Soichiro MIkuni

EIKAブランドディレクター。人と生きる。宇宙で死ぬ。 ブランド事業を通して出会った概…

Soichiro MIkuni

EIKAブランドディレクター。人と生きる。宇宙で死ぬ。 ブランド事業を通して出会った概念や、人を通して出会った事を、自らの備忘録も兼ねて残していこうと思います。

マガジン

  • 個人的ダイアリー

    自分の人生に関する個人的ダイアリーです。基本的には備忘録。

  • ビジネスダイアリー

    マンションの一室からラグジュアリー市場へと乗り込んで得た出来事や道のりを、コンフィデンシャル要素を除き、どんどんリアルタイムで配信していきます。

最近の記事

教わるくらいなら、考える

生まれてから、死ぬまで、学びだ。 と言う人がよくいる。けれど、それは完全なる誤りだと思う。正しくは、 生まれてから、死ぬまで、考えること。 が生きることだから。全ての人の課題というものは、根本的この前提を正しくするだけで解決すると思う。今もこれからも時代も、これはさらに正しさを極めていくし、それができなければ確実に淘汰される側になる。 よく沢山勉強した、沢山本を読んだ、沢山色んなためになる人の話をきいた。なんて会話があるけれど、全く意味がない時間をただ過ごしただけのよ

    • #6 始まりと終わりのない世界

      人生とは、どのラインから始まりなのだろうか。 僕は時々そんなことを考える。 始まり?そんなものは生まれ落ちた瞬間だろう。 そう当然のように感じるかもしれないが、ずっと大きな疑問があったからだ。 それが確信に変わったのは、我が子の出生に立ち会った時。 僕はその素晴らしい始まりとされる光景を目の当たりにして、こう感じた。 否、これはまだ始まりの前の始まりにすぎない。と。 僕は当時、少し調子にのっていた。 このデジタル社会においてジュエリーというクラシックで大きく衰退しつつある

      • 視点

        人生は、視点という宝物を得る旅だと思うようになれたのは、最近のこと。 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。 すべてを得る人もいれば、一部しか得られない人もいる。 生命とは存在の起源からして、不平等という機能性を持ち合わせてる。僕は幸いにもそれら五感のすべての恩恵を得られる身体を授かった。これは何にも代え難い恩でもある。 しかしどうだろう、一部の感覚が欠如した人とお会いしたり、なにか行動を共にしてみれば、不平等はむしろ恩恵にすらなってしまうことに気付く。目が見えなければ聴覚が発達

        • #5 例えば、今日が最終日

          終わりなき仕事を終わらせて。事務所の明かりを消す。 最後に出る特権を生かして、しばし暗がりの事務所を見回す。 もし、今日がここの最終日だったら。 施錠をして、外へ出る。明かりの消えたビルを眺めて考える。 もし、明日このビルがなくなっていたら。 少し乾き始めた美味しい秋の空気を小刻みに蓄えながら、歩く。 道行く車や、いつもの光景、営業時間を終えてトレーニングに励むいつもの美容師さんを外から眺めて感じる。 もし、この光景が今日で終わりだったら。 いつもの出入口から地下へと進

        教わるくらいなら、考える

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        記事

          #4 人生の容量と忘却の正義

          人生は積み重ねであると言われる。つまりは、時は重ねるものであると。過去・現在・未来という時間軸の関係は、この世界で最も単純で、最も奥の深い概念に感じる。 時間というのは面白い。秒分時という概念はありつつも、全てに相対的な時間が存在するからだ。地上で過ごす同じ単位の時間と、宇宙のどこかで過ごす同じ単位の時間にはズレが生じるらしい。あなたという時間の速さと、僕にとっての時間の速さは違う。と言うと、実感しやすい。だからこそ人は相対的なそれぞれの時間をチューニングするために、旅など

          #4 人生の容量と忘却の正義

          #3 この道を行く必要なんてない

          人生はよく、「道」と形容される。人生は選択の連続であり、その選択は「交差点」と形容される。これが僕や私の道。これが生きる道。選択して進んできた人生、あるいはこれから進もうとしている人生は、そのように形容されてきた。 僕も人生を道として形容する言葉が好きだし、人生を道になぞった映画やドラマのシーンにも心を動かされてきた。そんな自分もまた、これまで進んできた人生。という名の時の集合体であり建築物を、「道」として考えてきた。最も収まりのよい形容詞だった。 しかしどうだろう。この

          #3 この道を行く必要なんてない

          #2 ボクが僕であるために

          僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる (尾崎豊・僕が僕であるために・歌詞一部抜粋) 第2回。最初の10回くらいまでは、個人的なプロフィール感覚でいきたいと思う。むしろ、自分が思い出した大切な事。と言った方が適切かもしれない。 冒頭の歌詞は、僕が敬愛する尾崎豊さんの歌詞。彼の生き様は詳しく知らないけれど、彼の声とシンプルで直感的な歌詞には心に沢山の刺激を頂い

          #2 ボクが僕であるために

          #1 w/t PPL

          初投稿なので、当然のような前提について。 何かがうまくいかない時は、おそらく相手がヒトになっていないのだと思う。あらゆる場面の相手をヒトとして再認識すると、本当にすっきりする。 仕事がうまくいかない時、仕事の相手がヒトになっているだろうか。誰のために仕事をしているのか。人間関係がうまくいかない時、相手を自分とは違うヒトとして接しているだろうか。目標や夢、理想に喜び、モチベーションが得られない時、目的がヒトになっているだろうか。人生そのものが上手くいかない時、ヒトと生きて