はるむら いち

はぐれ者として、面白くたくましく生きる。 どん底経由で生きることの本質を見るようにな…

はるむら いち

はぐれ者として、面白くたくましく生きる。 どん底経由で生きることの本質を見るようになった者です。

最近の記事

むやみに近づく前に、相手をよく知る(傷つきの予防)

これは、普通に育った人ならごく一般的にしていることなのかもしれないけど 私のように愛情やら信頼やらつながりと言ったものの餓鬼のような人間にとっては、なかなか考えつかないことだった。 なぜなら、あえて極端に言えば 私のような人間は一緒にいてくれる人なら誰でもいいというのがベースになっているから。 だから(自分に、または自分が)好意を感じる人に対して よく知らないうちからぐんぐん近づいてしまって その結果、足元を見られたり嫌な目にあったりあわせたり よくない関係をほぼ毎回ズ

    • 多数が好きな人たち

      有名や流行りですぐ好きになれる人たち。 言ってることもかけあう言葉もみんなほとんど同じ。 人それぞれとか多様性とかいうのも あくまでその中でやってるだけのことで だから全然ピンとこない。 つまらないなと思う。 数の多さ、それだけで安心できる人たち。 人のため・相手のためというそれが 実際は自分のためということに 決して気づこうとしない人たち。 ここに入るか違和感を感じなくなるのが うまく生きる・治るということ。 …こわいこわい。

      • がっつり依存体質だった私が、このように変化した背景

        もちろんいろんな要素が重なった結果ではあるけれど ひとつには 自分には信頼できる人なんて一人もいない… と思い続けていたある時、ふと ん、待てよ?そういう自分はどうなんだ? と思い 私こそ都合よく人を利用して 自分に沿うよう相手を変えたくて 期待通りにならないことに腹を立てて 自分は悪くない、自分はかわいそうな被害者なのだからと 助けて救ってくれる人がいつか現れるに決まってると そう願うことだけはいっちょ前にしながら それでいて自分は人に対してまったく誠実でな

        • かっこいいと思う人

          生きるって実際一人だから そのことを身をもって知っていて だからそれで強くあろうとする人が 私は本当に好きだ。 誰のためでもなく 何なら自分のためでもなく 生まれてきたからには生きる それだけの動機で 生きることの本質を生きているような人。 自分が弱いということもよく知っていて だからこそ強くあろうとする姿って 腹が決まってる そんな風に見えてかっこいい。 ほんのごく稀に見かけるそういう人を そして紛れもなく生きにくいはずのそういう人を 私は本当にかっこいい

        むやみに近づく前に、相手をよく知る(傷つきの予防)

          「いつもきょうだいがかばってくれた」という物語について

          ふと思ったんだけど 悲惨な環境下での、このタイトルのような状況。 ドラマや小説などではよくある話。 でもこんなことって実際にあるんだろうか? 私は聞いたことない。 もちろん自分の家でもこんなことはなかったし であってきた数々の生きにくい人たちからも 「きょうだい仲はすごくいいんです」なんて話は 聞いたことがない。 これって実際のそういう状況を知らない人が書く 理想の物語にすぎない気がしてきた。 でもこれがもしかしたら 私はきょうだいにも恵まれなかった…と 思わされ

          「いつもきょうだいがかばってくれた」という物語について

          目覚めよ、アダルトチルドレン

          アダルトチルドレンが苦しむのは 普通の親 普通の家族 普通の環境 いわゆる普通の幸せ こういう”普通”を何も持っていないこと。 だからそれらをなんとか手に入れようと たくさん努力するのだけど 結局うまくいかなくて、また苦しんで やっと何かを手に入れたなら 今度はそれを絶対手放すまいと必死になって この繰り返しに満足しているのならいいけれど もし違和感がずっとあったり やり尽くしても今なお苦しいなら ”普通”を真剣に疑ってみたらどうかと思う。 ”普通”を正しいと

          目覚めよ、アダルトチルドレン

          依存のジトッとしたのを感じると、削ぎ落としたくなる

          靴の裏についたガムと それを剥がす金属のようなイメージ。。 少し前、古い友人から連絡をもらって 久しぶりに少しやりとりをしたあと 都合のいいときに会おうよ、と誘われた。 (彼女とは、私が絶望期のころ彼女もまた似たような状況で お互いここからぬけだそうと話した直後に道が別れた。 それは私がこっち側へ進んだのとは対照に 彼女はすぐさま、元いた場所へと戻っていったから。 だから彼女は私の変化を一応は知っている人。) なので、私は考え方や生き方がだいぶ変わったから あなたは嫌か

