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物語装置としての窓

夜のファミレスが何故か好きだ。それは、都心ではなくて郊外のロードサイドであればあるほど、人気がなければないほど、私にとっての好みの場所となる。深夜のファミレスには情緒を誘うものがある。
なぜだろうか。

福田雄一によるドラマ『THE 3名様』は、深夜のファミレスでどうしようもない若者3人組がただダラダラとくっちゃべるという作品だ。
ただダラダラと喋るだけ。特に事件が起きるわけでもない。しかし、なぜ、これを面白いと思えるのだろうか。


ファミレス=物語の同時並列

ファミレスには、さまざまな人がやってくる。
たとえば、この作品に「パフェおやじ」というエピソードがある。
「パフェおやじ」は来店したら必ずパフェだけを頼んで素早く食して帰っていくというだけのキャラだ。
このエピソードは主役である3人組が観察しながら、パフェおやじの動作のひとつひとつにコメントをつけていく。ただそれだけのエピソードだ。
しかし、このエピソードはただそれだけなのに面白いのだ。

***

ファミレスは大きなワンルームだ。
プランとしてファミレスを見ていくと、テーブルはボックス式の対面型が多い。つまり、ファミレスではたくさんの人がいたとしても視線が交わらないように計画されている。

ファミレスでは、複数の物語が並列的に存在していると言えるだろう。
私たちはファミレスの建築的操作によってそのことを無意識化させられている。実際はそこには(微細な)人間ドラマが存在しているのにも関わらず。だからこそ、ファミレスにおいて観察者として振る舞うときには、そこには多様な(しかし、なんとも矮小な)人間ドラマをかいま見ることができる。
ファミレスは大きなワンルームでありながら、デタッチメントを基本とした、複数の物語が並列する奇妙な空間である。「パフェおやじ」はファミレスという空間の本質を暴き出す象徴的なエピソードだったのだ。


物語装置としての窓

ファミレスで個人的に好きなところは開口がとても大きいことだ。
横長の大きな窓はとても開放感があるように思える。そして、何故か中から外を見ていると別の世界を見ている気分になる。

なぜだろうか。

窓とはもともと別々の世界(中と外)を繋ぐひとつの通路である。

ファミレスで(私にとっては)その性質が顕著のように思えるのは、その開口が横長であるからだと思う。
簡単な話だ。映画館で観るスクリーンを考えてみるとスクリーンも横長であるからだ。だからこそ、ファミレスから外の世界を見るとき私たちは映画を観るように別の世界を観ているように感じる。
この単純ではありつつも、両者に共通している物理的性質がファミレスの窓に特異性を与えている。

青山真治の作品『Helpless』では、ファミレス(どちらかというと喫茶店かもしれないが)の窓がスクリーン内スクリーンとして機能している。
窓の向こうからこちらへとやってくる男は、物語を駆動させる重要な存在だ。
カメラは窓をただただ淡白に映している。スクリーンのど真ん中でたそがれる主人公とはまったく関係ないように広がっている窓の外は別世界のように思える。
窓は映画の中の世界に属していながら、世界をさらに分断する効果を持つ。窓はデザインされることで別世界への入り口となる。『Helpless』は物語の装置として窓が効果的に使われている印象的なシーンを多く持つ映画だったと思う。

思い返してみれば、私がこんなに夜のファミレスを好きと思うようになったのは、エドワード・ホッパーの「Night Hawks」という絵を見たからかもしれない。
モチーフはファミレスではないが、横長の大きな開口の中で、ぽつぽつと人がいる。彼らは特に別グループと話している様子も無く、一人一人(あるいは二人)が孤立して存在している。私が夜のファミレスに感じるものにとても近い空気を醸し出している(こんなにも上品ではないが)。
そういえば、エドワード・ホッパーの絵はとても「映画」的と言われている。

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