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#5 例えば、今日が最終日

終わりなき仕事を終わらせて。事務所の明かりを消す。
最後に出る特権を生かして、しばし暗がりの事務所を見回す。
もし、今日がここの最終日だったら。

施錠をして、外へ出る。明かりの消えたビルを眺めて考える。
もし、明日このビルがなくなっていたら。

少し乾き始めた美味しい秋の空気を小刻みに蓄えながら、歩く。
道行く車や、いつもの光景、営業時間を終えてトレーニングに励むいつもの美容師さんを外から眺めて感じる。
もし、この光景が今日で終わりだったら。

いつもの出入口から地下へと進み、いつもの改札を通って、先から電車がやってくる風の動きを感じながら、古びた階段を駆け足で降りる。車掌さんからの視線を感じながら、日比谷線の車内へ乗り込み、小さな車窓からホームを眺める。
今日がこの電車に乗る最後の日だったら。

風景なき風景を映し出す車窓に飽き、車内の人たちを眺める。疲れ果てて、スマホ片手に寝落ちてるOLさん。素晴らしいヒゲを蓄えながら、なにかを悟ったような目で一点を見続ける中東系の男性。内定式を終えて、飲み慣れないお酒を飲んで酔いつぶれた社会人。体を少し震わせながら、何かを恐れているように見える中年女性。
今日、この人達を眺めるのは、最初で最後なのかもしれない。

最寄り駅を出る。事務所を出た時よりも、さらに乾いて甘い寒さを纏った空気を味わいながら、SPOTIFYでお気に入りのアンビエントを再生する。今日も帰ってこれた。
でもこうやって帰路に立てるのは、今日が最後なのかもしれない。

最後の道を歩く。いつもの場所でスヤスヤと寝ている野良猫さん。新しくオープンするお店のために、徹夜のつもりで準備に励む中年男性。薄汚れた板に設置された、新しいペンキの香る看板。縁石に座り込み、誰かと電話しながら、すすり泣く女性。耳を傾ける音楽に、弦楽器の心に染みる音が流れ始める。心がジワジワして、自然にうっすらと涙がやってくる。
明日もこうやって感じることができるのだろうか。

自宅の扉前に立つ。中からは、既に僕の足音で帰ってきたことを悟る犬の鳴き声と、娘の遊ぶ声がこだまする。曲が終わるのを待って、音楽の再生を止める。この扉をあけると、僕は父となり、夫という人間に生まれ変わる。今日も、ここまでの自分にさよならをする。
もうその自分に会えないかもしれない。

ただいま!娘からの報告会が始まる。僕にとっては、謎解きだ。片言の言葉達から、今日の出来事を理解する謎解き。これが楽しい。急いでご飯をかけこみ、お風呂へ入れて、一緒にベッドへ入る。疲れていたのか、すぐにスヤスヤと寝る娘。突然に娘がムクリを起き上がり、僕の上にまたがって寝始める。寒さが増した空気と、温もりが僕の心を寝かしつける。まぶたが重量を増していくのを感じながら、僕は考える。
今日という自分が終わる。もし、明日目を覚まさなかったら。

例えば今日が最終日。人生は1つだけれど、人生は集合体。
毎秒、毎分、毎時、毎日、毎月、毎年。
僕は無数の自分と出会って別れている。

人生には答えがないのかもしれないし、それでも人生が素晴らしいという答えもある。人生は1つの答えではなく、多重奏的人生。始まりを終わりを続ける限り、人はより多くの答えを作り出す。

そしてもう1つの答えを僕は感じた。

自然とうっすら流したいつもの涙は、今日という自分との別れに対するものだと。

『ありがとう、馬鹿野郎、クソ野郎、おつかれ、GOOD JOB。今日まででもよくやったな。それでも全然足りないな。じゃあな。』

例えば今日が最終日。あなたは何を答える?

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