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自己紹介

今更ですがまだ自己紹介をしていませんでした。

クリエイター頁にもありますように
愛の不時着、韓国ドラマ好き、嵐オタ……

《広葉》HIROBA という人間を知っていただき
とても感謝に耐えません。

いつもコロコロと話題の変わる私ですが
昭和に東京都心で生まれ落ちました。

とにかく人見知りで授業中先生に当てられても
緊張で声が出ずに泣き出してしまう変な子どもでした。

当然、イジメの標的に。

そんな私を変えたのは一冊の漫画でした。

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当時アトピー性皮膚炎を煩い(現在は完治)
通っていた皮膚科の待合室で出会いました。
タイトルも覚えていません。
とにかく元気で明るい女の子が主人公
私とは対局にいる存在。

暫く読んでいるうちに何かが弾ける音がしました。

こんな子になれたら…

それからの私は生まれ変わったように
授業中に手を挙げる為に予習を頑張り
正解して褒められる快感に味をしめていました。

そしてもちろん、虐められなくなりました。

漫画家になりたかった小学生時代
私に影響を与えてくれた漫画家さんのように
誰かを元気づけたいと…

しかし設定を考えた時点で満足してしまい
結局形にはならず💦💦

余談ですが
小3のクラス替えで
転任した担任の先生の処に遊びに行き
帰りに文房具屋さんで
好きなものを買ってくれると
言ってくださった時も
普通の子ならシールとかメモ帳なんでしょうが

私が選んだのは、ペン先✒︎と墨汁とケント紙📄

先生の驚いた顔が今でも忘れられませんww

同時期にアニメが好きで
声優に目をつけたのは今のムーブメントが起きる
ずっとずっと前。

幼い頃から声にコンプレックスがあり
(低くて女の子らしい声ではない)
畏れ多くも当時見ていたゲゲゲの鬼太郎の
野沢雅子さんみたいな男の子の声ならば
私にも出来るかも…?と無謀な夢を‼️

大巨匠、大変申し訳ありませんでした🙏。

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しかしこちらも当時
どうやったら声優になれるのかがよく分からず
声優さんはあくまでも俳優さんの副業だ
という記事を読んで
劇団に所属して俳優を目指すのが第1歩だと知り
受験生だった自分は諦めます。

その後も、童話作家、絵本作家、脚本家、作詞家etc

自信もないのにとにかく何か手を付ける始末。

今思えば「何者」かになりたかったんだと思います。

中高は平凡な学生でした。
大学中にゼミに入りますが
どうしても合わずに辞めてしまい
目的のない3、4年生を送ることになりそうだったので
思い切って春休みに韓国に旅立ちました。

その後も🇨🇳

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🇹🇼

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🇭🇰

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など、暫く中華圏で足掻いていましたww

その間も決して無駄ではなく
知識も友人も増え
世界が広がっていくのが楽しかったです。

今、noteを書かせていただいて
子どもの頃叶わなかった
文筆家の真似事?が出来て楽しいです。

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もちろん荒削りだし、推敲もちゃんとしないし
思ったこと書き殴っているだけですが

読者がいるということの幸せ。
これに代わるものはありません。

フォローして頂いた皆さま、スキを下さった方

本当に有難うございました。








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