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→(yajirushi)というバンドをやっております。ピュアガレージロック。Made In A Garageというイベントを不定期に開催しています。Twitter:@YajirushiTweet または@MadeInAGarageにどーぞ!

最近の記事

→(Yajirushi)ロングインタビュー(前回の続き)

―自分の思い描く理想を疑え、ということ? 「そうだね。そう思ってもらって構わない。もっと言えば、自分の考えを間違いだと思うことが、定型から外れるきっかけになると思っているんだ。ちょっと過激かもしれないけど、本当にそう思っているんだよ。」 「例えば、こういうことがあった。あるリハーサルの時、二人で新曲のアレンジをしていたんだけど、演奏していて、ずーっと違和感があったんだ。そして何回目かの演奏中に突如気づいた。彼女(KUME)の1拍目が早いってことにね。常識ではトン、トン、トン、

    • 新アルバム”Brought Back Without Souvenirs “を発表する→(yajirushi)にインタビュー:その2)

      ―アルバムに込められたメッセージは? 「それはとてもいい質問だね。答えは、メッセージなどない。ただ、曲が見せるものを見てもらいたい。 俺たちが常に考えているのは、聴く人のタイム感をぐにゃぐにゃにしたい、ってことなんだ。宇宙空間の『ワームホール』みたいなものだね。予期せぬところでテンポが変わって、「あれっ?」ってなってくれたら成功なんだ。俺たちは普段、「こうすればこうなる」という世界に住んでいるし、実際2,3日後のことは大体予測できるし、実際そうなるように予定を組んでいる。それ

      • 「笑顔は、どんな政治的メッセージより、届く」新アルバム”Brought Back Without Souvenirs “を発表する→(yajirushi)にインタビュー:その1)

        ーアルバムのコンセプトは? 「3つある。前作よりも良いものにすること。ルーツを忘れないこと。そして、面白いアルバムにすること。1番目については、まあ当然だよね。聞いた人がどう評価するかはわからないけれど、少なくともおれたちとしては、前作と同じことをなぞるだのだけは避けたつもりだ。まあそもそもKumeが入って初めてのアルバム作りだから、同じなわけはないんだけどね。曲、楽器、録音のやり方…全てを前と少しずつ変えてみて、より良いものにしようと努力したつもりだよ。気に入ってくれるとい

        • デス・レター(誤解があったらアカンのか⁈)

          このコラムは大体、ツイッターの記事で俺と関係ある話題について、「俺はこうしてるぜ」とまあ、半ば忘備録のようなもんなんだが、次のようなことも、俺には音楽的にには関係あるのだよ。 昨日今日の記事でこんなのがあった。曰く「琴線に触れる」を怒る時に使う奴がいる。「逆鱗に触れる」の意味がわからん。だから「グッとくる」「激おこ」でいいじゃん。難しい言葉使うのやめようよ。 やだね。そんなんバカのすることじゃん。これが俺のスタンスだ。琴線も逆鱗も知らなかったことは仕方がない。そういう単語

        →(Yajirushi)ロングインタビュー(前回の続き)

        • 新アルバム”Brought Back Without Souvenirs “を発表する→(yajirushi)にインタビュー:その2)

        • 「笑顔は、どんな政治的メッセージより、届く」新アルバム”Brought Back Without Souvenirs “を発表する→(yajirushi)にインタビュー:その1)

        • デス・レター(誤解があったらアカンのか⁈)

          デス・レター(エヴァーグリーンについて)

          唐突な話だが、俺はボブ・ディランが好きだ。Highway 61 Revisitedなんて、何回聴いたか分からない。俺が歌うようになったのは彼のおかげだ。 だが、彼が今アルバムを出しても、おそらく買わない。 ダーティ・プロジェクターズが好きだ。アメリカ東海岸の学生たちがわらわらと集まって、なんとなく始まったバンドなのだが、固定メンバーは事実上ひとり、茶瓶、箸など思いもよらない日用品まで楽器にして、ブロードウェイミュージカルに強い影響を受けた音楽性、と、書いているだけでな

