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感情の中を泳いでゆく

感情って不思議ですね。

いつもと変わらぬ同じ空を眺めながら、

昨日はあれだけ感傷的になっていたのに、
今日は、一変して穏やかな気持ちなんですね。




目の前で満ち引きする波のように。

また青空を流れてゆく雲のように。


人の感情も、その時々で変化をし移りゆくもの。

そう、あらためて感じます。



明日、自分が何をどう考えているかなんてわかりませんし、
来年の自分がどう思いながら海を眺めているだろうかも想像すらつかない。

いつでも目に見えないこの「感情」の中を泳いでゆきながら、僕たちは生きているのだと実感する日々です。

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皆さんは今。

どのような思いで
この時間を過ごしていますか?

目に見えない繊細なものだからこそ、
その気持ちをどのように扱うかで
その日の向き合いかたや、
後の生き方が大きく変わるのだと思います。

人は考えていることや想像しているものによって豊かにもなるし、貧しくもなるもの。



できればそうした感情と
上手く付き合いながら

毎日を豊かに過ごしてゆきたいものです。


一方で気をつけなければいけないことは、
「感情に乱される」ことがあるということ。
そうしたことは
協力避けたい。

例えば、お金。

人生の中で多くの人が悩み続ける問題ですが、
特にお金と感情については、

いつの時代も、人々は振り回され続けています。



今回はそんな
「お金と感情」についてのお話です。



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18世紀のイギリス。

この時代は、王権政治が民主化へと移っていき、西洋科学が普及するなかで、

新しい技術も発展してきた頃でもあります。



産業革命がそれまでの生産技術を根本から変えてゆく中で、産業や医療、人との関わりかたも大きく変化していきました。



それは同時に「変化するもの」と

「変化できないもの」の差をも生み出し。



貧富の差が大きく生まれてしまった時代でもありました。

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そんな激動の時代の中で、
スコットランドの海沿いののどかな街で
育った
一人の青年がいます。

学問が好きな彼は熱心に勉強に励み、
やがてオックスフォード大学に入学
。

激動の時代の中に身を投じながら、変わりゆく価値観を横目に、
多くの哲学や思想に触れていくことになります。

やがて彼は学問を深めていきながら、
ひとつの疑問を持つようになります。




「世の中の経済とは、
どのように動いているのだろうか」



貧富の格差、光と陰のある生活。
そんな二面性のある時代の中で日常を送ってきたゆえの、自然な疑問だったのかもしれません。
そうして彼は経済と世の中の関わりに
興味を持つようになっていきます。

当時、18世紀のヨーロッパは
「啓蒙の世紀」とも言われていた時代でした。

それまでの世界は神々が支配していたと考えられれていましたが、産業革命とともに価値観が大きく代わり、人々は信仰から距離をおきながら、事実や事象をありのままに眺めていく方法を模索していました。

そうした客観的に物事を理解する試みが、
哲学者・ルソーやロック、モンテスキューなど
多くの哲学者によってなされていきました。

今までにはない角度で世の中を眺めるという、
先人たちの影響もあってか、
彼は経済というものを単なる数式や公式としてではなく、
道徳哲学や人間の感情の視点という、
別の切りから経済を考えるようになるんですね。


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彼は経済に想い巡らせる日々を送りながら、
ふとあることを考えます。

「世の中の経済とは
感情的に動いているのかもしれない」と。

例えば、
人はどれだけ理論的に合理的に行動をしているようで、
じつに感情的に、感傷的に毎日を送っています。
貧しき者はお金に振り回されて、
富める者は欲望を追いかけ続ける。

そうした、人間ひとりひとりの感情が影響しながら
経済は回っているのかもしれないと。

また一方では、
世界経済は合理的な政策や戦略だけではなく、
一人一人のおもいに任せておけば、
自然となるようになるとも考えていました。

例えば市場に政府が介入しては、
起業家はやる気を失うかもしれません。
でも、そうではなく政府が関与せずに健全な競争を促せば、世界の経済は成長を続け、結果的に豊かになるのではないか。

そのためには、
一人一人が自分の理想や才能を活かしながら活動し、
そうして個人が役割を分担しながら
世の中を成り立たせていけば経済はうまく回る。

彼はそうした経済の背景にあるものを
「見えざる手」と表現しました。

人間社会のすべての構成員である個人。
それぞれが自己の欲求を追求していきながら、
相互に支えてこそ、社会は繁栄するのだと考えました。

長らく王侯貴族や政府に支配されていた時代の中で、そうした「個人を尊重する考え」は
人々に衝撃をもたらしたことでしょう。

やがて人々は激動の時代に
希望を見出してゆくのです。

この人物は、経済学者アダム・スミスさん。


自由主義経済理論を世界に示した
「古典派経済学」の父と言われた人物です。

あれから数年。

世界はすっかり様変わりしました。

その後の時代の中で、
彼の経済に対する考え方は、
時に大きく否定され、また支持をされながらも、今日まで脈々と伝え続けられてきました。

彼の視点から経済を眺める方法は、
現代の行動経済学やマーケティングの分野でも
役立てられています。

あれから数百年。

アダムスミスさんは、
どのように現代を眺めているでしょうか。


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「人は感情的な生き物なんだよ」


経済を生業にしていた父が
事あるごとに語っていた言葉です。

生きていくためには「感情」をいかしながら、
時には「感情」を抑えなければいけない時もある。その「感情の両輪」が必要なのだと。

例えば、世の中を良くしたいと思いながら、
新しい価値を生み出そうとすることは、
「前向きな感情」の使い方でしょう。

その一方では、
一人の消費者として「感情的に浪費」をしてしまうこともあります。
本当は欲しい物でもないのに、見栄でものを買う。
それは誰に対しての消費だろうか。

人はどれだけお金を持っていても満足などしません。
お金を持った分だけ、
欲望は増えてゆくだけですからね。

「富や豊かさは比べるものではないんだ」
「いいか、お金の感情に支配されるな」

父のその言葉に、
何度も足を留めては世の中と向き合ってもきました。

僕たちは感情で貧しい人間になるのではなく、
感情によって豊かになることを考えなければいけない。


こうして今日も、
僕は感情の海の中を泳いでいます。

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世界の国々の政策によって、
ひたすらお金を刷り続けながら
経済を支えている今の世の中。

アダム・スミスさんは複雑な気持ちで見ていることでしょう。

一方で個人でできることもあります。

一人一人の力は小さなものですが、
一人一人にしかない価値や才能もあります。

それは大切な資産でもあり、
永遠に生み出し続けられる「形なき貨幣」のようなもの。

与えるコインがなくても、
代わりに優しさを隣人に与えることができます。

お金を払えなくても、
自分の才能を価値に転換できます。

得られる物がなくても、
経験や思い出というものが財産にもなります。

心にゆとりも持ちながら、
ゆったりとした思いで。

この新たな価値の時代に、
向き合ってゆければと。

それでは今日も素敵な一日を。


遥か孤島から感謝を込めて。


いつもありがとうございます。


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優しさは
降りつもり 留まるもの
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