見出し画像

ひとりごとのコーナーこぼれ話2~いろいろ考えてた編

この記事は、あくまで一個人の体験談記です。ベンゾジアゼピンの離脱症状で現れる症状や進行の仕方などは人により様々であり、誰一人として同じではないことをご理解いただいた上で、「こういう人もいるんだな~」って感じでお読みいただければ幸いです。

医療関係者による監修は入っておりません。「私の身にこんなことが起こりました」という情報にすぎず、医学的・薬学的なアドバイスをするものではありません。私は医療者ではありませんので、医学的な質問にお答えすることはできません。また、この記事で得た情報からいかなるトラブルが発生しても私は一切責任を持ちませんので、ご了承ください。

だいたい月に1回更新している、ベンゾジアゼピン減薬記録(下記マガジン収納)には、私の超個人的つぶやき・体験談を「ひとりごとのコーナー」として付録しています。

この記事は、そこに入りきらなかった「こぼれ話」たちをまとめてみたものです。

センシティブな内容もあるかと思いますので、読むことで不安な気持ちになりそうであれば、ここでブラウザバックしてくださいませ。

読み手の皆さまには、読まない自由があります。お読みいただく際は、ぜひ、冷静に読んでいただけますと幸いです。


自分の中の不安に耳を傾ける時間

私は今のところ、ジアゼパムをピルカッターで漸減している(十分にステイをとる。)決心するまで5か月かかってる。5か月間、ノートに自分はどうしていきたいのか、思うことを書いて書いて、ひとり思案していた。

今になって思えば、一所懸命に書く行為をさせていた背景には「不安」があった。書くことで気持ちを落ち着かせようとしていたのかな。ああでもない、こうでもない、ワカラナイと支離滅裂に書きなぐっていたから。言いたいことが山ほどあるんだろう自分の中の不安に寄り添った期間だった。それでよかったんだと、今は思う。それで落ち着いて、減薬に進めたから。

「いかに精神的に安定した状態を保つか」が、私の減薬のミソ。マガジンの体験談記事にも、私にはストレスが大敵だと書いている。

ずーっとストレスを感じている状態って、脳にダメージを与えているのでしょう? ただでさえベンゾで弱っている部分に対して、さらに負荷をかけ続けたら、良くなるもんも良くならないでしょう? だから、ストレスのもとは、できるだけ少なくしておくにこしたことはないんじゃないかなって…

何が不安でストレスになってるのかを、ジッとして、ひたすら自分に聞くだけの時間も必要なのかなあ。無理やり不安を押さえつけて、もともと無いことのようにするのは、結局自分に負荷をかけてるだけだから、不安が満足するまで、ただただ聞いてあげる期間があるといいのかもね(どのくらいの時間がかかるのかは、人によるんだろうけどさ…)


思考には癖があると受け入れる

私の場合、自分から精神科の門をたたいた。初診の診断名は適応障害だった。ストレスの原因は仕事、過労だった。そして、過剰に適応しようとする思考の癖があることが、臨床心理士のカウンセリングでわかった。

あくまで私の場合、抱えた体調不良のすべてをベンゾのせいにすることができない。自分の思考の癖も原因の1つだと思っている。つまり、思考の癖=ベンゾ服薬前の既往症と言い換えることができるかもしれない。私はそれを認め、受け入れている。

思いこみは思考、視野の幅が狭い状態。選択肢が少ない状態。余白のない状態。これが生きづらさでストレッサーなら、ちょっとは改善したいなあと思うのよ。のびのび自由に、どこにでも手足を伸ばせるなら、それだけで少しは元気になれそうだもの。

例えば、減薬後に出た めまいと対面する時「離脱症状かもしれない」という考えと「私自身の思考の癖=ベンゾを減らすと絶対めまいが来るという思いこみや過度な心配、不安から来ている症状かもしれない」という2つの考え方の中間に立とうと考える。(もっと幅を持たせたら、上の2つのどちらでもない可能性、例えば耳の問題とかもあるよね。)

