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デザイナーの社会人遍歴 其の2 古着屋で働きたいよ!編。~序章~

前回の記事
若干二十歳の俺 VS ブラック印刷会社編

最後に退職に関する書類を書きに来て欲しいとの事で、元々バーチャンが乗っていて、免許を取得した姉が引き継ぐも瞬く間にペーパードライバーになり、俺が免許取得した際に受け継いだ、塗装ハゲハゲで中の天井シートもダルンダルン、パワステは壊れていて激重ステだったSUZUKI アルトに乗り込み会社に向かう。

懐 か し い 


CDも付いていないカセットのみのデッキに、カセットから外部入力で、ポータブルCDなんかが聞けるアダプタを使って、好きな曲を聴きながら会社に向かう。夕方4時くらいだったか。西日の光がいつもより眩しく感じた。

いい感じの素材画像を使っているが、実際はオンボロ軽自動車。


必要書類を書く。
その中には、辞める理由を書いて下さいみたいな用紙もあった。

‟ 入社して間もない新卒である自分にできない業務を深夜まで一人でさせられ、挙句には新人いびりの無能ジジイに連日中身の無い内容で怒鳴られる日々が続いた為”  みたいな内容を書いてやった。← 若気の至りのバカ。

その若気の至り用紙を、即見られない様に間に挟み込み提出して

『 お世話になりました。(晴れやかVOICE)』
  直訳 ▶ さっさと潰れろクソ会社が


寄り道もせず、そのまま岐路に着いた。


中学生からやりたいと願ったデザインの仕事。
自分の適当な就職活動のせいで
1年数ヶ月という僅かな期間で、あっという間に終わってしまった。



21歳。 最悪の期間を過ごす

精神的になかなかのダメージを負っており、すぐに仕事を探そうという気持ちには、どうしてもなれなかった。

毎日、無駄に朝方4時頃まで起きていて、昼過ぎに起きる生活。

毎日、カーチャンに『働かざる者食うべからず』と言われながらも、しっかり晩飯腹いっぱい食う生活。実家じゃなかったら餓死してたかもと思う。週末など、友達の仕事が休みの時に遊び、月曜からまたクソ生活。

最初は良かった。どの位だろう、4ヶ月?その位か。

その頃には、自分があまりにもダメ人間で自信なんかもうゼロ。
なんならほとんど脳味噌が稼働していなかったので、この期間の記憶がほぼ無い。そんな状況で友達とも顔を合わすのが辛くなっていく。と同時にこうなると誰もが直面する問題。

金 が 尽 き そ う 

ただでさえ鬼安月給から、家に金を入れ、ちょっとずつ貯めた僅かな金。


動こう。辞めても結局クソみたいな生活を送ってしまっている。

ゴナ ムーブだ俺!

HITOE'S 57 MOVEだぁぁぁあ!!!!


さて、何をしようか。

もうデザインの仕事なんかは二度としたくない。それだけは確かだった中、中学生からデザインの仕事がしたい。これ1本で来てしまったので、いきなりやりたい仕事と言われても何も思いつかない。

そんな中、同じ専門学校の友人達が、こぞって洋服の販売員になっていた。薄暗いどんよりした同族経営のクソ会社でもがいていた俺からすると、キラキラと輝いて見えた。

これだ!!!

俺、ヴィンテージ古着めっちゃ好きやしっ!!!
デザイナーを志した中学時代に、同じく夢中になった古着の世界。

メンタルボロボロの21歳が再び立ち上がるには十分な思いつきだった。早速求人を漁る。が、当時は古着屋のスタッフ募集なんてレア中のレア。しかも大体が店頭に【スタッフ募集】って時給すら書かれていない手書きの張り紙があるくらいのもん。

実際にお店をまわって、スタッフ募集の古着屋を探すも全然無い。でももう金が無い。仕方ない。取り合えず服屋ならなんでもいい!とメンズカジュアル服屋のバイト面接を受ける。しかし全然受からない。

