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田中令のプロフィールと自叙伝のようなもの

こちらの記事では
田中令とはどんな人?を書いていきたいと思います。
さらっと読みたい方用のプロフィールと
がっつり読みたい方(そんな方いるのか...?)用の自叙伝なようなものを書きます。

1.さらっと読みたい方用プロフィール

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田中 令/ Ray Tanaka
1985年生まれ。
フリーランスの美術教育家。
Art education research UMUM代表/アートワークショップユニットコネルテ主宰
多摩美術大学彫刻科卒業、中学高校美術科教員免許取得。
下肢不自由、いじめ、家庭問題、精神疾患など人生の難所を美術表現で越えた経験と、日本のアートのあり方への疑問から「自己表現(アート)の土壌をつくる!」と決心。
2008年より保育教育、福祉、医療の現場で3,000 名以上の参加者にワークショップやアート企画を開催。
2016年、子どもを主な対象としたアートワークショップユニット <コネルテ>を立ち上げ、自主企画やイベントにてワークショップを開催。
様々な保育園や幼稚園にて芸術指導を担当。
2018年、<UMUM ウムウム>としてこれまでの個人活動を事業化。
画材調達や美術研究、教育現場視察のため、アジアやヨーロッパなど世界中を訪問しながら、あらゆる人の自由な自己表現の場を創出している。

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2.がっつり読みたい方用 自叙伝なようなもの

あらゆる人の人生に、難所は必ずあると思います。
わたしの人生にも、それなりにいくつかの難所がありました。
そして、ふりかえると全ての難所のそばに、アートという自己表現がありました。
ここでは、難所と自己表現の関係(難所越え)を丁寧に書いてみようと思います。
長文になりますがお許しください m(_ _)m

<肢体不自由といじめ/表現による自信>

1985年、東京都足立区に誕生。
生後6ヶ月で股関節の臼蓋形成不全(骨の形が不完全で、すぐ脱臼する)が発覚し、入退院を繰り返し、2歳の時には自分の骨を付け足す手術後にMRSAという感染症にかかります。一命をとりとめたものの、人間が体の使い方を文字通り体得する時期に病院のベッドにいたため、2cmの段差を越えるのも怖がるような運動神経がわるい子どもでした。
また、保育園〜小学校卒業までの8年間、保育園でも小学校でも学童でも、ずっといじめられていました。(きっと性格になにか原因があったに違いない。)
なぜかどこにいっても、うまく人と関われない自分がいやで、運動も集団生活にも自信が持てず、いつも絵を描いていました。
絵を描く時間だけは、脳と体が連携してスムーズに動く感覚があり、周りからほめられることも多かったため、唯一の自信でした。

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小学生の頃に描いた祖父。似てる。首から下やる気なし。


<家庭問題と不登校/表現への希望>

発達に応じていじめも複雑化し、このままではいかんと私立中学を受験。町田市の和光学園に入学します。和光の自由な校風と、多様性を受け入れてくれる環境で、楽しい学校生活を送っていました。同級生に素敵な絵を描く子がたくさんいて自信を失ったこともあり、絵は自然と描かなくなっていました。
16歳になる頃、自己破産した父がアル中になり、億単位の借金があることが発覚します。鳴り止まない実家の電話、自宅にくるウシジマくんのような借金とり、毎日部屋に引きこもって飲み続け会話もろくにできない父親と、追い詰められていく母親。泥酔した血だらけの父が、救急車やパトカーで帰ってくることもありました。
居場所を失ったと感じた私は、あれよあれよとメンタルバランスを崩し、不登校に。夢遊病と自傷行為も始まって、見かねた母が連れて行ったカウンセリングでは、分裂症の傾向を示唆されました。
毎日が長くて辛くて、死にたいと思う日々の中、ふと数年ぶりに絵を描きました。でも、幼少期の頃のように、脳と体が全然連動しない。描きたい具体的なイメージはあるのに、紙に現れない。
『自分の頭の中にある、イメージ通りの絵が描きたい...!』
久しぶりに明日への希望が生まれ、視界がクリアになり、母親に「カウンセリングをやめて、やっぱり美大に行きたい」と宣言します。
両親の別居が決まり、家も借金の担保となって、いよいよ家も金もないという崖っぷちの時でした。

