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育児のバトンは、1991年から受け継がれてきてるはずなのに

前回の記事は、男性育休シリーズから離れ、素敵なnoterさんの紹介をしました。

前々回の記事では、男性育休の旗振り役となっている国家公務員の育休制度について調べました。
すると、育休がどのように制度化されていったのかについて、気になり始めました。
で、少し調べてみることにしました。

もしかすると、間違っているところがあるかもしれません。
お気づきの点がありましたら、ご指摘ください。

いつから育休制度があったのか

日本における育休の歴史を少し調べてみました。

◆1965年
日本電信電話公社(現在のNTT)で、子どもが2歳になるまで休職できる制度を作ったそうです。

◆1972年
「勤労者福祉法」で、育休制度が事業主の努力義務とされました。

◆1975年
「義務教育職員及び医療施設,社会福祉施設等の看護婦保母等の育児休業に関する法律」で、1歳までの育休取得と休業手当の支給が定められました。この法律の対象は教員、看護婦、保母等の女性公務員でした。

◆1991年
「育児休業等に関する法律」で、すべての労働者を対象としました。この法律で、男性も女性のどちらも、1歳の前日まで、給付金なしで育休を取得することができるようになりました。

◆1994年
雇用保険法が一部改正され、1995年から雇用保険対象者に休業前賃金の25%が育児休業給付金として支払われるようになりました。育休中の健康保険料や年金等保険料も免除となりました。

◆2002年
「国家公務員の育児休業等に関する法律及び一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律の一部を改正する法律」により、公務員の育休期間が1歳未満から3歳未満に引き上げられました。

◆2004年
一定の条件のもと、育休期間が1歳6か月まで延長可能となり、給付金の給付期間も延長されました。

◆2007年10月
育児休業給付金の給付率が50%に上昇しました。

◆2014年4月
育児休業給付金の給付率が半年間67%、半年以降50%と上昇しました。

◆2017年
一定の条件のもと、育休期間が2歳の前日まで延長が可能となり、給付金の給付期間も延長されました。

◆2022年10月
出生時育児休業制度がスタート予定。

この変遷をどう思う?

以前は、公務員の方々が先進的な役割を担ってきていたようです。
現在は、CSR活動に力を入れている民間企業が先導しているように感じます。

その時代の状況をとらえ、法改正がなされてきているようにも感じます。

これらの変遷は、当時、育児に苦労された方々の声が少しずつ形に表れてきたのだろうと、推察します。

1975年には、育休の対象者が女性公務員でした。
当時の風潮が強く感じられます。
そして、約50年経った今も、その風潮が残っています。

育休制度がすべての労働者を対象にするとなった1991年。
法律のスタート時には、給付金はゼロです。
パートナーの収入があるからこそ、取得できる育休制度であったことが分かります。
寿退社なんて言葉が普通に聞かれたころでしょうか。

2004年に、1歳6カ月まで延長可能。
すでに待機児童問題があったことが分かります。
今でこそ、社会問題化しています。
当時は、当事者だけの問題として見られていたのかもしれません。

育休の歴史で気になったところ

育休の歴史を調べてみて、あることが気になりました。
1991年制定「育児休業等に関する法律」(育児休業法)で、男女とも育休を取得できるようになっていたのに、というところです。

1991年頃に起きてたこと。
不動産や株式のバブル崩壊。雲仙普賢岳の火砕流発生。湾岸戦争、自衛隊海外派遣。ユーゴスラビア紛争。ソビエトがロシアへ。牛肉・オレンジ輸入自由化。若貴フィーバー。101回目のプロポーズ。

施行された1992年でググっても、育児休業法のことは大きく扱われていません。

なのに、なぜ、男女ともに育休取得可能といった画期的な法律が、ズバッと制定されたのでしょうか。
1975年の法律での対象者は、女性公務員に限定されていました。
このことからすると、男性が対象となる前に、すべての女性労働者が取得可能になる法律ができていたとしても、不思議ではありません。

1991年制定の育児休業法で男女とも育休を取得できるようになった背景。
1981年にILO総会で採択された「家族的責任を有する男女労働者の機会均等及び待遇の均等に関する条約」が関係しているようです。
この条約は、男女双方の労働者が家事・育児などの家族的責任を分担することで、男女が雇用における機会均等と待遇の均等を得ることを目的としているものです。
日本は1995年に批准しました。

私の見方はこうです。

日本は、この条約に批准しようとしていた。
そこで、男女労働者の機会や待遇の均等を示す法律が必要だった。
そのうちのひとつが、育児休業法だった。
そこで、家事育児などの家族的責任を分担するために、育休を男女とも取得できるように定めた。
当時、男性も取れるようにとの声がたくさんあったわけではなかった。

必要があったから、男性の育休が取得できるように法律で定めた。
のではない、という見方です。

だから、男性育休は、女性のように広まらなかったのです。

育休を終えて、復帰した私。
育休を取っていたことが話題になると、なかには「男性でも取れるの?」と聞く人がいます。

1991年には、男性も育休取れる法律ができていたのに。

苦労された方々から受け継がれてきたもの

シングルで子育てされた方、出産でパートナーを亡くされた方、退職したくないのに辞めざるを得なかった方、保育園に入れることができずに途方にくれた方などなど。

これまでも、様々な事情を抱えながら、育児に苦労してきた方がたくさんいらしたと思います。

苦労された方々にとっては、残念ながら、当時の法律は、苦労を解消できるものではなかったことでしょう。

でも、そんな先人の方々の苦労のおかげで、私たち後人が恩恵を受けられています。

ありがとうございます。
私も受け継いでいきたいと思います。
育児のバトン。

1991年、パパママ一緒に受け継がれ始めた育児のバトン。
パパの育児のバトンも、1991年から受け継がれてきているはずなのに。
まだ、スタート付近をゆっくり走っている感じです。


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2021年5月5日「1991年には男性も育休が取得できる法律ができていたのに」からタイトル変更しました。

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