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スパイスを楽しむなら、スパイスの歴史に学べ。

こんにちは。
フォレスト出版の森上です。

物事の本質を見抜くとき、俯瞰的な視点が必要ですよね。俯瞰的な視点を持とうとしたときに忘れてはいけないのは「歴史」です。

私たちが当たり前に食べているカレーなどに使われているスパイス。スパイスの本質を知りたいのであれば、スパイスの歴史にも目を向けてみたいものです。歴史を知れば知るほど、スパイスの魅力や楽しみ方が広がってきます

そして、きっとわかるはずです、
スパイスは、人間とともに歩んできた必須アイテムであることを。

スパイスコーディネーター協会の理事長としてスパイス活用の普及に努め、日本国内はもちろん、欧米諸国のスパイス研究者に高く評価されている、日本におけるスパイス研究の第一人者として知られている武政三男さんは、監修した書籍『スパイス活用超健康法』の中で、スパイスの歴史やスパイスの生産量や産地についてわかりやすく解説しています。今回は、本書の中から該当箇所を一部抜粋・編集して紹介いたします。

世界のスパイス産地は、限定されている

 スパイスが世界のどこで生産されているかを見てみましょう。
 スパイスを主に生で使うフレッシュ系と、乾燥させて使うドライ系に分けて世界の生産地を整理すると、おもしろい事実が明らかになります。
 フレッシュ系のスパイスは、ヨーロッパや北米の温帯地方で主に生産されているのに対して、ドライ系は熱帯地方、それもアジアに集中しているのです。

図1

▲主なスパイスの生産地(『スパイス活用超健康法』p.52-53より)

 俗に4大ドライ系スパイスといわれるコショウ(ペパー)、ナツメグ、クローブ、シナモンの原産地と産地をまとめてみると、その傾向はさらにはっきりします。
 原産地はもちろん、現代の主な産地も熱帯アジアに偏っています。
 一部、南米やアフリカの産地もありますが、それは近代以降のプランテーション化で広まったと考えられます。
 つまり、多くのドライ系スパイスは熱帯アジアの特産品であり、気候的に欧米での栽培は不可能なのです。

スパイス生産量は、インドがダントツ

 次に国別の生産量を調べてみましょう。
 なんと、世界全体のスパイス生産量の約半分はインドでつくられています。インドがトップであることは想像がつきますが、ここまでダントツとは驚きではないでしょうか。

図2

▲世界のスパイス生産量と4大スパイスの原産地と主な産地(『スパイス活用超健康法』p.55より)

 しかも、インドではスパイス品種の多くを生産しており、海外への輸出もトップです。トウガラシ(レッドペパー)、クミン、ターメリック、ナツメグをはじめ、多くで世界一の輸出量を誇っています。
 さらに消費量でもダントツの世界一です。巨大な生産量の多くを国内消費に回しているというデータもあります。
 インドが他に追随を許さないスパイス大国であることは間違いありませんね。
 インドに続く生産国は、熱帯に位置するアジア、アフリカの国々です。中国は熱帯ではありませんが、温帯でも栽培可能なトウガラシ、ニンニク(ガーリック)、ショウガ(ジンジャー)などを多く生産しています。9位のメキシコも主な産物はトウガラシです。
 インドを中心とする熱帯アジアが、今も昔もドライ系スパイスのハブであることは議論の余地がありません。

中国の一帯一路は、古のスパイス街道

 アジアの貴重なスパイスは、古代エジプトからギリシャ、ローマ時代を通じて東から西へと運ばれました。コショウ(ペパー)、シナモン、タイム、カルダモンなどが特に好まれていたことが古い資料に残っています。
 ヨーロッパと同様にスパイスを手に入れていたのが中国でした。主に薬用として使っていたようで、5世紀の資料には頻繁にその記述が認められます。
 当時のスパイスの交易ルートは海路と陸路がありましたが、それを地図に表すと、おもしろいことがわかります。なんと習近平率いる中国が提唱する経済圏構想、「一帯一路」とそっくりなのです。一帯一路は古のスパイス交易路をなぞる戦略構想といえそうです。

ルネサンス文化の影に、スパイス貿易

 スパイスを巡って歴史が大きく動いたのは15世紀でした。現在のトルコに建国したオスマン帝国が力を増大し、1453年に東ローマ帝国を滅ぼして領土を東西に拡大したのです。
 それまでヨーロッパとアジアを結ぶ航路は、アラビア半島とアフリカに挟まれた紅海が起点でした。ところが、陸路はもちろん、物流のほとんどを担っていた海路までもが、オスマン帝国に抑えられてしまったのです。
 こうして東西貿易はアラブ商人が牛耳ることになりました。
 アラブ商人と独占的に手を組んで繁栄したのが、イタリアのメディチ家でした。ドル箱のスパイスをはじめ、あらゆる物資がメディチ家を窓口としました。
 こうしてメディ家は莫大な財産を築き、その財を持ってルネサンス文化の興隆に寄与したのです。レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロも、スパイスがなければ偉大な作品を残すことができなかったかもしれません。

