変わるものだけでなく、変わらないものもある。心が揺れる春到来。
#20240307-371
2024年3月7日(木)
インターホンの画面に映ったノコ(娘小4)がうつむいている。
いつもなら「はーい」と返したり、カメラの向こうでふざけているのに、動きがない。
急いで玄関ドアを開けると、ノコはドアを支える私の腕の下をくぐるように入ってきた。
「どうした? 何かあった?」
ようやく顔を上げたが、今にも泣きそうだ。
「あのね、○○ちゃんがね」
体をぐいぐいと私に押しつけてくる。そのまま押される形で廊下を後ろ歩きし、居間に入り、倒れまいと正座をすると、流れるようにノコが膝に座った。
「うん、○○ちゃんが?」
先を促すと、ノコが堰を切ったように話しはじめた。
○○ちゃんに一緒に下校しようと声を掛けたら、歯医者に行くため急ぐといわれたとのこと。ノコは小走りし、このくらいならいいかと〇〇ちゃんに速度を確認したら、怒ってしまったという。
「○○ちゃんがね、『一緒に帰りたいだけなんでしょ!』って怒って行っちゃった」
その通りだ。
ノコは一緒に帰りたかっただけだ。
ただし、誰でもよかったわけではない。
○○ちゃんと一緒に帰りたかったから、彼女に合わせようとしたのだ。
「その通りだよね。一緒に帰りたかったんだよね、○○ちゃんと」
ノコが胸に顔をうずめたまま、うなずく。
おそらく○○ちゃんは、ノコの努力を「1人で帰りたくないだけ」と解釈したのだろう。
「○○ちゃんと帰りたかったねぇ。○○ちゃんがよかったんだよねぇ」
顔面を強く押しつけたまま何度もごりごりとノコがうなずくので、胸元が痛い。4年生になって、ノコはだいぶ体が大きくなった。
「外で泣きたくなかったから。泣かないよう頑張った」
私はノコの背をなでる。
「そっかぁ、頑張ったねぇ。もうお家だから泣いちゃう?」
顔をあげたノコの目には涙が浮かんでいる。それがゆっくりと笑みに変わる。ちょっぴりゆがんだ、無理矢理の笑みだ。
「大丈夫。ママにいったから平気」
2階にいたむーくん(夫)が下りてきて、私の膝の上にいるノコを見下ろした。
「今日は6年生を送る会をやったんでしょ。うまくいった? 成功した?」
もうすぐ卒業する6年生に学年別にパフォーマンスをする。
送る言葉をいいながら、なにやら大きな仕草をするらしい。私たちはノコが担当するパートしか知らないので、全体としてどんな出来かわからない。
ここ連日、ノコはその振り付けを私たちに披露していた。
私は軽くノコの尻を叩いて、立たせる。
「あのね、あのね、あのね!」
パパにママの膝にのっていたのを見られたのが照れくさいのか、泣きそうだった顔を見られたのが照れくさいのか、ノコは勢いよく立ち上がると、ほかの学年のパフォーマンスを真似しだした。
「3年生のもおもしろくってね。だって、こうだったんだよ!」
ぶんぶんと腕を振りまわす。
「そんでね、こういうのもあってね」
声を張り上げて台詞をいう。ここは会場になった体育館ではない。声量を控えてほしい。
「6年生、いなくなっちゃうんだね・・・・・・」
ノコはその生い立ちの影響か、人との別れに敏感なところがある。
たった10年の人生のあいだに、大きな別れが続いた。実親との別れ、やっと慣れた乳児院との別れ、児童養護施設との別れ。幼稚園も里親である我が家に来るために1度変わった。
もちろん親の転勤や引っ越しで幼いうちから別れを経験する子どももいる。だが、家族という単位での別れと、単身での別れは同じではない。
もうすぐ今年度が終わる。
4月になれば、ノコは小学5年生に進級する。
ノコが通う小学校は毎年クラス替えがある。児童数が多い学校ではないが、毎日教室で見る顔が変わる。担任教諭も変わる。
環境の変化はノコの心を大きく揺さぶる。
もうすぐノコと暮らして5年目だ。私たち夫婦も少しずつ見通しがつくことが増えてきた。
春になれば、別れがある。
でも、春になっても「変わらない」ものもある。
変わるものだけでなく、変わらないものにも目を向けたい。
春は――私たち家族3人は「一緒だ」と積み重ねる時間でもある。
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