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「ふつう」に育ってほしいと思う呪縛と親心

「ふつうの子に育ってほしい」それが母の私へ対する願いでした。「ふつう」に苦しむ当事者の方や、子供とどう接すれば良いのかわからない方に向けて書かせてください。私が長年苦労した母親との関係性についてお話させてください。一番に言いたいことは「育て方が悪かったということは決してない」ということです。悩んでいる方の心が少しでも軽くなればと思っています。

届いてほしい方

両親(特に母親)との関係性に悩んでいらっしゃるADHD、ASDの方 ADHD、ASDのお子様のいらっしゃるお母様

10-12歳のADHDの症状がある子どもの83.5%が診断を受けていない

日本の東京に住んでいた2,945人の子供とその主介護者の間で行われ、10歳と12歳の年齢で追跡調査を実施した研究があります。2,945人のうち91人の参加者が持続的なADHD症状を呈していたものの、76人(83.5%)にADHDの診断歴がありませんでした。

ADHD当事者とそれを取り巻く家庭環境は問題が多く、また診断を受けていない人も多いことから「親のしつけの問題」と言われることもまだまだ多いようです。

母は厳しい家庭で育った

私の母はきょうだいが多くいる家族の真ん中でした。家は裕福であったにも関わらず、欲しいものが買ってもらえる環境ではなかったそうです。なんでも買ってもらえるお姉ちゃん、弟に嫉妬していたと言います。母親自身、家庭の中で孤立していました。

母が結婚した時、祖母(母の母)から「迷惑はかけるな」そう言われたそうです。誰も助けてくれない中で母は一生懸命私を育ててくれました。でも、一人で父親の帰りも遅く、その心は激しくすり減っていきました。

「ちゃんとしなきゃ」、「ふつうの子に育てなきゃ」そういう思いに囚われていたのだと思います。

「なんでふつうにできないの。」

「なんでふつうの子のようにできないの。」母は泣きながら何度も何度も言ってきたことを記憶しています。「○○ちゃんはできるのに。○○くんはもうあんなにできるのに。」

「ふつうのこと」、「ふつうの子だったら当たり前にできること」を母は何度も何度も繰り返し教えてくれました。幼稚園のバックの中身に何を入れたらいいのか、朝支度では何を持っていかないといけないのか。でも、私は毎日忘れ物と繰り返し、朝もなかなか支度が終わらなかった。それ以外にも、みんなと「ふつう」に遊ぶこと、みんなと「ふつう」にお遊戯会で踊ることができなかった。幼少期の記憶ですが、私が「ふつう」でないせいでお母さんが泣いている。でも、どうしていいかわからない。そんな気持ちでした。

やがて母は「自分がちゃんとしていなかった」から子どもは「ふつう」でなくなった、そう思うようになっていきます。

「ふつう」の曖昧さ

私は実は今でも「ふつう」という言葉が苦手です。それは小さい頃を思い出すからということ。そして、いろいろな価値基準の中から「ふつう」を見つけ出すのがとても難しいからです。

曖昧なもの定義されていないものが苦手で、究極的には私の「ふつう」とあなたや誰かの「ふつう」は相入れないものだと思っているからです。

「ふつう」を願う親心と呪縛

この子を「ふつう」に育ててあげなければかわいそう。あとで困ってしまうに違いない。過度に「ふつう」を求める気持ちは親心があってこそだと思っています。想いが強く、心配で仕方がない。

もちろん、「良い母親にならなければならない」という社会の目もあったかもしれません。でも、そのようなプレッシャーも感じてしまうのは当然です。

ふつうにならなきゃ、でもできない。ふつうの子に育てなきゃ、でもできない。私も母も「ふつう」になるという呪縛にとても長い間囚われていました。

関係が変わったのは診断を受けたのがきっかけだった

社会人になって働きづらさ、生きづらさを感じた私は病院で診断を受けることにしました。転職する合間に休みをもらい、自分の長年の生きづらさにやっと向き合うことができるようになったタイミングでした。

結果を見て「ああやっぱり」と思う私に対して、「でもそんなことはないはずだ」と言う両親。そして母は「私の育て方が間違っていたのかも」と泣き出してしまう。

何年も何年もかけて「母が間違っていないこと」の証明と「自分の特性」の説明を繰り返しました。今では少し理解を深めてくれたように思っています。

それでも私は離れて生活することを選んだ

今でも母は「もっとちゃんとしていれば」と思うことがあると言います。でも、最近では私がADHDの兆候が出ても「それがまどかだもんね」と言ってくれるようになりました。

「ふつう」ではなくて「私らしさ」を認められ気がして。両親との関係性が一歩前に進んだような気がしました。

それでも、私は両親と離れて暮らしています。成人しているので当然だとも言えますが、用事がある以外は実家に帰らないし、帰っても数時間で自宅に戻ってくることも多いです。母はやっぱり近くにいると私の「ふつう」でないところが見えてしまうから。お互いを思って別々に暮らしています。


今はこの距離がお互い一番幸せだと思っています。それは母を嫌いだからと言うのではなく、それが私たちにとって適切だからです。

「ふつう」の呪縛が解けたとき「ふつう」ではないけど「特別でもない」、まどからしいまどかで生きていけたらなと思っています。



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