          依存のジトッとしたのを感じると、削ぎ落としたくなる

          なぜ?と問い続けること〜考えることを止めないと決めた日

          そもそも自分の生まれてきた意味も 生きている意味もわからないのに だから私にとってはあらゆることがなぜ?なのに そう問うことは本当によく止められた。 (といって、じゃあ自分以外の人は生きる意味をわかっているのかといえばそうではなく、ただこんな風に思い悩まず生をあっさり受け入れられているので、そういう中でつきつめる態度はそりゃ異質に映るだろうと今ではよくわかる) 病院でもカウンセラーさんからも 家族も友人も恋人も みんな、そんなに深く考えないほうがいいと。 中には、なぜ

          なぜ?と問い続けること〜考えることを止めないと決めた日

          大人の視線

          私のモチベーションは、子供の頃から受け続けた 大人のあの視線だ。 あれをできる限りなくしたい。 家の中がどれだけ大変でも仕方ない。 普通の、優しいとされる、正しいとされる 大人たちからの あの視線の攻撃が子供にはキツい。 誰か一人でも、 いや一人じゃ足りないかもしれないけど、 あの人たちは正しいんじゃない。 あの人たちは臆病なだけ。 と教えてくれる人がいたら 当時の私はずっと救われたはずだから。

          ある日の夢

          生まれてくる時の夢を見たことがある。 その会場にはたくさんの人がいて 受付みたいなところがあって、そこで 平凡な人生がいいか、 すごく苦労はするけどその代わり 後半すごくいい人生になるのがいいか? みたいなことを聞かれて 後者にします と言ったら、 じゃあ向こうに並んでくださいって言われて そこから割り振られたのが 自分の親のところだった、 という夢。笑 起きた時、 なぁんだ。自分で選んだんじゃん♪ と思ったらおかしかった。 それでそのとおり 後半の今、すごく

          なんで自分ばっかり!

          と、私もずっと思ってきた。 どうして私だけがこんなに苦しく ひどい人生を送らなくてはいけないのか。 それでもどうして生きていないといけないのか。 本を読んでも、人に話してみても、 「つらいのはあなただけじゃない みんな苦しくても頑張ってる」 うむ…そんなことはわかってる。 でも明らかに何かちがう気がする… みんなはもっと簡単に愚痴や弱音を吐いているのに どうして私にはそれも許されないの? と。 徐々に変わってきたのは こんな苦しみを味わう人は そういないだ

          なんで自分ばっかり!

          決して公にはならない差別

          敵対したいわけじゃない だけどどうしても、普通人たちは差別するから 変な気遣いも 腫れ物には触らないでおく感じも 見て見ぬフリも、知らないフリも それでいて露骨な冷たい目も 全部、子供の頃から嫌というほど浴びて だから全部気づいてる それがいかに諦めと絶望を積み重ねさせるか おかしなやつは黙ってろ、というそれは攻撃なんだよ 場を乱すな。事を大きくするな。波風立てるな。 おかしなお前が静かにしていれば ここは、世の中は、全ては丸く収まる。 躾。世の中に適応できるよう

          決して公にはならない差別

          ほどほどに。を強いられるのはかなり苦痛

          世の中ではよく、幸せに生きるために なんでもやりすぎないこと 考えすぎない、のめり込みすぎない、◯◯すぎない…のように ほどほどにということが推奨される。 そこで私みたいなもんが思うには それができるならこんなに苦労してないよ、ということ。 たしかに、ほどほど、60%とかで何でもいられたら楽だろうと思う。 余力もあるからここぞというときに力も出せるかも。 だからそれを心がけようとするけど、 どうしてもうまくできない。 どうしてもやり過ぎる。 そしてあとからすごく疲れた

          ほどほどに。を強いられるのはかなり苦痛

          またひとつ正直になれた。 贈り物をされて、その感想まで聞かれるのは負担だということ。感謝を強要されているようで、それは贈った側が喜ぶための仕組みだということ。 話す機会をもらえたことに感謝しています。

          またひとつ正直になれた。 贈り物をされて、その感想まで聞かれるのは負担だということ。感謝を強要されているようで、それは贈った側が喜ぶための仕組みだということ。 話す機会をもらえたことに感謝しています。

          距離感。孤独と誠実。

          距離感。 どんなに気があう、親しいと思っていても 自分は嫌われるかもしれない、 嫌われているかもしれない、 迷惑がられているかもしれない。 逆に自分が相手に対して、 いつそうなるかわからない。 絶対にそうならないとはいえない。 現に今までだってそんなこと 何度もあったのだから。 そこで孤独を覚悟していると、気持ちがとても楽。 それは、相手を思いやることもなく ただ自分の思うとおり、言いたい放題 やりたいようにやるということではなくて 相手を軽んじることはないし 嫌

          距離感。孤独と誠実。

          2種類の利己的

          ひとりで勝手に利己的な人は大好き。 他人を利用する(隠れ)利己的な人は大嫌い。 前者は孤独でいられる人、 後者は親切をよそおって自分を満たす人のこと。

          2種類の利己的