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絵本『ならの大仏さま』を大人にお薦めしたい訳

大人になってから絵本を読んだことはありますか?

最近では大人向けのアート絵本も多く出版されるようになり、絵本と言われるものを手に取る機会は増えたかもしれません。

ですが、子ども向けのいわゆる「絵本」となると、じっくり読む機会はそう多くないのではないでしょうか。子どものために読んであげるのではなく、自分のために読むということで言えば、その機会はさらにぐっと減るのではないかと思います。

大人になるにつれて、絵本が遠い存在になるのはなぜかを考えると、
ひとつには、絵本から“得られるもの”を無意識のうちに評価し、もはや絵本に触れる意味を見出せなくなっているということがあるかもしれません。

しかし、子どもが読むものといって、侮ることなかれ!と声を大にして言いたくなる絵本もたしかに存在します。

今回ご紹介する絵本『ならの大仏さま』は、まさにそんな作品のひとつ。
奈良を訪れる前にぜひ手に取っていただきたい一冊です。

本作は数々の名作を世に送り出してきた、かこさとし先生が、奈良・東大寺の盧舎那仏像(以下、奈良の大仏)について5年間もの時間を費やして調査・研究して描き上げたもので、建立された時代から現在までの大仏をとりまくエピソードがまとめられています。

奈良の大仏について知りたいと思えば、ネットや書籍、旅行ガイドにもある程度の情報は載っているでしょう。そんな中でも、あえて絵本『ならの大仏さま』をお薦めするのはなぜか?忙しい毎日を送る大人に読んでほしい理由を、本記事ではご紹介していきます。

『ならの大仏さま』かこさとし 復刊ドットコム刊
2006年に復刊したもので、初版は1985年に福音館から刊行されました。

その1 知識量が並大抵ではない

シンプルですが、まずはこの点に触れなければなりません。
『ならの大仏さま』を制作するにあたり、著者のかこさとし先生が5年間もの月日を費やしたのはすでに述べたとおりですが、それほどまでに時間をかけたのには理由がありました。

かこ先生が本書を制作した動機は、「どうして大仏を建てたのかを明らかにしたい」ということだったといいます。

そのために心がけたというのが、第一に「広い科学的な立場で記そう」ということ、第二に「心や宗教のこともふくめてのべよう」ということ、第三に「はっきり簡明に書こう」ということだったそうです。

第三の点については後に触れますが、子どもが読む絵本だからといって、単に歴史の年表を眺め、歴史上の出来事を再構成したものではないことがお分かりいただけるのではないでしょうか。

実際に、大仏建立の方法については学術的に長く議論されてきたものでしたが、かこ先生は5年間の調査・研究のなかで独自の見解を導きだし、それは後に専門誌でも評価されています。
かこ先生の制作態度は、絵本作家のそれから数歩も踏み込んだ、科学的なものだったのです。

また、第二の点にもあるように、心や宗教についても触れられているため、読者は奈良の大仏をめぐる人間模様や環境にまで想像を膨らませていくことができます。歴史をなぞるだけではなく、大仏を中心とする立体的なイメージを捉えることができるのです。

こうして『ならの大仏さま』に凝縮された知識は、一度読んだだけでは到底覚え切れないほどのボリューム。誰が読んでも多くを学べる内容であり、これが本書を大人にもお薦めしたい理由の1つです。

その2 絵本の底力を感じられる

さて、『ならの大仏さま』に詰め込まれた豊富な知識についてご紹介しましたが、情報量が多いと記憶に残りにくいということもありますよね。実はそこに、本書を大人にお薦めしたい2つ目の理由があります。子どもでも理解できるような「言葉選び」と、精細でありながら叙情的に描かれた「絵」です。

たとえば、奈良の大仏の開眼法要の式について語られたページを見てみましょう。

『ならの大仏さま』P.42,43

開眼式とは、仏像を造るさい、それまで土や金属の塊としてあつかっていた像に魂をいれる大切な儀式です。そして開眼式がすんだ像は、仏として敬いあつかうこととなります。
天平勝宝4年(752年)4月9日——その日のために急いで塗金をしあげた大仏の顔は黄金色に光り、目には青、口には紅の彩色がほどこされました。金堂のまわりを警護の兵や役人が固め、皇族・王家・貴族のささげた花が大仏の前をかざり、あたりいちめん香のかおりがたちこめました。… 

