変な話『私はゴリラです。』
ある時、人間の言葉を理解するニシローランドゴリラが現れた。名はボボと名付けられた。
ボボの母親はコンゴ共和国にある保護施設出身であったが、カンザス州の小さな動物園へと買われたのだった。そこでボボは産まれ、中国人の飼育員リー・ウェイによって育てられたのだった。
初めは、ごく普通のゴリラの赤ちゃんであった。しかし、五歳になった頃から他のゴリラとは、変化が現れたのだった。
人間の会話に顔を向け、反応する様になったのだった。リー・ウェイが簡単な単語を教えると興奮した様に喜んだ。
六歳になると英単語をマスターし、七歳を迎えた頃には、文法を使っての英語の読み書を完全にマスターしてしまっていたのだった。
この頃には、世界中のメディアで取り上げられた。
ボボの学習力はそれだけでは無かった。ボボの母親が産まれたコンゴ共和国の公用語であるフランス語を学びたがったのだった。
リー・ウェイは、フランス語の講師をボボにつけた。
ボボが十歳になった時には、フランス語をマスターしていた。
それからボボは、リー・ウェイに頼んだ。
「Would you tell me your roots.」
「知道了」
英語、フランス語、中国語をマスターした時、ボボは十五歳であった。ボボはリー・ウェイに尋ねた。
「私は、名字を持たないんですか?何故?」
リー・ウェイは何故なのか理由を答えられなかった。ボボはゴリラだからと言う答えは、あまりにもボボに対して失礼だと感じたのだ。
そこでリー・ウェイはコンゴ共和国の有名な政治家から「ボボ・オンディンバ」と名付けた。
次の日、世界中のメディアがボボのニュースを取り上げた。ところが当のコンゴの政治家は、自分と同じ名前がつけられたゴリラのニュースに腹を立ててしまったのだった。
アメリカの外交官は、これを遺憾に思い、カンザスのこの小さな動物園にボボの名字の変更命令を出したのだった。
その事がメディアを通して世界に広がると、その他の多くの国や町、そして世界中の企業たちがボボの名前を自分達のモノにしようと、お金の匂いを嗅ぎ付けて名乗り出て来たのだった。
「ボボ・スミス」
「ボボ・チャン」
「佐藤ボボ」
「ボボ・アンリ」
「ボボ・ベルルスコーニ」
「ボボ・カンザス」
いろんな人間が、醜い大金を掲げボボの名字を決める権利を買おうとした。
しかし、当のボボは首を横に振るばかりであった。
ボボはリー・ウェイにこう伝えた。
「どの名前にも私のルーツはどこにも無い。」
「I'm a Gorilla. I don't need a family name.」
それ以降、ボボが人の言葉でコミュニケーションをとることは無くなった。
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