<父の他界と社会への疑問/信念が生まれる>

埼玉県にある親戚の家に母と一緒に引き取られ、なんとか高校を卒業し、美大予備校に復活。
毎日毎日まーいにちデッサンを繰り返す修行のような日々を経て、一浪で多摩美術大学彫刻学科に入学します。(野菜の皮をおかずにしたり、パートでどうにか家計を支えながら、貧乏でも美大受験を応援してくれた母には本当に感謝しています。)
表現を思いっきりできる環境と、「よい作品をつくる」という同じ目的をもった仲間との関係。美大生活は、とても居心地のよいものでした。
そんななか、別居中の父がアル中の進行によって肝硬変で他界。わたしは成人式を控えた19歳、父は53歳でした。家庭を顧みずお酒を飲み続け、ずっと許せなかった父なのに、大きな喪失感があり、家族の存在の大きさを知りました。
法事と債務処理を済ませ、大学に復帰。
教授の推薦もあり、追課題として絵本を提出しました。
絵本のテーマは「表現がもたらす、人の心の健やかさ」。この作品によって、わたしの中の信念が言語化されたように思います。

一方で、多額な費用と膨大な時間をかけて作品を発表しても、生活できないアーティストの社会的なあり方に疑問を抱きます。
音楽にはレーベルやitunes、ライブイベントなど社会にその価値を伝えるためのシステムや場があり、たくさんの人が音楽を楽しんでいるのに、なぜアートにはそれがないんだろう。
自分の周りにいる人が生み出す、素敵な表現を多くの人に伝えるにはどうしたらいいんだろう?
周囲に言われる「美大すごいね」「才能があるんだね」という言葉も、なんだか"遠い存在だ"と言われているようで、素直に喜べない。
人の暮らしに身近で、たくさんの心を救う音楽のように
私のこれまでの人生がそうであったように
アートももっと暮らしに身近なものになれば、心が健やかな人が増えるんじゃないか?という仮説から
あらゆる人の「自己表現(アート)の土壌をつくる!」と決心します。

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追課題の絵本「じゃぐちの話」
人間にじゃぐちがついていた時代 、じゃぐちからでるもやもやによって社会は汚れていた。しかしアートや音楽など表現の発生によってじゃぐちが徐々に消えていき、社会がきれいになるという話。


<生活難と障害者デビュー/信念と野望が具体化>

美大を卒業した2008年、「アートがもたらす、人の心の健やかさ」への信念と、「自己表現(アート)の土壌をつくる!」という決心を胸に、友人の紹介で出会ったチームのイベントディレクターに従事しました。
そこで出会ったアートワークショップという場に「これだ!!!」と、のめり込みます。
関東中の児童施設、教育施設、福祉施設に営業をかけ、訪問ワークショップや自主企画のワークショップをし、企業に協賛依頼をして資金をつくり、イベントを開催し、また次の企画へ。
企画運営のノウハウやファシリテーションも、体当たりで身につけました。
アートを身近に感じられるような場をつくり、教育と福祉の領域で多くの人に届けられるという実感があり、毎日がとても忙しく充実していたのですが、自己負担での活動だったため金銭的に続けられず、チームを脱退。
時代はリーマンショック直後。なかなかアルバイトが決まらずに、夜の接客業をしてなんとか生きながらえていました。