大流行を巻き起こした小さな島の特産品

 この頃、特に注目された不思議なスパイスがありました。
 それがクローブです。
 クローブはモルッカ諸島の特産品です。モルッカ諸島はインドネシアのスラウェシ島の東、ニューギニア島の西に浮かぶ5つの小さな島々です。
 何が不思議かといえば、クローブはこの小島でしか栽培ができなかったのです。しかも、原始的な生活を送る島民たちはその価値に見向きもせず、物々交換をしに来るインドやアラブの商人たちに売り渡すだけだったといいます。
 はるか西方に伝えられたクローブは、ヨーロッパで大流行を巻き起こします。当時は野鳥や豚、羊、牛などの肉、さらにサケ、タラ、ニシン、マスなどの魚の塩漬けの消費・流通が盛んになっていました。クローブが持つ強い防腐力と臭い消しの力が、肉や魚の消費に欠かせないものとなったのです。
 それだけではありません。消化促進、健胃、さらには強壮剤、媚薬(性的興奮)と、さまざまな効能がある万能薬として需要が爆発的に高まったのです。
 当時は胃腸が悪い人が多かったにもかかわらず、定評のある薬も開発されていませんでした。クローブの人気は現代では想像もできないほど熱狂的だったそうです。
 この後、モルッカ諸島の主権を巡って長く列強国の抗争が続きます。最終的にイギリスからモルッカ諸島を手に入れたオランダは、ニューヨークのマンハッタン島との引き換えに応じました。その事実だけでも、クローブの価値が推し量れるというものです。

人々の心をつかんだ香り

 クローブと並ぶ価値があったのが、ナツメグです。
 ナツメグは、モルッカ諸島から100キロほど南に下ったバンダ諸島の特産品です。世界のどこにもないスパイスを生むモルッカとバンダは、合わせて香辛諸島(スパイス・アイランズ)と呼ばれました。
 ナツメグは10メートルほどの高さになる常緑樹で、種子をナツメグ、種子を取り巻く仮種皮をメースといいます。つまり、ナツメグとメースは同じ植物から取れる兄弟スパイスです。
 ナツメグにもクローブと同様の健康効果が認められましたが、その最大の価値は独特の甘い香りでした。それはカカオが発見されるまで、ケーキ、料理、飲料に欠かせない存在でした。
 クローブとナツメグにインド産のコショウ(ペパー)を加えた3つのスパイスが、狂乱の大航海時代を演出したのです。

スパイスをめぐる列強国の争い

 話を歴史に戻しましょう。
 メディチ家の独占に業を煮やしたのが、当時の強国であったポルトガルとスペインでした。
 ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマがアフリカの喜望峰を回るルートを拓き、1498年にインドの西海岸の町、カリカット(現在のコーリコード)を抑えました。
 なぜ、ほかの大都市ではなく、カリカットだったのでしょうか?
 カリカットはインド西南部に位置するコショウの集積地です。ポルトガルの目的はスパイスですから、真っ先にこの町を目指したわけです。
 一方のスペインは、コロンブスが1492年に大西洋を越えてカリブ海の西インド諸島に到着。トウガラシ(レッドペパー)、タバコ、バニラ、トウモロコシ、ジャガイモなど、アメリカ大陸原産の作物を多くヨーロッパに持ち帰りました。
 オールスパイスの原産国は、カリブ海のジャマイカです。クローブ、ナツメグ、シナモンという当時の高価なスパイスを合わせた香りがしたことからその名前がつきました。便利な代替品だったのかもしれません。オールスパイスもスペインの探検家が持ち帰ったお土産の1つです。
 さらに17世紀になるとイギリスとオランダが東インド会社を設立し、アジアの主権争いに乗り出します。
 インド、モルッカ諸島、バンダ諸島はもちろん、シナモンの原産地であるセイロン(現在のスリランカ)、ベトナムなど、東南アジアの国々が争いに巻き込まれました。交易の要衝だったマレーシアのマラッカは、アラブ人によるイスラム化の後、ポルトガル、オランダ、イギリスと主権国がコロコロと変わりました。
 スパイスを巡る列強国の争いが収まったのは19世紀になってからですから、実に400年近くも不安定な状態が続いたことになります。

いかがでしたか?

武政さんが監修した『スパイス活用超健康法』では、スパイスの効用を活用した健康法をスパイス別、効能別でわかりやすく解説しています。興味のある方はチェックしてみてください。

2022年3月5日追記


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