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スポーツ観戦が苦手、応援が苦手。その理由は――

#20240711-431

2024年7月11日(木)
 もう少しでオリンピックがはじまるようだ。
 どうやらパリで開催らしい。

 この書き方で興味がないことが伝わると思う。
 趣味がスポーツ観戦という人は世にごまんといるので、リアルの世界では軽々しく口にできない。ここでだから、こそっと白状する。

 私は幼い頃から運動音痴で、スポーツそのものに縁のない人生を送ってきた *。
 走れば、走るさまを笑われ。
 ボールを投げようとすれば、どの地点でボールを放てばいいのかわからない!
 団体競技はチームの足を引っ張るので特に苦手だ。
 バレーボールのサーブなんて地獄だった。静止しているにも関わらず、ボールが手に当たらない。そして、点が僅差のときに限って、なぜか私の番がくる。チームメイトの落胆が見える。もしくは「今回は!」という期待。
 大縄跳びは逃げたかった。どこで入ればいいのか、ぐるぐるまわる縄を目で追っているうちに眩暈めまいがしてくる。覚悟を決めてエイヤッと飛び込めば、うまくいったかと思った次の瞬間、縄がからまる。
 学校の体育の授業は大嫌いだが、根が真面目なのでさぼることもできない。
 必死にやってコレなんです!と先生にアピールし、ペーパーテストを頑張り、なんとか5段階評価なら真ん中の「3」をいただく。

 運動音痴でもスポーツ観戦は好きという人もいるだろう。
 私の場合、まずルールを知らない。だから、目の前で繰り広げられている状況を理解できない。何が起きているのかわからないので、ワクワクもなければ、ハラハラもなく、楽しみようがない。
 それならば、ルールを学べばいい。わかれば、スポーツに対する親近感もわくだろう。
 だが、どうも積極的に学ぶ気持ちになれない
 なぜだろう???
 スポーツ以外にも興味のあることがたくさんあるので、頭も時間もスポーツに当てる余裕がないため自分のなかでの優先順位が低いのだと思っていた。
 だが、どうもそれだけではない気がする。
 TVテレビニュースをつけていれば、スポーツの枠が必ずある。さらさらと勝敗だけ流れれば、応援する選手やチームがいない私はぼんやり見ていられる。それがハイライトシーンとなると、落ち着かなくなる。
 あぁ、私は勝敗が決まるその瞬間が苦手なのだ。
 勝者がいれば、必ず敗者がいる。
 真剣であればあるほど、その喜び、その落ち込みは大きく見える。
 スポーツをはじめ、勝敗がはっきりしているもの全般が苦手だと気付く。

 頑張っている人を応援したい気持ちはある
 だが、それはひっそり相手に気付かれないくらいがよい。TVテレビのなかならば、それこそ相手は私のことなんて知るよしもないのだが、その後のアナウンサーやコメンテーターの言葉が世の声ならぬ私の声にも聞こえてしまう。

 おそらく選手にとって応援はプレッシャーだけでなく、力になるのだと思う。
 結婚する前、夫は自転車レースに参戦していた。アマチュアの大会だが金メダルをいくつも獲得している。
 応援に行くと喜ぶので会場に足を運んだが、できるだけ頭を空っぽにして「頑張れー!」と叫んでいた。「勝って」と少しでも願うと、事態があらぬ方向へ動きそうで怖かった。
 レースには事故がつきものなので、結婚を機に自ら辞めてくれたので正直助かった。
 あれが日常になったら気が休まらなかったと思う。だが、好きな人がやりたいことを止めることもしたくない。
 まして国際的な大会に出場するような選手の家族は、いったいどういう心持ちでいるのだろう。想像すると、ますますスポーツ観戦ができなくなる。
 そんなことを考えずに、ただまっすぐ観戦し、応援すればいいのかもしれない。
 でも、これはもう性格なのだ。

 スポーツ観戦が好きな人は世にごまんといる。
 応援はその人たちに任せ、私は静かに静かに距離を置きたい。
 オリンピックに興味がないといいながらも開会式は、ちょっと楽しみにしている。
 だって、だって、勝敗がない。

*:ロードバイクをはじめるまで。

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