そしてバランスを見て、とりあえずの、自分にとってストレスのない、楽な納得解を出してみる。「絶対こうだ、こうに違いない」とはしない。「~かもね」くらいで、ゆる~く留めておく。ある程度、適当でいる。ブラブラさせておく。(あまりにひどい症状であれば話は別です。すぐ病院です。)

思いこみでストレスを感じて、さらに体調を崩しちゃ本末転倒。減薬の足かせの1つが「自分の思いこみからくるストレス」なら、それをどうにかできるよう解決法を再考した方がいいんだろうな。そっちで拗らせていたら、進むもんも進まんのじゃないか? と考えたりする。思いこみは解き放ちたいなあ。

私にとっての私自身の減薬作業は、単純に薬を減らすものではなく、自分の思考の癖と向かい合うことなのかもしれないなと思う。ベンゾ減薬していって体調が少しずつ良くなったとしても、もともとの悩みや考え方の歪みは解決されていない。冷静に考えりゃ、薬で悩みが消えるなんてこと、あるわけないじゃない? ずっと居るのよね、薬とは関係ないところに。

すると、私の場合、本当の意味での減薬・断薬には「それ」と対峙することも、場合によっては必要なのかもしれない。これもまた忍耐と時間が必要になってくるね。「そもそも、なんで私は薬を飲むことになったのか」にさかのぼってみて、素直に前向きに自分と向き合い、受け入れること。

自分と正面から向き合うっていうのは、本当は見たくない自分を見ることになる。本音や弱みは自分にとって不都合なので包み隠していたりする。長年うまく隠し過ぎて、自分で気づいていなかったりする。対峙するのは勇気がいる。本音はとっても生々しい。痛くて苦しい。不安、恐怖。でも、本心を認めてあげたら、別のところに活路を開けそうな気がするんだよね…(今はまだ、気がするってだけなんだけどね…)

本音を認めてあげた後は、人生をしたたかに、うまいことやる技を身に付けていく。自分と向き合いつつ、楽に生きる道を探っていく。思考の癖って自動思考でしょ? だから、意識して訓練を重ねないとなかなか軌道修正できないんでしょ? けど、今後も試行錯誤しながら、長い目で見て、ぼちぼちやっていきたいなーって思っているのです。


離脱症状のことを人に説明しようと頑張ってみた

うつ病の友人がいると言うAさん。Aさんに私が抗不安薬を飲んでいること、今減らしていること、止めたいと決意していることを話してみた。どんな反応が返ってくるのだろうと思って。

薬を減らすと体調が悪くなるよ。身体依存って言って、診断された疾患が寛解してから処方薬を減らしても、意志とは関係なく否応なしにいろいろな症状が出て、コントロールできない。日常生活が送れなくなる。仕事もできなくなる。それが、めちゃくちゃ悔しい。

Aさんはすごく驚いた顔をして、こう言った。
『そんなこと、ほんまにあるん? そういう薬って「飲んでいるから楽になっていると思っている」だけの気の持ちよう、プラセボの部分が大きいと思ってた。だから、すぐに止めようと本人が決意すれば、簡単に止められるもんだと… 本当に「効いている」んだね』

私はこう答えた。
精神薬は脳に効かせているんよ。私は自分の飲んでる薬の効果を、こうイメージしてる… あくまで、イメージね。
仕事量が多すぎて仕事が回らなくなった限界状態の正社員のところに、優秀な派遣社員がやってきて、仕事を手伝ってもらえるようになった。正社員は楽になった。仕事がスムーズにまわるようになった。
その3年後。派遣社員が急に辞めることになった。正社員はその頃になると、派遣社員がいるのが当たり前になっていたので、派遣社員が辞めると正社員は、仕事量の多さにパニックに陥ってしまった。
正社員が脳、派遣社員が薬、パニック状態が離脱症状って感じかな。

