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「質より量」から「量より質」へ

今までじぶんは、「質より量」の発想を大切にしてきた。

昔から慢性的に完璧主義を患っているじぶんは、ひとつ行動するために、延々と考えてしまう病を抱えていた。

みんなが200通くらいエントリーシートを書いて、30社くらい面接に行っている間、自分は5通しか書けなかったし、面接に行ったのは一社だけだった。

ブログもやろうとしたけど、記事が全然書き上がらない。書かないわけではない。下書きばかりが積み上がる。編集に時間がかかりすぎて、途中で飽きてしまう。

会社員時代は、誰にも相談せず、一人黙々と企画書を作り込んだ。ようやく提出したら「ぜんぜん違う」と突き返された。

考えること、こだわることに時間をかけすぎて、行動や挑戦の量がとても少なかった。

正直言うと、行動するのがめんどうだから、挑戦するのが怖いから、考えることや準備に逃げていたのだ。



知識や技術、そして経験が少ないときには、とにかく質より量にこだわるべきだ。

未熟な自分が未熟な頭でいくら考えたところで、良いものなんかできやしない。だから最初はとにかく作って、出して、人からフィードバックをもらって、また作って出す。これをたくさん繰り返したほうが、効率よく「正しい経験」を積むことができる。

思考や準備に逃げ込みがちだからこそ、とにかく意識的に「行動せよ、アウトプットせよ。質より量を意識せよ」と自分に言い聞かせてきた。

そしてそれは今でも、正しいことだったと思っている。


しかし、最近、長年付き合ってきたこの「質より量」の世界から、どうやら卒業しなければいけない時期がきた、と感じている。


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自分のつくるものになんとなく、満足できない時期が続いていた。

その日つくったものも、あまりウケが良くなかった。

いつもの光景、いつもの思考。


でもそのとき、ふとじぶんが


「これは量を出すために、質を妥協しているからしょうがないよな」


と、無意識に考えていることに、気づいてしまった。


いつの間にか「質より量」が、自分のアウトプットが受け入れられないことへの言い訳になってしまっていたのだった。


これか。この言い訳だったのだ。この思考のクセがあるから、今のじぶんは、目の前の壁を越えられなかったのだ、と直感した。



時間をかけて質にこだわって、「これは良いものができたはずだ!」と確信して、いざ、世に出したものが、まったく評価されない。

これはかなり精神的なダメージが大きい。

そしてじぶんは、この痛みをずっと避けてきた。

しかし、「絶対にウケるはずだ」と思って、出して、そしてウケない。という経験からしか得られない知見がある。

狙って外したのだから、それは「自分の予想が明らかに間違っていた」と認めざるを得ない。

「今回は手を抜いたから」「妥協したから」という言い訳で、「ちゃんとやれば結果はでる」という思い込みを守ることができない。

自分の中にある「間違った考え」を潰し込んでいくためには、絶対の自信を持ってスベリ散らかさなければならない。

信じていた自分が否定されるのは辛い。自分の手持ちカードがどんどん減っていくのは辛い。

だけど削らなければ尖らない。尖らなければ刺さらない。


「質より量」を卒業して、「量より質」にこだわる覚悟をした。


読みたい本がたくさんあります。