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信じる者がもつ強さ。あなたは信仰する宗教がありますか。

#20231202-306

2023年12月2日(土)
 私は特定の宗教を信仰していない。いわゆる「無宗教」である。
 だが、「神」と呼ばれるものの存在を信じていないわけではない

 子どもの頃、父の転勤で山奥の小さな町で暮らしたことがある。
 家の前にある公園はそのまま山でもあり、階段を上って行くと、途中墓地があった。さらに上るとほこらがあり、その裏手には山頂までの道が続いていた。
 友だちと遊んでいると感じないが、ひとりで遊んでいると、ふとした瞬間に何かいるような気配を感じることがあった。それは実際には野兎、猿や猪だったのかも知れないがーー普通に野生の動物が出没する地域だったーー、もっと大きな何かが「存在いる」という強さだった。
 気圧けおされるような怖さが押し寄せることもあれば、見守られているという安堵感が体を満たすときもあった。

 宮沢賢治の童話をはじめ、北海道のアイヌの昔話、子ども向けではあったが「古事記こじき」や「今昔こんじゃく物語集」「宇治拾遺うじしゅうい物語」が好きだった私は神様のようなものがいるほうが馴染み深かった。
 長く生きた生き物や長く使われた物が「神」というか「妖怪」というか説明のつかないものになり、存在する話もよく読んだ。
 私を見ているものは、何も人間ばかりではない
 誰もいないところであっても、見ているものはいる
 それが私と同じ善悪の価値観を持っているかはわからないし、見られているから私が何かを「する/しない」を決めるわけではないが、私の「良心」なのだと思う。
 山奥で過ごしたその数年は、それを身をもって感じられただけでも私の人生で大きなものとなった。

 宗教を持ちたいわけではないが、信仰するものがある人は「強い」と感じることがある。
 里親の集まりに出席すると、キリスト教をはじめ、宗教を信じている人に出会うことがある。特に多いわけではなく、近所の人たちと同じような割合なのかもしれないが、おそらく里親同士だと天気や世間話ではなく、里子の養育についてや自身の生い立ちなど踏み込んだ話をするので、宗教に触れることになるのかもしれない。
 例えば、「こういうふうに考えるのは、私がクリスチャンだからというのもあるのだけどね」という具合だ。
 別に勧誘するわけでなく、さらりと自身の考えの根底に宗教があると述べる。
 委託された里子の育った背景は、児童相談所からおおまかにしか伝えられない。里親の生い立ちとかけ離れている場合も多く、想像するにも難しい部分がある。養育に悩んだとき、宗教という信念がある里親は、心のよりどころがある分、たくましく見える。

 成長につれ、里子であるノコ(娘小4)は口が達者になってきた。
 善悪についても難癖をつけることが多い。私もむーくん(夫)もその都度説明はするが、ノコに「わかんない」「知らない」「関係ないし」と突っぱねられると、言葉が尽きる。
 よくない行為をしてしまい、恥じ入る気持ち
 「何に対して?」と問われれば、窮してしまう。
 まだノコは自身のなかに確固とした良心が育っていないので、良心の呵責が通じない。
 「神様に」と返せば、「神様ってどこにいるの? 見たことあるの? 本当にいると思ってるわけ?」と機関銃のように責められる。
 こういうとき、多くの人が信じる宗教がある国の人は説明に困らないのだろう。
 「神様っていうか、お天道様かな」
 「お天道様って何?」
 「お日様のこと。ノコさんがそういうことをしたり、いったりしてもお日様が照らす明るい道を堂々と胸を張って歩けるか、ということかな」
 これはこれで、かなり抽象的だといいながらも笑いたくなる。
 果たして。ノコにその情景と、そこを歩く心持ちを思い描くことができるだろうか。

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