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依存のジトッとしたのを感じると、削ぎ落としたくなる

靴の裏についたガムと
それを剥がす金属のようなイメージ。。

少し前、古い友人から連絡をもらって
久しぶりに少しやりとりをしたあと
都合のいいときに会おうよ、と誘われた。

(彼女とは、私が絶望期のころ彼女もまた似たような状況で
お互いここからぬけだそうと話した直後に道が別れた。
それは私がこっち側へ進んだのとは対照に
彼女はすぐさま、元いた場所へと戻っていったから。
だから彼女は私の変化を一応は知っている人。)

なので、私は考え方や生き方がだいぶ変わったから
あなたは嫌かもしれないよと言った。すると

(私の)変化した考えも聞いてみたい、説教は嫌だけど。笑
いちちゃんはいちちゃんだから…

これらを聞いてやっぱり会うのは嫌だなと思った。

何が嫌って、まず
この「いちちゃんはいちちゃん」とかいう
ネットを開けば、本を開けば、道を歩けば、いたるところに落ちていそうな自分の頭や感情を1㍉たりとも使っていないようなこんな言葉を
ためらいもなくよく言えるな、というところ。

本人はいいこと言ってるつもりかもしれないけど
私は聞いていられないし、何ならゾッとする。

さらに「説教は嫌」と、まっ先に保身を考えるところも。
こんなんじゃ本当の話なんかできるわけがない。
というより彼女はハナからそんなもの求めてないんだろう。

だったら彼女の話し相手に私はまったく適任じゃない。

優しい言葉だけ聞きたくて本質を知ろうとしない人の、まさに典型。
私はここに弱者の匂いをプンプンと嗅ぎ取る。

決して傷つけないで。優しくしてね。

かつての自分もそうだったからよくわかる。
けど今の私はもう、そういうのにぜんぜん興味がない。

というわけで、
説教する気なんてないけど、優しく話を合わせることはもう私はできないから、嫌だと思えば怒りもすると思うしだいぶ厳しいと思う。やめておいたら?と言った。
私は本当のことしか言わなくなったんだよ、と。

すると「そっか…強くなったんだね。いいなぁ。私いま弱ってるから」
…でた。

いつもだよ?ずっとだよ?(※一応お伝えするとこれは声には出していない)

誘いに即答しなくてよかったと思った。

私はここに、依存のジトッとしたものを感じる。

そして引き剥がしたくなる。

愚痴を吐いて、ひとときスッキリしたい。
話を聞いてもらって、優しく励ましてもらいたい。
楽しいことをして現実から目をそらしたい。

世の中ではこういうのは普通のことかもしれないけど
また、金を出せば(ここがミソ)優しく受け入れてくれるところはいくらでもあるわけで。私は手伝わない。

彼女が本当に自分と向き合いたいと思うとき(が、くるかわからないけど)
その時には手伝えることがきっとあると思う。






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