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もしかしての「完璧主義」? 0 か 100 しかない娘に思う。

#20230928-243

2023年9月28日(木)
 もうすぐ1年になる。
 昨年の10月1日からノコ(娘小4)のお小遣いははじまった。

 年齢的に外で働くことができないから、家族の一員として家族の仕事を分かち合うことでお小遣いを得るのだとノコには説明した。
 家族3人で話し合って決めたノコの仕事は2つ。

  1.  玄関と洗面所の鏡拭き。これを月曜から日曜日のあいだに1回はする。

  2.  18時までに夕食の支度をする。ダイニングテーブルの上を片付けて、台拭きで拭き、ランチョンマットを敷く。食事に合ったカトラリーを用意する。休日は昼食の支度も同様にする。

これらをすることで、ノコは月1,000円を手に入れる。

 ただ真面目に取り組んでいたのは最初のうちだけ。
 冬あたりからノコのヤダヤダと先延ばしがはじまり、約束では催促されずともするとあったのに、食事の支度は毎回、鏡拭きにいたっては「いつやるの?」といっても「あとで」を繰り返すうちに日曜日が過ぎてしまう。それで泣いて泣いて、「今回だけ」と週明けにすごすごと拭く。もしくは「今月はお小遣いいらない」と諦める。

 あまりにも「今回だけ」が頻繁過ぎて、一応食事の支度はしていたので減額で手を打とうと提案したこともある。
 「鏡拭きはしてないけど、食事の支度は続いているから500円渡すというのはどう?」
 ノコは足を踏み鳴らして私を睨んだ。
 「500円なんて意味ないし! それなら、もらわないのと同じじゃん!
 喜ぶと思った提案に激怒され、戸惑ってしまった。
 「0円よりは500円でもあったほうがいいと思うけど」
 「もらわないほうがマシ!
 ごめん、ママにはその論理がわからない。
 1,000円もらえない悔しさがそういわせるのだろうか。少しでももらえたほうがいいとならないのだろうか。
 そんなやりとりの末、お小遣いを渡さない月もあった。

 昨日は学習塾の日だったが、提出すべき宿題が終わらなかった。
 20問中15問は終えていて、残り5問。家を出る時刻になってしまったが、塾の教室には早めに入る。授業がはじまるギリギリまで取り組むことはできる。
 「はじまる前までお教室でやったら?」
 私がそう声掛けすると、ノコは即打ち返す。
 「ヤダ!」
 そして、ノコは首を傾げると、塾用のバッグにしまったばかりの宿題ノートを出して放り投げた。
 「終わってないから、先生には『忘れました』っていう
 「15問はやってるんだから、その頑張りは先生に見せたほうがいいと思うけど?」
 「終わってないなら、やってないと同じだし
 15問と0問は同じとは思えない。やったことと忘れたことが同じとも思えない。
 「忘れたわけじゃないでしょ。覚えていたし、15問はやったもの。やっぱり先生にお見せしたほうがいいよ」

 お小遣いのときのやりとりもそうだったが、ノコのこの「0か100だけ」という考えは何を意味しているのだろう
 途中経過を見せること妥協することが許せないのだろうか。
 先延ばしばかりに目がいくが、実は完璧主義なのだろうか。
 完全なもの、完璧なものしか、認めたくないのだろうか。
 完璧を好むのならば、それを達成すべく先延ばしせずに計画的に物事にあたればいいと思うが、それができていない。だから、つい完璧主義だと思っていなかったが、意外とそういう面がノコにはあるのかもしれない。
 完璧にできないと思うものには、完璧を求めるがためにあえて最初からやろうとしないのか。できないのなら、「やっても意味ない」と諦めモードになるのか。
 やったことはやったのだから、ゼロではない。
 これは返せば、私やむーくん(夫)がノコの途中経過に目を向けていないということなのか。つい終えるまで見守ってしまうが、途中経過への声掛けをノコは待っているのかもしれない。
 「あら、ここまでできたの!」
 この一言を意識していなかった。

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