          デス・レター(エヴァーグリーンについて)

          CORNER SHOP SESSIONS出演アーティスト紹介(2):The Memphis Bell

          お馴染み、ギターの古賀侑佑を中心とする、3人組のブルースバンドである。 お馴染みでない方には、ちょっと詳しい紹介をしておこう。ゴリゴリのブルースバンドである。としか形容できないくらい、純粋なブルースをきかせてくれる。それこそメンフィス、シカゴあたりのバーで、バーボンをちびちびやりながら聞きたいような、そんなバンドである(友人のアメリカ人に聞いたが、彼らのような生粋のブルースバンドは、アメリカ国内でももはやいなくなったようだ。それが逆に、メンフィスベルのエッジを立たせていると言

          CORNER SHOP SESSIONS出演アーティスト紹介(2):The Memphis Bell

          CORNER SHOP SESSIONS 出演アーティスト紹介(1)加藤伎乃

          加藤伎乃。俺は彼女の生演奏をたった一回観ただけだが、それだけでも圧倒された。好きだの嫌いだのを超えた、驚き。たまらず出演を依頼した次第だ。 加藤をそこらのSSWと一緒にしてはダメだと言いたい。日本におけるSSWの評価はは、さだまさしや井上陽水に代表される、歌詞の世界を味わい、物語を読み聞かされるものが今もって基準になっている。いきおい、さだや井上の佇まいは、物語をいかに上手く、ムードを持って伝えるかという、琵琶法師の佇まいであり、語り部としてのそれである。 だが、彼女は違

          CORNER SHOP SESSIONS 出演アーティスト紹介(1)加藤伎乃

          デス・レター(CORNER SHOP SESSIONS誕生)

          ある日、Twitterのタイムラインに、不思議な記事が流れてきた。 「ライブやりませんか?」 写真はレコード店のような、本屋のような、喫茶店のような、なんか不思議な雰囲気である。俺は何か惹かれた。アメリカの公共放送NPRは、アーティストを、なんと本屋の一角でライブさせるという、変わった番組を放送している。TINY DESK CONCERTという。諸兄も聞き覚えがあるだろう。俺の大好きな企画だ。クルアンビン、アイドルズ、ダーティプロジェクターズ…。今の空気を代表する、一癖も二癖

          デス・レター(CORNER SHOP SESSIONS誕生)

          デス・レター(表現者とは何か)

          先般、マンガを原作とするTVドラマが、原作マンガと大きく設定が違ったことに端を発し、結果、マンガ原作者が自殺するという痛ましい事件が起こった。これについてコメントだの意見だのを言える立場にも筋合いにも、俺にはない。だが、このことが惹起した、「ある文化芸術作品はだれのものか」という問題は、小さなライブハウスの、その隅っこにいる俺にも、大いに関係がある。 かの一件ではっきりしたこと。それは、原作者が自身の作品の中に、確実に伝えたかった、伝わってほしかったことがあって、それが捻

          デス・レター(表現者とは何か)

          デス・レター(3rdアルバム制作日誌)

          ここのところ、(音楽のことであっても)俺からちょいと離れた事象についてばっかり書いていた。であるからここで、俺自身の身近なことを書いてみたい。とはいえ、これがひょんな拍子に世の中と繋がることがあるかもしれないけれど。 題にあるように、現在3rdアルバム制作が大詰めである。是非、多くの人々に聴いてもらいたい。「これが作りたかった」と思える出来になっていると思う。3代目ドラマーのkumeがパーマネントメンバーとなって初の作品であり、これが本作の大きな特徴になっている。彼女の、重

          デス・レター(3rdアルバム制作日誌)

          デス・レター(ライブハウスに意味はあるのか)