ようやく出会えた仕事は、大型テーマパークのアトラクションや、テレビの美術セット、お店の内装を作る美術造形と美術塗装の仕事。フリーランスという働き方とも相性が良く、毎日ものづくりをして生活費が稼げるという最高の仕事でした。
週5日ほど造形塗装の仕事しながら、週2日は自分でワークショップを開催する日々。
細々とでも経験を重ねることでワークショップのコンセプトも具体化され、参加者へ一方向の教授をするのではなく、参加者とファシリテーターの間に双方向の対話がある場所を目指すようになりました。
アートを通したコミュニケーションの豊かさや、こどもたちの心の変化を実感し、少しづつお金にもなりはじめ、やっと腰を落ち着けて信念を形にしていける....!!!
と思いきや!
今度は親戚に家を追い出され、再び家なき子に。
母は実家に戻り、わたしはそのままスーツケース1つで東京に残ります。お金が貯まるまで知り合いや恋人の家を転々としながら、昼も夜も造形屋さんとして必死に働きました。
ついについに自分の家をゲット(借家ですが)した時は、すごく嬉しかったです。
早速ワークショップを再開しますが、今度は私の体に限界が訪れます。
日々の肉体労働によって股関節の変形症が悪化し「このままでは歩けなくなる」と医師から手術勧告を受けます。
2年間の両足の手術&治療期間と身体障害者デビューが決定...!
27歳、まわりの友人は結婚や出産するなか、二足歩行ができない生活が始まりました。
手術への不安や、周りと比較してしまう自分にかなり凹みましたが「こういう状況にも、アートの力は有効か検証できる!」というマインドで臨み、入院中に患者さんを集めてアートワークショップをしたり、退院していく患者さんに手作りでプレゼントを作ったり、絵を描いたりして過ごしました。
おかげで同時期に入院していた方々ととても仲良くなり、長くて退屈なリハビリ生活を楽しんで終えることができました。

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入院中に描いていた絵。夜の病院を車椅子でうろつくのは怖かった。


<コネルテとUMUMの誕生!>

足の治療で日常生活が変わったことによって、私の中の「アートの場創りに専念したい」という気持ちが強まりました。
現実的に体が動かせないことと、社会的にワークショップなどの場のデザインが広まったことも相まって、わたしの生活の中心は造形塗装の仕事から、ワークショップやコーディネーターなどの場創りの仕事へと変化していきます。
アートワークショップづくりに興味がある友人たちに自分の思いを書いた企画書でプレゼンし、アートワークショップユニット コネルテを作ったのもこの時期です。
コネルテでは、定期的にダイナミックなえのぐワークショップを開催しています。参加する子どもたちが、五感を使うことと自己解放を大切にすることで、活動が根源的になり、毎回目を見張るような美しい表現に出会えます。

そんなコネルテに刺激をもらいながら、「わたしはどんな場がつくりたいんだろう?」という自問自答と、アイディアを形にしていくことを繰り返し、ワークショップのイメージが具体化されてきた2018年、田中令のソロ活動としてUMUMが生まれました。
ワークショップに出会ってから、ちょうど10年目の春でした。

2020年現在、UMUMではこども向けワークショップ、おとな向けワークショップ、教育・ビジネス・Well-beingの研究会など、たくさんの場が生まれていますが、どれも根幹にあるのは「アートがもたらす、人の心の健やかさ」への信念と、「自己表現(アート)の土壌をつくる!」という野望です。

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コネルテの名物ワークショップ「えのぐであそぼう!」


<これから>

アートの力に信念を抱いて15年。
アートワークショップを作り始めて13年。
2歳からおとなまで、いろんな方のクリエイションに立ち会ってきました。
アートで心がほどけたり
自己理解や相互理解が深まったり
コミュニケーションが円滑になったり
イメージが生まれやすくなったり。
UMUMやコネルテで出会うたくさんの方々を通して、アートの様々な力を実感しています。
一方で、アートだけじゃなく音楽でもスポーツでも料理でも言葉でも、人間の表現にはすべてそんな力があるのだろうと思います。
人間だから、人間でしかできないことは何かを問われる今、表現はその答えにつながるような気がしています。

-表現ってなんだろう?
-コミュニケーションってなんだろう?
-そして、アートってなんだろう?

実践を通してこれらを言語化し続け、多くの人にその価値を伝えながら、わたしはアートという方法で、自己表現の種がよく育つ土壌をつくり続けたいと思います。

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長文にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

\おしまい/


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