「天使の落とし物」

酒粕。数年前にはまって以来、毎日甘酒を飲んでいる。酒粕、生姜、黒糖にくるみを入れて食べる。酒粕は京阪神にある酒蔵を巡り、色々試した結果、灘の酒蔵のものを使っている。

なぜ酒粕を持ち出したのか。それは「人的ネットワーク」についての「良い例え」だからだ。僕はずっと「人的ネットワーク」の概念自体には賛成というか非常に重要なモノだと思っているものの、「人的ネットワーク」を標榜するアクティビズムにはどうしても馴染めなかった。ずっと自分でもなぜか不思議に思っていた。その長年の不可解さが酒粕によって少し解けたのだ。

酒粕は「天使の落とし物」と呼ばれる。日本酒を醸造する過程で生まれる副産物でありながら、栄養価が高くおいしいからだ。人的ネットワークも「天使の落とし物」である。酒粕も人的ネットワークもつくろうとしてもつくれない。他の何かをつくった時に結果的に生まれるものだ。

つくるものでなく、できるもの。先にあるものでなく、後に残るもの。つくったネットワークは安心であり、できたネットワークは信頼である。人的ネットワークをつくろうとするアクティビストが手に入れるものは安心であり、信頼ではない。安心は金で買えるが信頼は買えない。信頼という精霊は見返りを求めないの行動の先でしか姿を現さない。これは山岸俊男著『安心社会から信頼社会へ』を読み直していて気づいたことだ。このことに気づけてとても嬉しい。さて梅を愛でに出かけよう。

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