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drive my car ♯3



3

 梶原ひとり貞節を守ったわけではなかった。過ちは、あった。一度だけ。しかし相手のあることで、過ち、と一言でくくるのは戒めなければならない。とかく人は自分だけは例外だと思いたがるものだ。不貞は不貞であり、回数や期間の多寡によって罪の軽重が推し量れるものではない。法的にどうあれ。

 大学を卒業して間もないさる劇団員が端役として同じ板に立っていた。梶原と同じ大学の後輩であること、梶原が看板俳優であったこともあったその大学の学生劇団に所属していたこと等、千秋楽の打ち上げの席で攻勢を仕掛けてきて以来、ぽつぽつと都内の梶原行きつけの隠れ家で逢瀬を重ねるうち、行くところまで行かないでは済まないような関係になっていた。
 親子ほどにも歳の離れた、海千山千と言えなくもない男からすると、逢瀬のたびに濃くなりまさる二十歳そこそこの女の欲情は、ある種の香気としてはっきりと感じ取られた。滲んでそこにあるものに、同じ火照りを寄せて滲まないほど彼は堅物でもなければ無粋でもなかった。もう少し若ければ、わけないことだったかもしれない。しかしそのときに乗り越えなければならなかった壁は、年齢ばかりではもちろんなかった。正体なく酔わなければ、目の前の滲みに対峙することはかなわなかった。梶原には珍しく、会うごとに饒舌だった。青臭いような演劇論を並べ立て、潤む目を覗き込み、その井戸の澄み渡る水に恐れおののきながら、ままよと飛び込む夜があった。その肌理の細かい肌が、もはや梶原には脅威だった。このように女のからだとは、こちらの肌に吸いつくものだったろうか。深みへ深みへと沈みこもうともがき、震え、弛緩し、眉間に申し訳程度の皺が寄せられて、不意に年増の顔になってほんのりと赤く染まり、勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。梶原のほうがよほど子どものようで、わざとのように声を上げていた。母親になりたての女の、髪を撫ぜる手のなんと情熱的なことか。女体は茫漠たる海となり、梶原はいっさいのわだかまりをそこに解き放とうとして、すんでのところで思いとどまった。そこで泣きながらかき抱き、慰めを貪ることもできたかもしれない。若い女。初めは戸惑いつつも、男のさらす生傷に母性の目を輝かし、やがて飽いて、ついには軽蔑するだろう。それでもいいから求めてみたいという誘惑がその夜にはたしかにあって、それでも梶原が思いとどまったのは、滲みきった女を後ろから抱きながら、肩から腰、腰から尻、尻から腿へ……となだらかに連なる稜線のふくよかな美しさに怖気付いたのはもちろんだが、同時にシュールレアリスムの絵画にあるように、それはもはや海に喩えられるようなものではなく、陰翳の濃い砂漠そのものと感得されたからであった。
 眠る女を残して部屋を出た。若い女と同衾して迎える朝に、梶原はとても耐えられそうになかった。

