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「“私”を生きるということ」〜新しい自分と出会い、表現したい〜(前編)

「子どもを授かった際に出会えたセラピストとしての仕事が、思いがけず『インタビューをして、書く』ことにつながり驚いています。“書くこと”が自分にとって、自己表現であり、自分を生きることだと気づいたんです」。

2年前に東京に移り住んだ彼女は、言葉を使う仕事への喜びを再認識して、精力的にキャリアシフトに取り組み始めた。

妻や母親という役割を果たしつつ、「ひとりの人間として、女性として何かを成し遂げたい」という気持ちは、現代の多くの女性が抱く願望ではないだろうか。彼女は40代になり、それを実現する機が熟したのだ。

※本記事は2022年3月に行ったインタビュー取材をもとに作成しております。

幼い頃から言葉やマッサージが好きだった

新多典子(にったのりこ)さんは1978年生まれの現在44歳。新多さんと私は2021年7月から半年間受講した宣伝会議主催 「編集・ライター養成講座」の同期生である。

新多さんは現在、南青山にあるエステサロンで、セラピスト(エステティシャン)として勤務している。

「セラピストなのに、なぜライターを目指しているのか」そこに疑問を持った私がインタビューを申し込むと、彼女は快く引き受けてくれた。

セラピストの新多典子さん

新多さんは福岡県直方市という地方の田舎町で生まれ育つ。四姉妹の三女。両親は高校教師だった。幼い頃から絵を書いたり、本を読んだりするのが好きだった。

一方、仕事で疲れた母親にマッサージをよくしていた。「母親の身体に触れていると『気』が巡る感じがして、自分自身も心地良かった」。

何より「気持ちいい、ありがとう」と言ってもらえることが嬉しかった。

国語の教師をしていた母親からは、「本代だけはケチるな」と言われて育った。学校では算数よりも国語、特に作文が好きだった。

「答えがあるものより、ないものが好きだった」と彼女は当時を振り返る。

(イメージ画像)読書をする少女

大学を卒業した後は、新卒で就職する道を選ばず、イギリスへの留学を決意する。

「苦手な英語の荒療治を兼ねて、何か自分の人生の礎となるような学びをしたい」そのような意志を持って、イギリスのウォーリック大学大学院で社会学を学び、修士号を取得した。

結婚、そして出産

イギリスから帰国後、福岡に戻り26歳で働く女性向けフリーペーパーの編集部に就職。営業編集職として広告営業をしながら編集や制作も務め、忙しく充実した日々を送った。

職場の仲間は、女性を応援することへの意識の高い人たちが多く、何でも積極的に挑戦できる点では恵まれた環境だった。しかし、広告文を書く上での葛藤や、母親の病気や結婚という転機が重なり、10ヶ月あまりで退職した。

「10ヶ月という短い期間だったけれど、とても濃い経験だった。今思えば、“書くこと”のひとつの原点になっている」と新多さん。

結婚後は、夫の仕事の都合で、イギリス、名古屋へと転居し、29歳で一人娘の母親となった。

(イメージ画像)娘を出産

「子どもを妊娠していたときに、つわりが苦しかったこともあって『人はなぜ、こんな苦しい思いをしてわざわざ生まれてくるのだろう』と常々考えていました」。

出産を経験することで、人の生きる意味について思いを巡らせるようになった。

ボディセラピーで人を幸せにしたい

妊娠中のある日、シャワーを浴びているときに「人は人を喜ばせるために生まれてくるんだ」とお告げのような感覚で腑に落ちた瞬間があったという。

その後、自身も「何か人に喜ばれることを仕事にしよう」と思い立ち、出産して9ヶ月後にはアロマセラピーの資格スクールで勉強を始める。

結婚、出産を経験して幸せな生活を過ごしていた彼女だったが、どこかで満たされない気持ちを感じていた。

「たぶん、結婚や子育てという喜びと別に、自分の使命や本当にやりたいことへの願望も同時に出てきたんだと思います」と彼女は当時の気持ちを語った。

出産を経験をしたことで、人が生きる目的を考えるようになり、そこから「もっと多くの人を喜ばせたい、愛情を注ぎたい」という気持ちが芽生えた。もっと多くの人と繋がり、セラピーを通じて「愛」を伝えたいという想いが強くなっていった。

彼女はアロマセラピー等の各種ボディセラピーの勉強経験や資格を活かし、3年後にはボディセラピスト職に就く。

アルバイトから始めたが、身体のケアを通じて人を喜ばせることに幸せを感じた。さらに4年後にはハワイアンロミロミの個人サロンを開業した。37歳のときだった。

名古屋で個人サロンを開業した

セラピストの仕事を通じて、喜んでくれる客が増えるに連れ、彼女の心も癒やされ、満たされていった。

そんななか、研修などで「東京」に足を運ぶ機会が多くなる。あるとき、東京の駅にあった宣伝会議のライター講座のチラシを手に取った。20代の頃からその講座の存在は知っていた。

「書く仕事にもう一度、挑戦したいな」
自分の中にある“書くこと”への渇望を感じた瞬間だった。

「いつか、東京で『言葉』で人を幸せにすることを仕事にしたい」。漠然とした気持ちだったが、いつかその日が訪れてくれる期待が彼女の心の中にはあったそうだ。

(後編へ続く)


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