「めんどくさい=やりたくない」ではなく「めんどくさい=考えたくない」
昔の日記を読んでたら「めんどくさい」という感覚と戦っているときのメモが出てきた。
恥ずかしいが、僕みたいなめんどくさがり屋のお役に立てるかもしれないので敢えて紹介したい。
加湿器を動かしたいが、掃除がめんどうで動かせずにいたらしい。
このあと無事に掃除を終え、毎日水を交換しながら加湿器は稼働中だ。とても快適である。
僕はめんどくさくてなかなか手がつけられない作業があると、その「めんどくさい気持ち」を文章にしたためるということをよくやる。
「めんどくさい」の正体は、じつは「やりたくない」ではなくて「考えたくない」だったりする。
「めんどくさい気持ち」を言葉にしようとすると、意識のスポットライトが「考えたくないこと」にあたる。あてざるをえない。
意識のスポットライトをあてることさえできれば、実はもうほぼミッションコンプリートだ。気持ちを書いているうちに、だんだんとやるべきことがクリアになってくる。
書くのすらめんどうだと感じるならば、口を動かしてもほぼ同じ効果が得られる。こっちの方が場所を選ばないから慣れると使いやすい。
人間は、やるべきことがはっきりすると身体を動かしたくなるようにできている。だから気持ちを言語化しているうちに「こんな文章を書くより動いたほうが早いのでは?」という真実に気づいて身体が勝手に動きだす。
めんどくさいは、やりたくないではなく、考えたくない。
朝、会社に行くのがどれだけめんどうでも、ちゃんと起きて準備して出勤できるのは、ベッドの中で「そろそろ起きなきゃ」ってずっと考えているからだ。危機感が臨界点を超えれば身体は動かざるをえないのだ。
めんどくさいは、やりたくないではなく、考えたくない。
めんどくさいことがあるとき、気を紛らわせるためにスマホをいじってしまうのは、考えたくないから他の刺激に意識を逸らそうとしているのだ。
めんどくさいは、やりたくないではなく、考えたくない。
身体はいくらでもゴロゴロしてていい。少なくとも頭の中では「やるべきこと」に向き合い続ける。それだけでいい。身体はいつか動きたくなる。
ぜひ試してみていただきたい。
読みたい本がたくさんあります。