 妻は男とどのように始まり、どのようにして終わるのか。不問に付すと決めて以来、表面的には常変わらぬ夫婦の睦まじさを維持したが、どうにもわたがまる夜があった。
 あの電話の男の声は、よほど若いように感じられた。若ければ若いほどいいと梶原は願うようだった。そのほうが、妻の束の間結んではほつれさせる関係の意味なり目的なりが、はっきりするように梶原には思われた。そのほうが傷つく男もあるかもしれない。しかし自分より少しでも年配の男に身を委ねるようなら、それは存在を全否定するに等しかっただろう。
 結局梶原は己の内奥に萌すわだかまりを押し殺すことに慣れていき、妻にはなにも尋ねずにしまった。あるいはなにも尋ねず、黙認することで、妻を追い詰めたのではないかとも思う。それは確実のようにも思われ、それこそは自責の内実である。
「あの、このカセットは、なんですか」
 佐波が珍しく口を聞いた。彼女を運転手として雇って以来、ひと月が経とうとしていた。荒木が言うように、佐波のドライブテクニックは天性のものと感じられた。感情をあからさまにする演技より日常の所作を演ずるときにこそ役者の才が光るように、家と稽古場の往路復路の小一時間の街乗りにこそ運転のうまさは露呈する。
 妻の運転には感情の起伏がともなっていて、基調として彼女の運転は「躁」だった。軽やかに立ち騒ぐような瞬間がたびたび出来した。それが楽しくもあった。
 しかし佐波の運転はどこまでも静謐で、あくまでピアニッシモに、そしてモデラートだった。それを食い足りないと言うのは間違っている。
 梶原が本読みに集中できないでいることを、この若い娘は察している、と梶原は思った。きみは黙って運転していればいいのだ、とは思うのだけれど、妻よりひと回り小さいような体軀を斜め後ろから見ていて心動かされずにはいられないのだった。自分でも妙に声音の優しくなるのが鬱陶しかった。
「ああ、それ。台本の音読を録音したもの。それを聴きながら昔は台本を暗記した」
「今はお聴きにならないのですか」
「うん。結局、黙読のほうが早いから」
「……奥様、ですか」
「え?」
「いや、その、このカセットに台本を吹き込まれたの、奥様じゃないかと。奥様がこの車で送迎されていたとうかがっていたので」
「そう。妻だよ。妻が、ぼくのパート以外の台詞を吹き込んでくれていた」
「すみません。余計なことを聞きました」
「いやいやかまわない。聞いてくれてうれしいよ」
 それはほんとうだった。仕事と割り切って運転に没入するなら、それはそれでかまわなかった。いっぽうで佐波響可と話がしてみたいと思うようになっていたのも事実だった。しかし相手にそれが無聊を慰めるための単なる気まぐれと受け取られることは避けたかった。勢い、慎重さは臆病と見分けがつかなくなり、結果として無関心な態度を持続することになって、それはそれでこの娘を傷つけていたかもしれなかった。
「かけてくれないか」
 佐波が身じろぎする。
「カセットテープ。4と書かれたやつがダッシュボードの左端にある。それが今日の本読みのところだから」
「いいんですか」
「もちろん」
 信号待ちのあいだに佐波はカセットテープを取ってデッキに入れる。スタートボタンを見つけてそれを押す。この娘には躊躇とか狼狽とか、あらゆる動作にともないがちな滞留というものがいっさいない。よどみなく、落ち着いて、なにごとも淡々とこなす。
 妻が台詞を読み上げた。感情をすべて排してまずは棒読みから徹底せよというのが梶原の私淑する演出家の基本方針で、彼もまたそれを踏襲した。感情を排する難しさというのがまずある。そうすることで一つひとつの台詞の意味が本読みの期間に目まぐるしく変容し、こうあらねばならないという先入観から役者は解放され、台詞のなかに己を見出すようになる。そうでなければ本物の芝居はできない。台詞と一体となって、観客の心のひだに分け入ることなどかなわない。
 妻の読み上げる台詞を梶原は何度聴いたことだろう。それはもう、数えきれないくらい。
 娘がまだいない時期にそれを聴き、娘が生まれて間もない時期にそれを聴き、娘がいなくなった時期に聴いた。妻が不貞を重ねる間に聴き、妻が二度と戻らなくなってからもしばらくは聴いた。
 十九世紀後半に活躍したロシア人の書いた同じ台詞の一つひとつが、その時々によってニュアンスを変えた。そして最後の時期に聴いたそれらは、すべてが神託めいて聞こえた。深遠さとは裏腹な剥き出しの意味に触れるようでもあり、そのことに梶原はとても耐えられるものではなかった。
 今こうして佐波の走らせる車にいて聴く妻の声は、かつて身近に存在したはずの梶原麻衣子のそれとしては聞かれなかった。
 知らない女の声だった。
 知らない女の声は意味を結ばす、異国の言葉のように鼓膜に触れてははらりと落ちる。棒読みだから、むしろ読経に近いかもしれなかった。黙念として梶原は聞き入った。
「妻はほかの男と寝ていた。複数の男たちと。ひとりと終わると、しばらくもしないでほかの男と始まって、ひと月もしないでまた終わる。ぼくらには娘がいたんだ。しかし肺炎で亡くなった。二歳だった。ぼくらはいたわり合った。結婚して以来、ぼくらは互いに一番優しかったと思う。そしてその優しさのバランサーのようにして、妻は若い男と通じるようになった。とても若い男たちと。ぼくは妻を許した。そうすることをぼくは容認した。なぜならぼくは妻を愛していたから。妻を信じていたから。妻がそうせざるを得ない意味があるのだと」
 ほとんど独り言のようにして梶原はしゃべっていた。そこまで打ち明けるとは自分でも思っていなかった。佐波にしたところで、どう返したものか考えあぐねたものだろう。長い沈黙があった。
「どうしてそれを、わたしに話されたんですか」
「どうしてだろう。自己紹介のつもりだったかもしれない。あるいはきみが口の固い人だと聞いていたから、つい気持ちを許したのかもわからない」
「わたしが口が固いかどうかはわかりません」
「そう」
「ただ、話す人が誰もいませんから、結果的にわたしひとりにとどまるわけで」
 佐波から微笑する気配が立った。
「愛はときに傲慢なんだと、お話を聞いて思いました。……生意気言って、すみません」
「いや、いいんだ。続けて」
 佐波は続けた。
「愛すればこそ、自分の理想を人に押し付けたりもする。そうあってほしいと願ったりもする。でも、人のことなんて、わからない」
「そうだ。その通り。人のことは結局はわからない。妻であろうと肉親であろうと」
「梶原さんのように、なんというか、人生の場数を踏まれた方でも、人のわからなさとは、悩ましいものですか」
 妻のわからなさが悩ましい。それはたしかだった。しかし自責の念の因ってきたるところとは、あくまで黙認によって妻を追い詰めたのではないかという疑念の一事だった。葛藤を回避するあまり、結果として冷淡に振る舞うということはあるだろう。自分が冷たい人間であることを容認することは、また別の耐え難さだった。
 梶原は佐波の問いに答えなかった。答え得なかった。要するに俺は深く傷ついているのだ、と大息する。麻衣子よ、俺を傷つけて、本望なのか。
 窓外には川を挟んでタワーマンションの群れが煌々と輝いた。地平に降りるに従って薄桃色から紫色へグラデーションをなす薄暮の空。遠くに東京タワーが、小さな蝋燭の火のように見えていた。

(つづく)

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