フジワラ・ケント

フジワラ・ケント

最近の記事

「ソースはルーツ」

ソース。食べ物にかけたり塗ったりする液体。最高のソースはその人のルーツだと思う。カレーもケチャップもマヨネーズもデミグラスもいいけれど、日本人の一番は醤油、出汁だ。それは料理に限らず、仕事でも制作でも人生何でもそうなのではないか。 東京出張の際に足を運んだシアスターゲイツ展での彼の作品、「アフロ民藝」というコンセプト。彼の生き様=ルーツがマテリアルやスペースと合わさって独特のハーモニーを醸す。その隣で映像作品の特別展示をしていたので少し寄り道。後日、ルイヴィトン心斎橋の展示

    • 「逆の境」

      逆境で人がわかる。良い時は皆良いことを言う。相手が求めることをしてくれる時はみんな愛想よく振舞う。そのメッキは簡単には剥がれない。隠蔽や化粧の技術は現代では誰もが身に着け、高度化する一方だ。そんな状況を打開できる契機、メッキを剥がす装置、それが逆境だ。 解説しよう。まず抽象論から。 逆境は「安心」と「信頼」を振るいにかける。安心社会に慣れ切った蛙は「機会コスト」より「取引コスト」の方が高いと思い込んで疑わない。つまり「取引コスト」を下げることに重きを置く。実際は「機会コスト

      • 「スーパーウィークソットボーイ」

        スーパーソニックジェットボーイ。「あーぶっ飛ばしてぶっ飛ばしてぶっ飛ばすー」ってハイロウズはぶっ飛ばすけど、実際の日本人のぶっ飛ばし方は対極にあることをご存じだろうか。 新しいモノの見方、みんなが気づいていないけど無意識にやってること、それを探している。村上隆は「スーパーフラット」を、芭蕉は「軽み」を、利休は「侘び」を、新渡戸は「武士道」を、九鬼は「粋」をを見つけた。 学ぶは真似る。まずは先の好例を考えてみよう。「スーパーフラット」は西欧のピラミッド的な思考との違い、日本

        • 「名探偵コナレ」

          ロラン・バルトのモード論集。僕はなぜかファッションが好きだ。特別お金をかけることも無いが、他人の服装はどうも気になる。そんなモードを名探偵コナレと呼んでいる。こなれ感に過剰に反応するモードである。 世の中にはこなれている奴とそうでない奴がいる。どうせならこなれようじゃないか。こなれはダサさの先にある。ダサくなることに恐れをなして足を踏み入れない臆病者は一生こなれることはない。 こなれの対極。ノームコアの流行。究極のノーマル。失敗の事前回避。僕はこの流れを好まない。全身、ユ

        「ソースはルーツ」

          「決断は非線形」

          国際線の機内。映画『落下の解剖学』を観賞。劇中の一シーン、脇役の一言「決断と自信は別の話よ」ってのが刺さった。その後、数日、その言葉を自分なりに考える羽目になる。 そもそも決断は意志決定であり、自信は心情でしかない。「別の話」ってのは当たり前である。しかし、社会では「その当たり前」が忘れさられているかのようだ。自信の延長で決断する風潮が蔓延っている。 決断は拠り所が外に見えて中にあり、反対に自信は拠り所が中に見えて外にある。つまり、その決定が奏功するかどうかで判断しないの

          「決断は非線形」

          「測れないものを測るな」

          マイケル・サンデル『実力も運うち 能力主義は正義か』。丁度今読んでいる最中なんだけど、身近な現実と重なったので書く。能力主義は世界を飲み込み続けている。その大波が地元の伊丹にも到達している。波に乗るべきか、はたまた、山に登るか、空を飛ぶか、海に潜るか、どうしようか。 能力主義者の主張。能力がある者は社会にとって責任ある役割を担い、それ(報酬や賞賛)に値する。なぜならば、能力を獲得するために、その者は努力をしたのであり、能力の無い者は努力を怠ったからである。努力した者と怠った

          「測れないものを測るな」

          「新しさは貴方らしさ」

          出張にて広島。地の利がある後輩が夕食をアテンドしてくれた「お好み焼き八昌」。事前に高く設定されたハードルに内心期待せず暖簾を潜る。その浅はかな経験則はいとも簡単に覆された。 カウンター8席。薄暗く年季の入った店内。壁一面色紙。愛想を極限まで抑え、鉄板に向かう女将。頬張った瞬間、ほっぺが落ちる。女将に質問。「どれぐらい修行したんですか」、はにかんで「気がついたら焼けるようになってました」。 新しさは2種類ある。「漂白の新しさ」と「積み重ねの新しさ」。一般に使われる「新しさ」

          「新しさは貴方らしさ」

          「和えて分不相応」

          定期的な勉強会。今回のテーマは組織デザイン。人は複雑であり、その集まりの組織はもっと複雑である。だからこそ、時空の流れに沿って最適解が変わる。それが面白味であり、組織デザイナーの醍醐味だ。 一人で出来ないから集まってやる。それが組織であり、その必然として「分業」がある。分業は世紀の発明であり、その威力は「神の見えざる手」というネーミングの通り。一方で組織化は最終的にはみんなで一つのモノをつくる営みであり、分けたモノを合わせる作業=「調整」が必要になる。調整の手段として、「標

