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中途養育におけるアタッチメント形成について。~研修を受講して~

#20240525-402

2024年5月25日(土)
 里親会にて中途養育におけるアタッチメント形成についての研修があった。
 それこそ4年前ーー里子であるノコ(娘小5)が私たちに委託された直後は、「アタッチメント」「愛着障害」とある本を手当たり次第に読んだ。図書館で借りたり、購入したりしたのでどの本に書いてあったかは定かではない。
 ただ安定したアタッチメントの形成は「何歳になっても可能だ」とあった記憶がある。
 いつか、いつかと毎日を丁寧に重ねれば、そこに至るのだとその言葉を支えにしていた。

 今日の研修では、はっきりと愛着アタッチメントの再形成はできないと告げられた。
 3歳までに形成された不安定なアタッチメントは、その後の関係によって修正されることは難しい。
 もちろん何事も100%なことはないので、まれに修正されることがゼロではないが、多くは困難だという。
 正直、愕然とした。
 だが、同時に資料にある不安定なアタッチメントシステムを形成した子どもの例は、思い当たることが多く、受け入れるしかなかった。
 自分自身を振り返っても思い当たる。些細な傷つきであってもその後の体験により軽減することはあれ、ゼロになることはないのだから、アタッチメントが再形成できると信じたほうがむしろおかしい。
 不安定なアタッチメントを形成したノコに見られるさまざまな生きづらさは、今後我が家で暮らすことで多少目につかなくことはあるだろう。それでも、大きな環境の変化や立ち向かわなければならないことに直面したときに顔を出すのだろう。
 それは、一生繰り返される。
 私たちができることは、ノコの成長に合わせて「あなたにはこういう傾向がある」ことを伝え、私たち夫婦が生きているあいだはノコを支えることなのだろう。
 ノコは少しずつ自分のその傾向を自覚し、何をすれば落ち着くのかいくつかの方法を探していく。生きづらいと感じたら、それらの方法をひとつずつ実行し、自身を安定させる。

 改めて、里親家庭への委託が乳児期に行われる重要性を感じた。
 研修やノコが育ったつながりから訪問した乳児院、児童養護施設での養育には、頭が下がる。それでも、そこは「命をつなぐ」場であって、安定したアタッチメントの形成には適していないことがわかった。
 担当保育士がいるとはいえ、家庭に比べれば1対1で目を合わせる時間は短い。
 施設の仕組み上、仕方がないのかもしれないが、乳児院と児童養護施設と分かれるのも子どもにとれば厳しい。
 安定したアタッチメントを形成した子どもが3歳を過ぎて、アタッチメント対象と離れた新しい環境に置かれた場合、心のなかにイメージしたアタッチメント対象に支えられながら、不安を軽くする。
 たとえば、母親と安定したアタッチメントを形成した子どもが保育園に預けられる。アタッチメント対象である母親と離れた新しい環境である保育園で不安に襲われる。心のなかに「ママ」を思い描いて、不安を軽くする。
 ノコは実親と離れ、乳児院、児童養護施設で育った。
 おそらく実親とのアタッチメント形成は不安定だったと思われる。
 不安定なまま、乳児院に入り、新しいアタッチメント対象である担当保育士と出会う。だが、そこでも安定したアタッチメント形成に至らなかった。そしてまた児童養護施設に移るが、その時点で3歳を過ぎる。
 衣食住に困らず、清潔な環境で養育される施設は、生きながらえるためには実親のもとより好環境かもしれない。

 アタッチメント対象が不在のまま、育つこと。
 人間ひとりを育てるのだ。
 里親になることを決して軽く考えていたわけではない。
 ただ未委託のときに受けた研修と、里子であるノコと暮らし、私の人生とノコの人生が重なった今、受けた研修と私のとらえ方の違いがとても大きい。
 体験しないとわからないのは、悔しい。
 でも、体験しないとわからないのだ。
 たとえ、「今の私」が「未委託時の私」に「今の思い」を語ったとしても「未委託時の私」はわからないだろう。
 わからなくても、ほんの一欠片でも伝われば、あぁもうそれだけでいい。
 過去の私には会えないから、このnoteを読んでくれた「あなた」に私は言葉を残す。

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