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私が淋しいのだろう。

#20240515-397

2024年5月15日(水)
 照れくさいのとも、どうやら違う。
 ほかの子どもと比べたくないのだが、引っかかるのは、私が淋しいからかもしれない。

 習い事や学校行事で迎えに行くと、ノコ(娘小5)は私と距離を置く。
 すぐに友だちの後を追ったり、よその親子のあいだに入ろうとしたりする。道いっぱいに歩くわけにもいかないので、私は少し後ろを歩くことになる。

 先日あった小学校での災害時引き取り訓練のときもそうだった。
 校庭に並んだ子どもたちの前に保護者が列を作る。早からず、遅からず、ちょうど列の真ん中あたりに私は立ち、ノコに小さく手を振った。
 ノコは一瞬だけ目を輝かせたが、すぐ視線をそらす。
 「○○の母/父です」
 そう名乗り、担任教諭から我が子を受け取る。
 見ていると、どの子どもたちも嬉しそうだ。男子であっても元気よく立ち上がると母の手を握り、校門へ向かっていく。背の高い女子は母の腕に恋人よろしく腕をからませる。未就学の下の子を連れてきている場合は、兄、姉らしく幼い子の手を引いたり、抱き上げたりする。
 それぞれの家族が校門を出て、細い通学路を帰っていく。

 「森谷ノコの母です」
 ノコは勢いよく立ち上がると、担任教諭への挨拶もそこそこに私の傍らをすり抜けて、前を行く母娘を追いかけた。
 私も慌ててその後を追う。
 通学路は狭く、二列で歩くには無理がある。
 ノコはそれでも追いついた母娘のあいだに割り込もうとする。
 友だちの女子に話しかけ、その母親を見上げて、何かいう。すぐ後ろを歩いているものの、私にはその会話はよく聞こえない。
 「ノコさん、一列でないと無理よ」
 振り返ったノコに手招きをするが、ノコは足をゆるめない。
 家が近いその母娘とはほどなくして別れたが、ノコはすぐまた友だちがいないかと道の先に目を凝らす。
 そして、また走りだす。

 最近、こういうことが増えた。
 迎えに行くのが最後のほうーー一番最後ではないーーになればなったで怒り、そうかといって早めに迎えに行っても喜ぶわけでもない。
 友だち優先なのか、すぐに同じ方角を行く親子に加わろうとする。
 みなそれぞれの家路につき、私たち親子だけになってようやく喋ったり、手をつないできたりする。
 それまでは、まずは友だちということなのだろうか。
 ノコが割り込んでも、その親子はノコを邪険にはしない。でも、ちょっと強引さがあるのは否めない。
 後ろをついて歩く私は淋しいのだと思う。
 家族単位で帰るなか、ノコだけはよその家族に混ざっている
 私と一緒にいるのが照れくさいわけではなさそうだ。だから、なおノコのふるまいに戸惑うのかもしれない。

 ノコは家では「ママママ、ママママ」いうわりに、どこか私への執着が希薄だ。
 委託直後の里親子を見ていると、里母からの分離不安がある里子が多い。
 私の地区では、委託後はじめの1年間は、月1回児童相談所児 相で開催されるサロンに出席せねばならない。里子たちはプレイルームで児相の職員と遊び、里親は別室で近況を話したりと交流を深める。たまにご夫婦で出席する里親もいるが、平日の日中に催されるため、里母が占める。
 サロン開始時刻より少し早めに里子とプレイルームに入る。里子が場に慣れ、遊びに夢中になりだしたところで「隣のお部屋にいるからね」とそっと別室へ移る。
 最初の頃は、里母がいなくなることに不安を覚え、里子は大泣きする。
 なかには、時間をかけても母子分離ができず、里親の部屋についてくる里子もいる。
 ノコはいいか悪いか、母子分離に手こずることはなかった。
 年齢が高い分、聞き分けがいいといえば聞こえはいいが、要は遊んでくれる大人がいればノコとしては問題ないのだ。
 困らないのだ。
 心配ないのだ。

 泣いて泣いて泣いて、里母にしがみつき、離れようとしない里子に里母が苦笑を浮かべる。幼ければ幼いほど、朝から晩まで一緒にいるため、里母にとってサロンは大人の会話ができる息抜きの場でもある。里子の前ではいえない悩み事を相談したくても、離れてくれないと困る場合もある。
 里母の苦笑は、自分を求めてくれる嬉しさと、でも執着の強さへの疲れと気分転換したい願いと相談したい切実さと・・・・・・さまざまな感情が混ざったものだろう。
 だけど、私はちょっぴりうらやましい。
 ノコが私だけにべったりだとしたら、疲弊するのは目に見える。
 それでも、ノコが里母である私に一時でも執着してくれたら、今の距離を置くふるまいもあたたかく見守れるのかもしれない。
 その期間がなかったことが、私を淋しくさせているのだと思う。

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