          「和えて分不相応」

          「モリタ―ジュ」

          スーラ―ジュと森田子龍展 by兵庫県立美術館。いつも通りNoプランで暖簾を潜ると、そこはワンダーランドだった。 僕はよく質問する。美術館ではよくわからないことがたくさん起こるのに質問する人がほとんどいないのがいつも不思議だ。それがマナーなのか。だとしたら、僕は行儀よく食べるより美味しく食べる方を選ぶ。母は「おいしい!」と言って手料理を食べる僕らをみて喜んだ。芸術家も同じではないだろうか。 鑑賞後、学芸員に質問。 「あの書はどうやって書いてるんですか」、「実はわからないんで

          「モリタ―ジュ」

          「アレモネ」

          中之島美術館のモネ展。日本人はなぜかモネが好きだ。連日、盛況な動員を横目にタイミングを計って平日のアイドルタイムに侵入。足を運んだ甲斐があった。甲本ヒロトとクロードモネの共通点。それはアレを前進させることに没頭した人生である。 よくもまあ飽きずに描き続けたもんだ。積藁も睡蓮も。何回描けば気が済むんだろう、と思わずにはいられない程の連作。モノをつくる人はわかると思うのだが、制作してると飽きが来る。モチーフや手法やなんやかんや変えたくなる。でも突き抜ける奴は変えない。ヒロトもモ

          「サービスって何」

          『ボランタリー経済の誕生』。知の巨人たちの共著。25年程の出版物だが、古く感じない。それは、その間、その社会が変わっていないことを意味している。その中の一文を紹介したい。 『サービスとは、もともと「あいだ」を感じ合うこと。』 膝を打った。日頃、様々なサービスを利用する中で、自分自身がビジネスに携わる中での怒り、苛立ちの理由がわかった。それは『なぜ「あいだ」を感じ合おうとしないんだ』ということに尽きるということだ。 全ての違和感がここに集約される。それは極めてミクロな肌感

          「サービスって何」

          「交差しない交差点」

          先日の事。正午過ぎ、御堂筋の本町交差点。事件発生。 僕は徒歩だった。商談終わり帰路の途中。交差点に差し掛かると信号が赤になり立ち止まる。反対の信号が赤になったので、動き出そうと構えるが信号は赤のまま動かない。どうもおかしい。昼時で人出もあり、群衆が騒めき始める。 警察官が一人カラーコーンを立てだした。片側3車線で分離帯もある大きな交差点に一人で作業。間に合っていない。僕はたまらず、車線に出て警察官に声をかけた。「すみません。渡っていいですか?」、「ダメです」、以上。その後

          「交差しない交差点」

          「オイラはオグラ―」

          日経の日曜版に寺山修二特集。レぺゼン昭和が並ぶスタッツの中で、小椋佳のコメントが目に留まった。 『会社員という「組織内存在」として歌を作る異色の道も、寺山周辺の芸術家らに接し「蓄積が違う。個性を出すにはこれしかない」と痛感して選んだ道。』 おこがましくも自分を重ねる。僕もよく同じように思う。専門家には敵わない。一つの道しかなければ。しかしどうだ。道は無限にある。気づけるかどうかなのだ。 小椋というイノベーターが生まれた昭和。それに続きアーリーアダプターが台頭した平成。そ

          「オイラはオグラ―」

          「LEADERはREADERたれ」

          新井紀子著『AIに負けない子どもを育てる』。前著『AI vs 教科書の読めない子どもたち』も数年前に拝読し、今回たまたま続編を手に取った。正直、衝撃で、劇的な、出来映yeah!である。子を持つ親は今すぐ読んだ方がいい。 なぜか。目下、愛情と時間と私財を投じている教育が逆効果になっている可能性があるからだ。良かれと思ってやることが、子どもがAIに負けるように仕向けている可能性が高い。子どもに罪はない。あるとすれば、大人が真理を理解しようとしなかった怠慢であり、理解していると思

          「LEADERはREADERたれ」

          「ロマンスグレー」

          ロマンチストでありたい。浪漫を追いかける人間。浪漫とは何か、という定義は置いておいて話を続ける。そんな野暮な事はしない。それも浪漫である。 和田秀樹と中野信子の対談『頭の良さとは何か』。その中での二人の意見がいい。 和田は言う。頭の良さとは、「認知的成熟度である。物事を白か黒かでなく、中にはグレーもある。グレーにもさらに薄い濃いがあると、程度で考えることができるようになること」、「仮説を立てる能力である。フェルマーの最終定理は350年以上たってワイルズによって証明されたが

          「ロマンスグレー」

          「天使の落とし物」

          酒粕。数年前にはまって以来、毎日甘酒を飲んでいる。酒粕、生姜、黒糖にくるみを入れて食べる。酒粕は京阪神にある酒蔵を巡り、色々試した結果、灘の酒蔵のものを使っている。 なぜ酒粕を持ち出したのか。それは「人的ネットワーク」についての「良い例え」だからだ。僕はずっと「人的ネットワーク」の概念自体には賛成というか非常に重要なモノだと思っているものの、「人的ネットワーク」を標榜するアクティビズムにはどうしても馴染めなかった。ずっと自分でもなぜか不思議に思っていた。その長年の不可解さが

          「天使の落とし物」