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drive my car ♯2


2

 妻は六年前に亡くなった。
 正確には六年と一月と二日。梶原が稽古場から帰ると、暗いリビングのゆかでうつ伏せに倒れていた。すでにこと切れていた。三月も半ばを過ぎていて、桜の花芽がそろそろほころびつつある時節だった。それを妻が嬉しそうに知らせたので、梶原はよく覚えている。だから、桜の開花について誰彼が話題にし始めると、どうしたって胸の奥がうずく。
 花粉症の薬だと聞かされていた。それが睡眠薬であったとは事後に知った。それも強力な。その過剰摂取による心不全だろうと医師は言った。
 自殺だったのだろうか。梶原はそのことに思い悩んで、いまだに不眠の夜を断続的に過ごす。しかしあの夜、妻は知人の出版記念パーティーに出席する予定で、その身支度もし終えていた。家を出ようという段で倒れたのは明らかだった。妻はその夜、自分が死ぬとは思っていなかったはずだ。

 生前妻は不義を重ねていた。

 二歳になって間もなくの長女を肺炎で亡くしてから一年が過ぎようとしていた。妻は立ち直りつつあった。少なくともそのように見えた。雑誌へのエッセイの連載も再開した。そして、梶原の送迎も時々はするようになっていた。これは梶原が頼んでさせたことではない。あのDS21を完璧に操れるのは自分だけだという自負が彼女にそうさせた。結婚してからの習いのようなものだった。彼女は言った、この車の窓外は東京の景色でも、車のなかのわたしはいつだって六十年代のパリのpavé (石畳)を走っているんだと。
 その兆しを梶原ははっきりそれと示せるわけではなかった。化粧の感じが変わったとか、服の好みが変わったとか、そうした外的な変化に現れたわけではなかった。ケータイをいじる時間が増えたとか、電話が鳴ると席を外す機会が多くなったとか、そうしたことでもない。それは気配というほかなかった。妻との夕餉の最中に、妻の横にかしづく男の気配が娘の一周忌を境に立つようになった。黒い影のように濃くなるわけではない、白い陽炎のように揺らめくわけでもない、ただただそこに気配がして、梶原に向けられた敵意の細かな棘が、喉のあたりに刺さるようで、食事の嚥下を不快にした。そうして男の気配は一ヶ月もしないで途切れて、しばらくするとまた別の気配が梶原に敵意を剥くようになる。
 互いのいたわりが、互いに深過ぎたのかもしれなかった。娘の命日は一年ごとにやってくる。柵付きの小さなベッドの片側の柵を外して、鼻から管を通された小さい娘を後ろから抱いて眠らない夜を思い出した。ママがいいと言って泣きじゃくる娘。スマホで娘の好きなキャラクターの動画を見せるも、病室はネットの接続が悪くてしばしば中断され、すると現実に引き戻された娘はまたもや母親を恋しがって泣き止まなかった。妻の胸のなかで梶原に笑いかけた娘。その不憫さにとても耐えられないような記憶の押し寄せては涙の涸れぬ夜々が果てもなく続き、そしていつか、押し寄せる記憶を押しとどめるような堰が自然と心に作られて、なんとか生きられるようになる。それを、故人を忘れたと軽々に言うのは慎むべきだ。忘れることはないにせよ、薄れることを許した自分を責める夜だってあるのだ。こうして別々に夜を過ごしながら、悲しみの荒海を渡って、一年もすると、互いになんだかすっかり洗われたようになったのは、抗いようのない事実だった。梶原は舞台の仕事に没頭した。そして妻は仕事の再開と時を同じくして、不義を重ねるようになった。ただそれだけのことだ。まさか、梶原にとって、その妻が、彼の早急に読むべき本として開かれつつあったとは、つゆとも思い至らなかった。
 真夜中に電話のかかったことがあった。家の電話にかけてくる人間は稀である。時刻は一時を回っていた。放っておけばいいものを、なぜか梶原は受話器を取った。無言で応じた。
「……あの、梶原さんのお宅ですが」
「梶原ですが」
「あ、梶原さん……。梶原麻衣子さん、いらっしゃいますか」
「いますが、寝てます。こんな時間ですから」
「ご無事でしょうか」
「無事もなにも、寝ています。ところで、あなたは」
「ご無事ならいいんです。夜分に失礼いたしました」
 そう言って、先方は電話を切った。
 妻の眠る寝室は青い光に満ちていた。朝の光に起こされたいからと、妻は窓のカーテンを開け放って眠る。この高さでは眼下の喧騒は昼でも届かない。妻の寝息がかすかに聞こえていた。窓の向こうに、港湾の赤と白の光に縁取られるようにして海が見えた。海は闇より暗く凝ってそれとわかる。空は雲に覆われて、星あかりは見えない。
 窓辺に寄ると、梶原は目をつむった。風は凪いで、海は穏やかだ。しかしその凪の海原が束の間の相貌であるのは、自分自身のこととして、梶原には痛いほどにわかるのだった。
「俺たちは、互いにいたわり過ぎるんだよ」
 あなたが悪いおまえが悪いと言い募って互いの頭髪をつかみながら泥まみれになるような醜態をちらと思い描いていた。そんなことが可能だとしたら。そうであったなら。この夜が明けたあとの自分のあるべき行動について、自身に問うた。そして梶原は、不問に付すことを選択した。しかしそれは、目の前に差し出された本を読まずに放擲するのと同じことだった。
 その過ちによって、六年と一月と二日と、その後に続く日々を自責のうちに費やすことになろうとは、このときの梶原には思いも寄らなかった。


(つづく)

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