『ならの大仏さま』P.43より一部引用

活字だけの本を読み慣れていると、絵本は何となく読んだ気がしなかったり、文字を追うことに気を取られてしまい、絵を味わいきれなかったり、ということもあるかもしれません。

ですが、絵本の「余白」が、読者の心にゆとりをもたらしてくれることもあります。
語り聞かせるような平易で美しい文章と、感覚的な理解を促す絵のおかげで、内容がすっと頭に馴染んでいく感覚、これは絵本ならではの強みではないでしょうか。

著者が何かを表現したり、情報を伝達しようとしたりするとき、絵本は思いがけない底力を発揮することがある……『ならの大仏さま』はそんなことを私たちに教えてくれる気がします。

その3 知識との向き合い方への示唆に富んでいる

『ならの大仏さま』を大人にお薦めしたい3つ目の理由は、かこさとし先生の「知識」との向き合い方が極めて示唆的であるということです。

冒頭でも紹介したように、かこ先生は本書を制作するにあたり、3つのことを心がけていました。「広い科学的な立場で記そう」、「心や宗教のこともふくめてのべよう」という2つはいずれも、総合的で偏りのない視点を持ち、正しい事実を自ら確かめにいく、という現代社会でこそ求められる情報リテラシーそのもの。

そして、「はっきり簡明に書こう」ということにもやはり、知識や情報をどう扱うべきか、という問題意識が表れているのです。少し長いですが、本書のあとがきより、かこ先生の言葉を引用します。

最後の第三の点は、「はっきり簡明に書こう」と努めたことです。そのきっかけは、偶然ある小学校を訪れたとき、子どもたちの「東大寺を造ったのは聖武天皇か、大工さんか」というクイズを耳にしたからです。前者といえば後者がいなければできぬといい、後者といえば歴史で習ったじゃないかと笑うイジ悪クイズですが、後でこれは有名な参考書にある「東大寺を建てたのは誰か(A)聖武天皇(B)百済からの帰化人」のモジリであることを知りました。
 大仏の建立者が誰かを簡単に覚えさせようと、二者択一の方法で追い込めば、こうしたクイズまがいの知識となり、それが「学力」として横行することとなります。そうした単純化や簡易化ではなく、あいまいさや誤解を除き、確かなことをはっきりと明らかに記述したいと心掛けました。…

『ならの大仏さま』P.79あとがき より引用

かこ先生の言わんとすることに、ドキッとした方もいるのではないでしょうか。かこ先生は、知識を積み重ねていくことばかりに価値を見出すのではなく、知識から本質的な気づきをいかに得るかが重要だということを説いているのです。

本書の締めくくりに寄せられた文章からもかこ先生の「思い」を感じ取ることができます。

ならの大仏の歴史は、利害や欲望に誤りやすい人間が、迷いや悩みをすこしずつのりこえてきたことを示す貴重な跡といえるでしょう。正しい人とはどのようなことにはげむ人のことであり、美しいとはどんなことにいそしむ人のおこないをさすのかを、この1300年の大仏の歴史から学ぶことができると思います。
 ですからこの本「ならの大仏さま」を、過去の事件の記録として見るのではなく、これからさまざまな分野で活躍するあなたの道しるべにしていただきたいと思います。それが青銅の大仏を「ならの大仏さま」とよんで親しんできた人びとの、切なる願いであったと私は思うからです。

『ならの大仏さま』P.77 より引用

本書の制作にあたって、かこ先生が貫いた姿勢は、大人にこそ知ってもらいたい、本書の影なる魅力なのです。 

おわりに

私たちはいつ、子どもから大人になったのでしょう。大好きだった絵本を読まなくなったのはいつからだったか、筆者は思い出そうとしても思い出せません。今思えば、絵本を読んでいた頃が一番、未知なる何かを知る喜びを純粋に感じていたような気がします。

「知っていること」が増えた大人にとって、絵本は学びを得るための手段ではなくなったかもしれません。ですが、絵本の扉を開けば、そこにはいつだって私たちの好奇心をやさしく刺激してくれる世界が広がっています。

今回ご紹介した『ならの大仏さま』は、大人が読んでも新たな発見がある絵本であると同時に、毎日忙しい大人がふと日常から離れ、かつての好奇心を思い出させてくれる絵本。
今さら絵本なんて……と思わず、童心に帰って絵本の世界に没頭してみてはいかがでしょうか。


■この記事を書いた人
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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