふくしデザインゼミ展は、福祉と社会の関係をリデザインする実践的な社会教育プログラム「ふくしデザインゼミ」の成果を、さまざまな形で鑑賞・体験する企画展。ゼミ生が制作した『ふくしに関わる人図鑑』に関する展示を中心に、トーク、ツアー、さらには「仲間さがし」に至るまで。福祉を社会にひらく、さまざまな企画を予定しています。ぜひお越しください。