夏休みの宿題提出日の前日 ~書く行為が身体的にしんどいのか、それとも気持ち的に億劫なのか~
#20230822-205
2023年8月22日(火)
いよいよ長かった夏休みも終わりが見えてきた。
ノコ(娘小4)が通う小学校は、夏休み後半に登校日が3日間ある。おそらく乱れた生活リズムを整えるためと始業式の荷物を減らすためだろう。夏休みに持ち帰った普段学校に置いてある物――防災頭巾や道具箱などをこの期間に少しずつ学校へ持っていく。
そして、夏休みの宿題も!
夏休みは8月31日まであるのだが、宿題の提出日は明日なので1週間ばかり前倒しとなる。
ここ数日、ノコが何度もいう。
「ねぇ、ママ。宿題って23日に出さなくちゃいけないの?」
「学校からのお便りにはそう書いてあるよ」
「24じゃダメなわけ?」
「24日でもいいです、とは書いてないね」
私の返事は変えようがないのだから諦めてほしいが、繰り返し尋ねてくる。まるで何度もいえば、いつかはママが違うことをいうとでも思っているかのようだ。
そういうわりには、相変わらず切羽詰まった様子はかけらもない。
朝食後はソファーに寝そべり、背もたれに足を投げ上げて本を読んでいる。
社会のプリントをやるよう声を掛けても本に目をやったまま生返事しかしない。
残る宿題は、社会のプリント1枚、自由課題の工作の仕上げ、読書感想文の下書きと清書。
私がサポートできるものは、工作の仕上げと読書感想文の下書きだ。
読書感想文は一応アイデアメモのようなものは書いてある。それを文章のかたちにした上で学校配布の原稿用紙に清書する。
私が見る限り、ノコは「書く」ことが嫌いだ。
何度注意しても鉛筆の持ち方がいわゆる正しい形にならない。正しい持ち方が本当に正しい――字が書きやすく、体への負担が少ない――のかはわからないが、指の関節がやわらかいのは確かでヒヤリとする角度まで反る。そのやわらかさが返って仇となり、指先の力が安定せず逃げるのだろうか。
本人はただ「書くのが面倒くさい」の一点張りなのでただ心理的に億劫なのか、具体的に書きにくさがあるのかわからない。まだ経験不足、体の使い方が未熟な子どもゆえ説明ができなくても仕方がない。
読書感想文の清書は、本人がやらねばならない。
今回はメモをもとにノコがいった言葉を私が記述することにする。ノコがいった言葉を私がまとめるのではない。あくまで文字にするだけだ。
メモにあるはじめの問いを私がいうと、ノコはメモに目を落としながら喋りだした。
「えーっと…… 私は本を読むのは大好きだけどぉ、読書感想文を書くのは大嫌いでぇー」
幸いなことに、私はノコが喋る速度でタイピングできる。もし私にそのタイピング速度がなくても今は音声認識技術もあるから、やり方はいかようにもある。
ノコは私やむーくん(夫)が使うノートPCの画面に自分が話した言葉がするすると綴られていく様に目を輝かせた。
「待って待って。ママ、ここはやっぱりこう書いて……」
画面を覗き込みながら、いい直したり、メモとは違うことをいいたくなって思案したり、ノコに書かせるよりだいぶ早く草稿が完成した。400字詰め原稿用紙に換算すると、学校の目標枚数をクリアしている。それをプリントアウトして、ノコに手渡す。
「清書はノコさんがやらないとね。はい、頑張って!」
学校でもキーボードの練習はしている。専用ソフトもあって楽しくゲーム感覚でできる仕組みになっているが、どうもノコには合わないらしい。ちっともやろうとしない。
私としては書くのがそんなに面倒ならば自分で打ち込めるようになればだいぶ楽になると思い、そう説くのだが、意味がわからないようだ。
やはり書く行為が苦なのではなく、気持ち的に面倒くさいだけなのだろうか。
写すだけとはいえ、清書にも時間がかかりそうだ。
仕上げのみとはいえ、工作も残っている。
さてさて、今夜は何時に寝られるだろう。私はすでにあくびが出ている。
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