親の心、子知らず。一人前のつもりだったが、見守られていたようです。~子どもに体力を使う時期、気力を遣う時期~
#20240620-419
2024年6月20日(木)
なんとなく気が合い、数回会ったものの、その後は年賀状のやりとりだけの友だちがいる。
毎年、年賀状が届くと連絡を取ってみようと思う。
だが、お正月が明けたら――ノコ(娘小5)と一緒に暮らすようになってからはノコの冬休みが終わったら、と思っているうちに季節が過ぎてしまう。それを繰り返していたら、20年以上過ぎてしまった。
大人の時間経過の恐ろしいことったら!
一度年賀状にメールアドレスを書いてみたが、連絡がなかった。友だちはとうに結婚し、我が家よりずっと大きなお子さんがいる。文面からして仕事もしているようだ。ご多忙なのだろう。
そう思っていたら、今年の年賀状には友だちのメールアドレスが書いてあった。
これは連絡してもよいということだろうか。
思い切って、メールを送ってみた。
件名に私の氏名を入力し、ランチに誘った。社交辞令でないこと、実現したいことを伝えたくて候補日も記した。
年賀状のやりとりはしているので私の氏名を忘れていないとは思うが、メールを送信したのは年賀状を受け取った直後ではなく、先月。
つまり、5月だ。
書けば書くほど、なんだか怪しげなメールになる。
迷惑メールの類いで、女性が男性に宛てた形式のものだ。女性が親しげに「お久し振り! 会いたいので連絡ください。待ってます」という、それみたいになってしまうのだ。
「怪し過ぎぃ~!」
身もだえながら、送信。
返信はなく、候補日が近付いてしまう。
都合があわないのなら、それでいい。
会う気がないのなら、それもそれだ。実現しないのならほかの予定を入れたいのに、身動きが取れない。
返信がないため、「今回はなしにしましょう」とメールを送ったら返信がきた。
どうも1通目は読んでいないような文面だ。1通目のことを伝えると、目にしていないことを彼女も不審に思ったらしい。探してみたら迷惑メールフォルダに格納されていたとのこと。
日程を改めて相談し、本日ランチをしてきた。
互いの記憶をすり合わせて計算すると、どうやら27、8年振りだった。
出会った当時のおぼろげな記憶を補い合っては笑い、その後過ごした長い時間のことを語って語って、現在にたどりついた。
年齢が同じということ以外、学校も住んでいた地域も共通点はない。
話していて、なんとなく気が合うので友だちになった。それだけだった。
その勘はどうやら間違っていなかったらしい。ほぼ初対面のようなものなのに話がとても深く広く心地よい。互いに感じたこと、思ったこと、考えたことを率直に言葉にする。上っ面だけ合わせるような会話でないのは、お互いを1個人として尊重しているからだろうか。
彼女の話に耳を傾け、私のことを話すうちにあることに気付いた。
私は私なりに、悩み選び動いてきたつもりだが、なんてこったい、親の視点で見るとかなり危なっかしい人生にうつる。
一人前のつもりだったが、よくまぁ、親は強いことをいわずに見守ってくれたものだと驚いた。
何をしたいのか、何になりたいのか、よくわからない娘を40歳まで家に置いてくれたのだから!
今、小学5年生のノコが成長して小学校を卒業し、中学生になり――義務教育を過ぎたら学生を続けるかわからないが、とにかく年齢は増えていく。
だんだん私たち親が口にするのは、生活面のわかりやすい指摘だけでなくなってくる。
「歯を磨きなさい」「姿勢はピン」「トイレに行ったら手を洗う」なんていうのは、なぜそれをすべきなのかの説明もしやすい。そして「ヤダ」といいながらも、まだいえばノコはやる。
具体的に手を掛けられて、目の届く範囲のあいだは、体力は使うがわかりやすい。
そのうち、なかなか見えない時間のほうが増えていき、ノコ自身に判断を任せることが多くなり、気力を遣う時期がくるのだろう。
今日会った友だちのお子さんはだいぶ大きい。親が気力を遣う年齢だ。
友だちと話すことで、父と母に掛けた――いや今もだろうか――気苦労とこれから私たち夫婦にもやってくるノコに気力を遣う時期を垣間見た。
明日。ノコが登校したら、久し振りに母に電話をしよう。
あんな――何をしたいのかわからない娘を40年も手元に置いてくれたことに感謝を伝えよう。
母のことだ。笑ってこういうだろう。
「やっとわかったか!」
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