アパレル販売の世界に入った後に明確になったが、販売未経験者を採用するなんてほぼ無いといっていい。とにかくモテる美男美女は受かる可能性がある。ルックスで人(客)を吸い寄せる力があるからだ。某DI〇SELの面接では、圧迫面接からのボロクソ言われる始末。

余談だが、自分が高校生だった90年代後半。
カジュアルファッションが最高潮だった時代。
圧倒的人気だったBEAMS。
このショッパーズをバッグ代わりに使うのがトレンドになるほど。

引用元:BEAMS
https://www.beams.co.jp/company/pressrelease/detail/556


今の様にお手頃な価格なんてなくて、海外のお高いカジュアルブランドをセレクトしたお店。金の無い高校生の俺には、2,000円くらいのトーキングウォッチを買うのが精いっぱいだった…

引用元:TASCLAP
https://mens.tasclap.jp/a658

専門学校のクラスメイトのモテモテ美女が当時のBEAMSのアルバイト面接に挑戦したという話を聞いた。5次面接まであり、そのモテモテ美女は最終面接まで勝ち残った。最終面接では歩く姿のテストもあったらしい。店内でいかに綺麗にスマートに立ち振る舞えるかを見たかったのだろう。そして最終面接で落選したと聞いた。アイドルのオーディションとかじゃなくて、アルバイト面接の話だ。
それだけ当時のアパレル業界はノリノリだったといえる。

真偽は確かではないが、人気ギャルショップでは、7号?(←実寸を確認した所、かなり細い)かなんかのデニムが入らなくなったら(太ってしまったら)クビになる。なんて話も聞いた。

それだけ人気アパレルショップの販売スタッフになるという事が、かなり高い壁だった時代だ。



最終目標の古着屋に辿り着くには
とにかくアパレルの販売経験が必要。

もうなんでもいい。とにかく未経験の俺が潜り込める店。面接を受けるライバルが少ない、簡単に言うと人気が無さそうな洋服屋。
ここに焦点を合わせて職探しを開始。それでもなかなか受からない。

無職になり半年以上が経っていた。
焦りが出始める。

※実はこの時、完全にお金が無くなった為、福岡ドーム(その時はギリギリ、ダイエーホークス時代)でグッズ売りや福岡ドームとマリンメッセでの、コンサート会場設営のバイトなんかやってなんとか繋いでいた。嵐やB'z、SMAP、マライヤキャリー等の設営をやったのが懐かしいが、これはまた別のお話。

そんな時、求人誌にシルバーアクセサリーと雑貨のお店を発見。アクセサリーなんて1mmも興味が無かったが、焦りに焦っていたので突撃。
興味が無いもんだからアクセサリーを持っていない。しかしアクセサリーのお店の面接受けるのに、何も身に着けてないのはダメだろうと、母に持ってるアクセサリー見せて!と見せてもらう。
母もアクセサリーなんて滅多にするタイプではなかったので少ない。目を付けたのがひし形のパールで構成されたペンダントトップ。
この位なら男が付けてもいけるんじゃね?とそれを借りて面接に向かった。

実家に帰った時に探したら出てきました。懐かしいよ…


※最近の若い男子が、パールのネックレスを付けたりするというのを見て、パール男子の走りは俺だと密かに思っている。(余談)


アルバイトの面接なのに、社長含む幹部4名(社長/専務/部長(男)/部長(女))での面接。しかしこのパールのネックレスに食いつく女性面接官。


女性面接官『男の子なのに、それはパールのネックレス?』

21歳俺『はい!母に貰った物なので、大事に身に着けています!(適当)』


手応えは無かった。うん、興味ないし。

数日後、採用の電話。

めちゃくちゃ嬉しかった。
職探しをここまで頑張ったのは人生初だ。


目指すは、古着屋店員。悪いが踏み台になってもらうよ…フフフと、販売経験を付ける為だけにシルバーアクセサリー販売員となる。


次回


もうデザインの仕事なんか一生やらねぇ。
古着屋で働きたいよ!編 
~シルバーアクセ屋で販売経験をGETせよ~


に続く。



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