ああ、なるほどねと、Aさんは納得したようだった。続けて、こうも言ってくれた。
『なんで身体依存のことは、あまり知られていないんだろうね』

そうなんだよね。私も知らなかった。処方された量を正しく飲んでて、こうなるとは。リスクの部分だから患者は知っていなきゃなのに。でも、医師も薬剤師も事前に教えてくれなかったよ、一切。激烈な離脱症状が出る人が少数派なんだろうね。でも多分、すごく軽い離脱症状、例えば頭痛がするとか、めまいがするとか、健康な人でもたまにあるような不定愁訴が起きていた人たちを含めると、結構な数の人が実は離脱症状を経験しているかもしれないよ? 離脱症状だと思っていないだけでさ… 時間差で数か月後、半年後に離脱症状が出ることもあるんだけど、その場合は半年前に止めたの薬のせいだと本人が思ってなくて、なんだか体調が悪いって病院に行って、別の病名がついてることもあると思う。

…と、こんな感じで会話は終わった。

‟本当に” 治る、治すというのがどういうことなのか。
出口戦略をしっかり考えないと、いつまでも同じところを彷徨い続けて嘆いてばかりだと思う。彷徨っている人がいてくれた方が儲かる世界なんぞ、くそくらえなんだわ。


立ち返って確認、学び直す

減薬中は、ほんのわずかな体調の変化や、ベンゾの情報などに意識が向きがち。そういうときこそ「私は何を目的に減薬しているのか」に立ち返ることにしている。そして、アシュトンマニュアルを読み直すことにしている。読むと「なんだ、ベンゾとの向き合い方は、もうすでにここに書いてあったじゃん」と改めて知る。(もちろん、全部が全部全ての人にとって正解なのか? と読む必要はある)

ひどいベンゾショックのときには、正直半信半疑というか、世の中のすべてに対して疑心暗鬼、ひどく不安な状態になってたから、アシュトンマニュアルを読んでても「そうなのかもしれんけど…そうであって欲しいけど…」と「けど、だって、でも」みたいな言葉が語尾につきがちだった。(それに、離脱症状下では、文章自体を読むのに難儀する。あれ、一気に全部読んで理解するの、キツイのよブレインフォグにはね。)

逆境のときこそ、謙虚に「学び直す」ことが大切だとつくづく思う。変なプライド、慢心は要らない。そして、今まで自分が歩んで来た道、たとえそれが、失敗だ、恥ずかしい、なかったことにしたいと思ってしまうようなことであっても、ありのまま丸ごと受容することができたら… そこからまた前を向いて、地に足つけて、進んでいけるんじゃないかなーなんて、思うのよ。


減薬のおともたち

おともたちというのは・・・あくまで私個人が、次の減薬ステップに進むのに「整える」程度に使っているという意味です。すでに出ているひどい・・・離脱症状を可及的速やかに・・・・・・・緩和してくれるものではないので、そこはご留意願います。そういうモノは、自分の経験上では無かったです。

離脱症状の程度が軽くなって、日常生活をこなせるようになってきてから減薬をスタートしたわけですが、それから現在まで私は以下のものを、おともたちにしています。

●鍼灸 → 継続にお金がかかるのがネック。私は打ってもらってる時間が、鍼灸師さんとの雑談込みで好きで、ストレス発散方法のひとつ。

●生活習慣の見直し → 栄養バランスのとれた食事。生活リズムを一定にすること。軽く運動すること(私にとって1番良いのは、自然の中を散歩することだと思ってる。)これらは離脱症状関係なく、健康のためにいいことですね。

●サプリ → ベンゾとは関係なく、血液検査の結果でどうにもこうにも毎度数値が低すぎる亜鉛は、サプリに頼らざるを得ないです。あと、ビタミンB群・C、マルチミネラル系は、体がだるい時に飲むとちょーっとマシ程度にはなるかな。気のせいかもしれんけど。

●実家にある、ごつい全身マッサージ機 → 結構助けられてます(^^) 

●めぐリズム、あずきのチカラ → ガチガチ凝りの症状が出ている時には、体を温めるとまだマシな気がする。


※逆に、絶対おともたちにしないと心に決めているもの※
●アルコール、カフェイン → どちらも大大大好きでしたが、それゆえにひどいしっぺ返しを食らいました。なので、私はどちらも断って5年以上になります。

※以上は、あくまで私個人の経験、感じたことです。