子育てにおけるアセスメント。~里子受託5年目の新米里親のひとりごと~
#20240910-466
2024年9月10日(火)
里子であるノコ(娘小5)が我が家に委託されて5年。
まだまだ里親初心者の私が思い、考えたことを今日は綴りたい。
ノコが小学3年生の後半、約1年以上苦しい時期が続いた。
委託3年目あたりのことだ。
それまで順調であったかといえば、山あり谷ありだったが、とにかくその頃は学校の宿題をはじめ、家での過ごし方もノコはすべて開口一番「ヤダ」となった。
しばしば癇癪を起こし、物に乱暴にあたったりもした。
テーブルに頭を打ち付けたりする自虐的な行為もあった。
「私がいなくなればいいんでしょ」「出て行けばいいんでしょ」「私がいないほうがパパとママは幸せなんだよね」といった言葉を吐いた。
なにをどうすればいいのか、わからなかった。
1年かけて児童相談所で学んだペアレント・トレーニングを取り入れたが、いいサイクルを私には作ることができなかった。
児相のケースワーカーさんとの面談でも、私は「大変」「つらい」「どうしたらいいのかわからない」と嘆くばかりだった。
児相側でも委託を中止する「不調」が挙がっていたようだ。
あるとき、先輩里親さんに里親の役割は「社会的養護」だといわれた。
実子を育てる親のように接すれば、里子との関係は時間が解決するのだと当時の私はどこかで思っていた。実子はいなかったが、親にされて嬉しかったことをノコにもすればいいと思っていた。
福祉だの社会的養護だのアセスメントだの、里親の研修で聞いた単語はよそよそしく、それがなんなのだ、どう実行すればいいのだ、とわからなくてわからなくてもどかしかった。
ケースワーカーさんは私の話を真摯に聞いてくれたが、ただただ私の話を聞く「傾聴」の姿勢が見え隠れして、話す気が失せた。よい傾聴とはもっと違うものだと思うが、当時の私には具体的に「どうしたらいいのか」を知りたいのに、これでは埒があかないとも感じた。
子育てに正解がないのはいい。
だが、ノコとの関係が改善される手立てはないのだろうか。
そんなときに「アセスメント」という言葉を知った。
カタカナ語が苦手な私はその単語が福祉の現場でなにを意味するのかわからなかった。
わからないから、調べた。
私――里親がすることは、それなのだと思った。
今まで「私が」困っていることを児相のケースワーカーさんをはじめ周囲に訴えていた。
「私が」困っている。
「私が」つらい。
「私が」しんどい。
「私が」ではなく、「ノコが」で景色を見たらどうなるか。
「里親が」ではなく、「里子が」という視点を持つ。
ノコの立場でまわりを見まわしたら、私が苦しんでいるものとは違うものが見えてくるのかもしれない。
私にとってこれは大きな気づきだった。
ノコのふるまいを「ノコが」なにに困っているのかと見直した。
ふるまいや言動に注目するのではなく、ノコがなにを見て、なにを感じているのか。そうすると、癇癪や「ヤダ」の底にあるノコの心の動きが――あくまで私の想像の範囲だがうっすら見えてきた。
それに伴い、周囲への私の伝え方も変わっていった。
「私」ではなく、「ノコさん」を助けてほしい。
ノコの状況を把握し、分析した上で提案して依頼するいいかたになった。
これこそ、生活をともにする里親だからできることだと思った。
児相にも小学校にもぐんと伝えやすくなった。
ときに、先方から具体案を引き出すこともできるようになった。
なにより私の精神状態が落ち着き、こわばりがほぐれた。
事務的に聞こえるかもしれない。
「家庭」の経験が「里親」の役目、里親制度の意義ではないか、と思われるかもしれない。
だが、こちらとて中途養育なのだ。
里親夫婦2人では限界がある。
ましてや里子の年齢があがれば、家庭で過ごす時間よりも学校や習い事と外で過ごす時間のほうが長くなる。児相をはじめ、学校や習い事先といった教育機関、地域の方々の理解と力を借りなければ里子の養育はできない。
いや、これはなにも里親家庭に限ったことではない。
実子を育てている実親さんでも「困った」ときには、自分の「困った」探しをするのではなく、子どもの「困った」を見つけて、分析して、どういった協力が周囲から得られるか考えることは重要だと思う。
人や公共機関などの組織に頼ることはハードルが高い。
それでも、とてもじゃないが、子育ては夫婦2人の二馬力ではできない。
つくづくそう思う里子受託5年目の新米里母のワタクシである。