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→(Yajirushi)ロングインタビュー(前回の続き)

―自分の思い描く理想を疑え、ということ?
「そうだね。そう思ってもらって構わない。もっと言えば、自分の考えを間違いだと思うことが、定型から外れるきっかけになると思っているんだ。ちょっと過激かもしれないけど、本当にそう思っているんだよ。」
「例えば、こういうことがあった。あるリハーサルの時、二人で新曲のアレンジをしていたんだけど、演奏していて、ずーっと違和感があったんだ。そして何回目かの演奏中に突如気づいた。彼女(KUME)の1拍目が早いってことにね。常識ではトン、トン、トン、トン(と手をたたく)っていう風に等拍なんだけど、彼女は、トン、トン、トン、トットン、って感じなんだ。1拍目がちょっと食ってはいる。ほんのわずかなんだけどね。で、もしそこで俺が「ちがうよKUME、もっとジャストにキックを踏まなきゃ」って言ってたら、多分つまらない曲になっていただろう。それを容認して、『そうだ、俺がこのリズムに合わせたら面白いんじゃないか』って思うこと、これが定型から外れる瞬間なんだ。これを許し続けていると、何とも変だけど面白くもあるものが生まれる。俺たちはこうやってやってきたんだ。それって、楽しいことだよね。自分自身でも予想できないものが生まれるんだから。」
「今こうして、君と話していて気づいたんだけど、定型から外れるために重要なのは、音楽的素養とかじゃなくて、物事に寛容でいられるかってことなんだろうね。基本的に、相手の思っていることを、そのまま受け容れる寛容さと勇気、そして決断する思い切りが必要なんだろう。仲間を信頼するっていうのは、本当はこういうことなんだろう。」
―つまり、→はこの先どう変わるか、自分でもわからない、ということ?
「そうだね。ざっくり言えばそういうことになるね。ただ、『こういう感じになるかもな…』という予感は、ぼんやりとあるんだ。最近、Regina Spektorっていう女性シンガーをよく聴いているんだけど、彼女の譜割はめちゃくちゃで、テンポも全然一定じゃない。すきに、思いつくまま歌ってるって感じなんだけど、『これをやりたいなあ』とは思っているんだ。俺が昔から聴いてきたR.L.Burnsideにしてもそうなんだけど、間奏がやたら長くて、なぜかというと、彼が歌いたくないからなんだ(笑)。歌いたくなったら、歌う。そんな、聴いている側からすれば、なんだかわからないものを作りたい、とは思うよ。全然売れないかもだけど(笑)。」
「『ポップである』というのは、努力してできるものじゃないと思う。それは天性のもので、意図せざるものなんだ。売れないコメディアンが工夫して笑わせようと思っても白けるようなものさ。俺にはポップの才能が、おそらくある。だから、相当めちゃくちゃやっても、収まるべきところに収まると思う。一番やっちゃいけないのは、そのことを信じないことなんだ。矛盾してるよね。自分の中にあるものを、疑ってはいけない。信じてもいけないし、疑ってもいけない。こんなアンビバレンスを抱えながら日々音楽に向き合っているのが、俺なんだよ。」

→(Yajirushi)シングル曲”You Don’t Know What To Do, Frank?”のPVはこちら

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