          といっても、俺は、ライブハウスに対して、なんらかの批判や提言をしたいわけでは毛頭ない。そもそも俺は、提言をしたくて一連のブログを書いているのでははない。身の回りに起こることのうち、自分に関係あって且つ、それが自分の思考の幅を広げたり、自分の未熟に気付いたりして初めて、文章を書く気になるのである。 そうは言っても、この2ヶ月、失職をいいことにライブハウスに観に行くことが増えると、自分が出ている身であるから尚更、思ってしまう。一体、ライブハウスは何を目指しているのだろうか、と。

          デス・レター(ライブハウスに意味はあるのか)

          デス・レター(音楽は虐殺ストップのために何ができるか)

          SUGIZOというミュージシャンが被災地に行ってボランティア活動をした時のセルフィーが、失礼だだのデリカシーがないだので糾弾されている。確かに自撮りは何か下品を孕むし、ボランティア活動はそもそも、名乗ってしなくても良い。だが、恐らくSUGIZOは、自らの著名を利用して「俺は行動した」と主張し、被災地の(未)復興の現状を広めようとしたのだろう。その心自体はむしろ認められるべきで、デリカシーがないだのの茶々を入れることになんの意味があるのか、とは思う。 これと同じことを、パレス

          デス・レター(音楽は虐殺ストップのために何ができるか)

          デス・レター(日本らしさと日本人らしさ)

          ウクライナ出身の日本国籍女性が、「ミス日本」グランプリを獲ったことで、外野があーだこーだと騒いでおる。彼女は、ショート映像を見る限り、日本人として受け入れられるよう、精一杯努力しているぽいし、そもそもミスコンに出るのは、受け入れられるのが目的である。そんな健気に愚劣な意見。「純度100%のウクライナ人」ときた。はーぁ… 俺にとって「日本らしいもの」とは、諸星大二郎である。 ご存知のない諸兄に説明しておく。諸星大二郎とは、漫画家である。映画化された「妖怪ハンター」シリーズを

          デス・レター(日本らしさと日本人らしさ)

          デス・レター(ロックの自爆とポップ)

          「ポップ」という言葉を定義することは非常に難しい。知る限りの誰もが、自らの印象・感覚でものを言っているように思えるからだ。かつて、音楽評論家の故中村とうようは、それを「大衆音楽」と名付けて、その地域の大衆に根付いた音楽を称揚した。インドネシアのダンドゥット、パキスタンのカッワーリーなどなど。しかしそれならば日本はどうなのか。中村は大衆音楽を、たとえば河内音頭、たとえば美空ひばりとした。 ダンドゥットもカッワーリーも美空ひばりも、俺は大好きだが、だからと言ってそれらを「ポップ

          デス・レター(ロックの自爆とポップ)

          デス・レター(歌に感情を込めるか?付け足しのようなもの)

          この原稿を書くのは、先般上げた原稿が、またしても粗いと感じたからである。八代亜紀が言ったのは「歌に自分の感情を乗せる」である。「込める」ではない。聴衆も感情を「乗せる」と彼女は言う。「乗せる」という言葉の、はっきりした定義は発言者亡き今となっては分かりようがない。ただ「乗せる」の言葉の本義として、「パンにジャムを乗せる」のような使い方だとすると、以下の認識を八代亜紀は持っていた事がわかる。 ・八代亜紀の曲への「感情」とは、その曲を聴いたり歌ったりした時の「インプレッション」

          デス・レター(歌に感情を込めるか?付け足しのようなもの)

          デス・レター(歌に感情を込めるか?)

          先日、友人のムラカミロキがX上で発した一言がきっかけで、俺と彼の間に、ディベートめいた、ちょっとした会話がなされた。ムラカミのこの発言は重要だ。にもかかわらず、俺のX上での返信がちょっと雑だった。細かに返答する責任がある。そして、ムラカミとの対話はいつも楽しい。いろんな理由が相俟って、以下の通り俺の考えを書いておきたい。 その前に、そもそもの提言(画像参照のこと)に対するムラカミのつぶやきを全文見てみたい。  わからんでもないけど、「良し悪し」で言えばスタイルとかプレイヤ

          デス・レター(歌に感情を込めるか?)