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父と僕のことそして長男へ

僕の父親は、職人系昭和頑固親父の典型でした。

いつも何か不機嫌で、話しかけるにもタイミングを伺いながら恐る恐る声をかけていたような気がします。

幸い、直接的な暴力は、基本的にはありませんでした。(ケツを叩かれるくらいはありました。)

でも、泣いていたら玄関の外に放り出され、泣き止むまで帰ってくるなと言われたことが衝撃として残っています。

いかに怒鳴られないように過ごしていくか、父の機嫌を常に気にしていました。

無口な父の感情を、常に推し量っていました。

父は、僕が中学3年生ぐらいの頃から、自営業の水道屋のくせに腰を痛め、ガツガツと働けなくなりました。

そのくせ、家ではタバコを吸っていて、働きもせずに無駄金を使う父親のことも、タバコのことも大嫌いになりました。

そして、僕が19歳、父が65歳の夏のことです。

父は、なんだか食欲がないと少し元気がなくなっていきました。

病院嫌いの父は、母親に説得されたというよりも、いよいよ調子が悪くなり自分の誕生日の11月にようやく病院に行きました。

診断名は末期胃癌、スキルスタイプで手術も化学療法もできそうにない、ということを母から聞きました。

医師の宣告によると、余命は3ヶ月。

胃癌と知った時、成人式も結婚式も見てもらえないんだな、と悲しくなったことを覚えています。

父はそこからずっと入院したまま、医師の見立て通りちょうど3ヶ月で最期を迎えました。

僕はこの3ヶ月に父と向き合わなかったことを、ずっと後悔していました。 

医師になり、緩和ケアに興味を持っていたのも、最期の3ヶ月に対する後悔が影響していました。

そんな中、とある50代のがん患者さんの終末期を担当することになりました。(筑波大学総合診療プログラムでは緩和ケアを担うことがあります。)

僕は、この患者さんの緩和ケアを通して、どこかで父への後悔を払拭する気持ちがあったのかもしれません。

ちょうど担当が少なかったこともあり、患者さんとたくさん対話を重ねました。

希望を持ち続けたいから余命の話なんて聞きたくないという患者さんの願いを受け取って、最期まで生きる希望を保ちながら、残されることになる家族への想いもさりげなく聞き出していきました。

そして、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているはずだったのに、担当当初に推測した期間よりもずっと長い時間を過ごすことができました。

それでも、最期の時は必ずきます。

徐々に進行する場合、いよいよ最期の日だと担当医が時間単位で読み切れる場合もあります。(その読みが外れることもあります。)

でもその時は、そんな予兆もなくやってきました。

ちょうどその日は、病棟の飲み会で、僕はお酒を飲んでいました。

急変の連絡がきたものの、酔ったまま対応するわけにもいかず、最期のお看取りもご家族への挨拶もすることができませんでした。

なぜ、今日、このタイミングなの?

なぜ、お酒を飲んでしまったの?

ここまで関わってきて、最後の最期に、挨拶もできないなんて。。。

それからしばらくの間、僕の心には、ポッカリと穴が空いていました。

最低限の仕事をして、すでに違う人が入室した、その患者さんがいた部屋の前で、悲しみに浸っていました。

医師として、誰かの死がこんなにも悲しかったことはありませんでした。

しばらく経ったある日、ご家族が病棟に挨拶に来てくれました。

そして、ご家族からお礼を言われ、共に故人への悲しみを分かち合い、気がついたことがありました。

これだけの大きな悲しみは、その人を大切に思っていたから生まれるもので、喪失感というものは、それだけ大切だったことの証なのだ。

強い喪失感を味わうほどに、僕は、彼に寄り添い続けることができていたのかもしれない。

最期の瞬間に立ち会えなかったことは残念だけれど、大切なのは、そこに至るプロセスだったんだ。

そして、僕は、父との関係に思いを馳せました。

最期の3ヶ月に、寄り添えなかったことを悔やんでいたわけじゃない。

僕は、最期の3ヶ月ではなく、小さな頃からずっと、父に愛されたかったんだ。

父に愛されたかったという思いは、子どもの頃からずっと心の奥に封印されたままでした。

父の死によってもその封印は解かれず、さらに10年以上の時を必要としました。


僕は、ただ、父に愛されたかった。


自分の存在そのものを、抱きしめて、認めて欲しかった。


もっと、心を通わせて、心と心でつながりたかった。


そして、この思いに触れることができた時、涙があふれ、魂が震えました。


 「最後の医者は雨上がりの空に君を願う」という本があります。

「最後の医者は桜を見上げて君を想う」という本の続編で、「死」がテーマではあるけれども、「家族」と「希望」の物語です。

この本からの引用です。(この本、二度読んで二度とも号泣です。)

『「全ての人は救われるために生まれてくる 。そして 、全ての人は救うために生まれてくる。」「誰もが … …そうじゃないかな 。そこに医者とか患者とかはないんだ 。ただ 、人と人 、そして人の中に潜む希望があるだけ。」「命と命が出会う時、別れは必然だが、そこに必ず希望も生まれている。』

僕は、担当患者さんから、希望を受け取り、封印された父への想いに気づかせてもらいました。

そして、父に愛されたかったという渇望が、長男への愛情の源です。

長男の愛情が満たされたように感じる時、父に愛されたかった僕自身が癒されているのです。

だから、僕は、これからも僕自身の傷を癒すために、長男に愛を注ぎ続けると思います。

そして、長男が生まれてきてくれたことに、心から感謝したいと思います。

生まれてきてくれて、ありがとう。

父は、そのままのあなたが、大好きだよ。

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